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#268

待庵
― 石神裕之

待庵

(2018.05.20公開)

林立するビル群と茶室。

「待庵(たいあん)」とよばれるこの茶室は、京都府乙訓郡大山崎町、臨済宗東福寺派の妙喜禅庵に現存する。1951年、国宝に指定された。

千利休が造立に関わったといわれ、利休好みとして評価できる唯一の茶室遺構であるという。

この掲出の写真は、いま森美術館で開催されている特別展「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」を見学したおりに撮影したものである。

実は、今回の特別展にあわせて、ものつくり大学の総合機械学科、建設学科が協働して制作した「待庵」の原寸大のレプリカだ(注1)。

総勢50名が関わったという本作は、釘の1本まですべてが手づくりといい、本展共同企画者で、森美術館の建築・デザインプログラムマネージャーの前田尚武氏によれば、「美術館の使命として、単純に体験できるための空間ではなく、ものつくり大学との共同研究として制作し」たという(注2)。

なぜ「待庵」なのか。国宝指定されている茶室は、ほかに2つある。旧建仁寺正伝院茶室「如庵(じょあん)」、そして大徳寺龍光院茶室「密庵席(みったんせき)」である。

前者は織田有楽(1547~1621)によって元和4(1618)年までに建てられたことがわかっており、後者は小堀遠州作とも津田宗及の子、江月宗玩作とも言われる。

やはり「待庵」の最も大きな魅力は、千利休プロデュースであるということであろうか。

この「待庵」の復元建物はほかにもあり、大山崎町歴史資料館(大山崎町)やさかい利晶の杜(堺市)にも存在している。

先日、このうちのひとつ「さかい利晶の杜」において、筆者の所属する本学通信教育部芸術学科歴史遺産コースの同窓会組織(瓜生歴史遺産の会)のイベントがあり、復元を指導された本学歴史遺産学科教授の中村利則先生の講演と復元待庵の見学が行なわれた。

ここで中村先生のご講演とご論考をもとに、少し待庵について説明を加えておきたい(注3)。

室町時代の書院(重要文化財)に接続して南向きに建てられており、屋根は切妻造りで、こけら葺き、深い土廂(どびさし)を形成する。

内部は二畳敷という極小空間である。点前座の隅に炉を切り、左手には太鼓襖を隔てて勝手(現在は次の間と称する)が接続する。

躙口(にじりぐち)は通例より二回りほど大きく、床は壁の入隅柱を隠して天井まで塗り廻し、床天井を非常に低く抑えた室床(むろどこ)の形式である。

そして、框には粗野で大きな節が見付に三つもある丸太を据えている。また天井は、化粧屋根裏を組み入れて三つに分割するなど、幾多の手法を駆使して狭隘感を解消している。

そして荒壁の仕上げで「力強く緊張した空間は極侘びに徹し、そこには草庵茶室の姿が大成されていて、待庵はその原点」として評価されてきたという。

中村先生によれば、豊臣秀吉が主君信長の敵を討つべく造営した山﨑城内に造立された茶室が「待庵」の祖形であり、席披きもされないままに壊されたものの、遺材を妙喜庵の功叔和尚(?~1594)が譲り受けて再興したと考えられるそうである。

実は「さかい利晶の杜」の「待庵」は、中村先生の研究の結果、大山崎に現存する待庵は、後世に改造されている部分があるとして、利休が企図した本来の山﨑城内の待庵を復元したものとなっている点であろう。

そうした「待庵」の歴史的経緯や造形性の意義については、中村先生をはじめ先行研究をぜひ参照して頂きたい。

ただ興味深い点は、この「待庵」が江戸時代以降に「うつし」として、複製が数多く建てられていくことであろう。

山城淀城主永井尚政は居城の苑池に、幕府作事方の京都大工頭中井正知の屋敷内にも、そして加賀金沢城主前田利常も隠居城に「うつし」を造る計画があったという。

さらに貞享3(1686)年に版行された、伊藤景治『数奇屋工法集』によって世に広まったというが、本来は利休のためのものであり、「平人ニハ無用也」『山上宗上記』とされた茶室であるにも関わらず、その「うつし」を造ろうとする精神性はとても興味深い。

著名な大名茶人である出雲松江城主松平不昧(治郷・1751~1818)は、江戸下屋敷「大崎園」に11軒の茶室を造立した(注4)。

そのひとつには、石清水八幡宮において2011年の瀧本坊遺跡発掘調査で発見された、遠州と親交のあった松花堂昭乗(1584~1639)の造った「松花堂」をうつしたもので、「松荷堂」と称した。

そのほか利休が発見した長柄の橋脚(孝徳天皇の長柄豊碕宮ゆかりの橋柱)を用いて造ったとされる独楽庵や由緒ある古材を用いた茶室が多数つくられたという。

こうした茶室に見られる「うつし」という行為は、建築学では和歌の本歌取りに擬えて評価されている。

和歌や連歌などを作るとき、過去の優れた歌や詩の語句や発想、趣向などを意識的に取り入れる表現技巧である。

茶室における「うつし」は、まずは「オリジナル」の忠実な複製を目的としている。一方で、自身の思いを間取りや意匠のなかに取り入れて、新たな空間を確立することも企図した。

つまり、「うつし」とは、ただその「空間」の雰囲気を感じ取るだけではなく、利休なり過去の茶人たちの「こころ」を深く知ることが目的であり、そのための装置でもあった。

だからこそ、利休好みの待庵は今も昔も人気があるのだろう。

さて、こうした「うつし」と近年の「待庵」復元。同じようでいて、その思想には違いがあるように感じられる。

そもそも「うつし」は同時存在しているものを複製するのに対して、「復元」は現存しないものをつくる行為であり、行為の意味には違いがある。

しかし、今回の森美術館の「待庵」を改めて捉えなおすならば、オリジナルを複製するという点で「うつし」に近いが、そこに新たな茶の思想があるというわけではない。

他方、堺の「待庵」は祖型を造るという点では復元であるが、史料をもとに利休の茶の「こころ」を踏まえて進められたという点では「うつし」ということもできるかもしれない。

近年名古屋城はじめ、城郭や遺跡の「復元」ブームが昨今、多数認められる。

現代の復元の思想は、学術的に検証し、オリジナルに忠実なものを目指すことがしばしば語られる。しかし、そこに当時の人々の「こころ」が置き去りにされてはいないだろうか。

今回、「待庵」という茶室の「復元」を図らずも2棟見る機会を得て、ふと「もの」と「こころ」の間にある複雑なかかわりや「うつし」と現代の「復元」の違いに思い至り、駄文を連ねた。

まずは、百聞は一見にしかず。みなさんもぜひ一度、これらの「待庵」に行かれて、「うつし」や「復元」の意味を考えてみてはいかがだろうか。

【妙喜庵】
住所:京都府乙訓郡大山崎町竜光56
「待庵」見学は1ヶ月前くらいから往復はがきでの予約が必須となっているほか、細かな規定があるので、下記ホームページで確認のこと。
http://www.eonet.ne.jp/~myoukian-no2/index.htm

【森美術館】「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」
会期:2018.4.25~9.17
住所:東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階
開館時間:10:00~22:00(火〜17:00)※入館は閉館の30分前まで
料金:一般 1800円/大高生1200円/4歳〜中学生600円
休館日:会期中無休
http://www.mori.art.museum/jp/

【さかい利晶の杜】
住所:大阪府堺市堺区宿院町西2丁1番1号
《千利休茶の湯館、与謝野晶子記念館》
開館時間:9:00~18:00
料金:一般(大学生含)300円/高校生200円/中学生以下100円
[さかい待庵特別観覧セット]
料金:一般(大学生含)1000円/高校生800円/中学生以下500円
※申込制(当日空きがあれば可)
休館日:第3火曜日(祝日の場合は翌日)及び年末年始
※ほかに茶の湯体験施設などもあり。
http://www.sakai-rishonomori.com/

(注1)http://www.iot.ac.jp/building/ 「新着情報 森美術館15周年記念展【建築の日本展】に学生・教職員が制作した《待庵》の原寸レプリカが展示されます!」『ものつくり大学 建設学科オリジナルサイト』(2018年5月16日閲覧)

(注2)https://bijutsutecho.com/news/14511/ 「日本建築を読み解く大規模展が森美術館で開幕。 国宝《待庵》の原寸大再現も」『美術手帳web』(2018年5月16日閲覧)

(注3)中村利則「国宝待庵について」『国華』第1463号 朝日新聞出版社、2017年

(注4)増田弘子「2 茶室の写し」鈴木博之編『復元思想の社会史』、建築資料研究社、2006年

【付記】掲出写真はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下で許諾されたものを使用していますhttps://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/deed.ja