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アネモメトリ -風の手帖-

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#202

縞のうち
― 上村博

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(2017.02.12公開)

ある夏の日に、職場の1フロアを見渡すと、そこに爽やかな文様が描き出されていた。申し合わせたかのように、そこかしこに、くっきりした横縞のシャツ姿で勤務する職員たち。いま考えるとせいぜい5,6人だったかもしれないが、それでも全体に白と濃紺のストライプが連なって見事な絵柄を織りだしていた。自分自身はほとんど縞柄の服を着ない。横縞も縦縞も、また格子縞も持ち合わせがない。しかし縞が嫌いなわけではなく、むしろボーダーでもタータンチェックでも唐桟でも縞柄を目にするのはまことに気持ちがよい。

縞柄は、その平行線の作る強い色彩のコントラストのために、そもそも目立つ。それは自分の存在を誇示する道具にもなれば、他人から見たときの標識にもなる。だからこそ個性を出すおしゃれにも使われるし、他方で特殊な存在を識別させる手段にも使われる。囚人服や道化の衣裳に縞がある場合も、異質な存在の目印にするためである。縞柄はシマウマやシマリスといった生物にも見かけられる。動物の縞模様は植生などの環境にうまく紛れるための装いと考えるのが順当だろうが、それでもあのくっきりした柄を見ていると、一種のお洒落ではないかと思えてしまう。トラが身につけている黄と黒の毛皮など、これ以上ないほどの自己主張ではないか。
縞のなかで、しばしば学校の制服に見かけられるのが、格子縞である。もちろんそれは学校制服がモデルとした軍服に格子縞があるからで、前世紀初めのイギリスで軍にバーバリー社が納品した外套はチェック柄の裏地であった。また軍服にチェック柄をあしらうのは、バーバリーの発明というより、十八世紀末以来の流行に棹さすものである。それも裏地というよりも、スコットランド高地の雰囲気を前面に出してチェックを身にまとうのが、イングランドで流行りのミリタリー・ルックだった。軍装はいまでこそ迷彩服のようなものが主流だが、本来は男性の自己顕示やお洒落の最高の機会である。日本でも緋縅の鎧のように、いやが上にも目立つ恰好が必要なのだ。敵に狙われないよう周りに溶け込んで目立たなくする、というのでは軍服を着る意味がない。
縞の話から少し逸脱すると、制服には、単に没個性だとか均質性だとかではなく、個性のありかたを考えさせるところがある。たしかにそれは個人をある集団に属する似通った構成単位にしてしまう。しかしまたそれは2つの点で新たな個性の契機にもなる。ひとつにはそれを着用する集団全体の個性がはっきりする。他の職業ないし他の学校に対して自分の帰属先を明瞭に示すのが制服だ。もうひとつには、似通った服装のなかでこそ、微妙な差異が際立ってくる。厳密に規格化された制服なら、そもそも個性が服装以外のところ(能力や順応性)で伸長することを求められ、規格からの逸脱は不服従の目印になる。比較的緩やかな制服(軍服の襟元をがばりと拡げて着崩したスーツなど)はネクタイやカラーの仕立てなどで差異化が図られる。本来、人間はそんなに個性が溢れているわけではない。制服とは、本来目立つためのものであり、もともと個性を発揮しようもない個人に個性発揮の機会をあてがってくれるものである。だからこそ、真紅や緑の格子縞も鮮やかな軍服がイギリスでも使われたのだろうし、学校でも制服の微調整に腐心する生徒が出てくるのだ。いずれにせよ、制服にはもともと禁欲的な地味さばかりが求められたのではない。本当ならばもっと縞柄が流行ってもよいだろう。たとえば大阪なら黄色と黒の縞柄のスーツを会社で推奨しても良いかもしれない。いや、さすがに会社では無理かもしれないが、もうちょっと別の場所ではそんな縞の制服もありうるだろう。以前、ある夏の日に、大阪で夕食をとっていたときのことである。隣のテーブルに二人連れのサラリーマンが着席した。いかにも地味な紺の背広にきっちりとネクタイを締めている。やがてビールが運ばれて、1日の疲れを互いにねぎらっていたかと思うと、いきなり二人とも上着を脱いで、ネクタイを取った。さらには暑そうにワイシャツのボタンも外して胸をはだけると、そこに現れたのは目にも鮮やかな黄色と黒のストライプだった。きっとこれから甲子園に行くための制服なのだろう。

鮮烈な太いストライプが自己主張に適しているなら、その反対に縞柄は細くなればなるほど存在は薄くなってゆく。九鬼周造が縦縞を「いき」を端的に示す文様としたときも、垂直の平行線がもたらす細さの感覚が大事だった。「いき」は田舎くさい顕示欲というよりも諦念を持つ。細い縞はたしかに「いき」だろう。あまりに細いと意気地が薄れ、九鬼の言う「いき」とは少し違ってくるかもしれないが、それでも縞模様には千筋、万筋、さらには極万筋や毛万筋というほど細い筋のものがあり、遠目にはほとんど縞にも見えない数ミリの筋が上品な柄として喜ばれた。それは江戸だけでなく大阪でもそうである。さきほど書いた黄色と黒の縞柄や、かつて昭和の大阪を走っていたゼブラバスだけではない。大阪は結構渋いお洒落の土地でもある。
古い小咄に「縞問答」というのがある。呉服屋に細い縞柄の着物を求めに着た者がいた。番頭は細い筋の柄をいろいろ見せるが、千筋でも、万筋でも満足しない。もっと細いもの、八万筋はないかという客は言う。「はちまんすじ」(八幡筋)とは大阪の通りの名だ。それは地名であって、そんな縞はないと番頭が答えると、客が言い返して、「はちまんすじもしまのうち」。「八幡筋」は「島之内」(大阪中心部の地域名)にある、という洒落である。大阪の地名がわからないと何のことやらだが、縞の模様が好まれていた背景はうかがえよう。