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#203

クラーナハ展を見て
― 加藤志織

クラーナハ展を見て

(2017.02.19公開)

ルカス・クラーナハ(Lucas Cranach、1472 – 1553)、日本でこの名前を聞くことは少ないかもしれないが、西洋美術史では北方ルネサンスの画家としてよく知られている。その巨匠の日本で初となる展覧会が、先月から大阪の国立国際美術館で開催されている。
クラーナハはドイツのバイエルン州にある都市クローナハで、やはり画家であった父ハンス・マーラーの息子として生を受けた。ちなみにクラーナハの同名の息子も画家であるために、両者を区別するために「クラーナハ(父)」、「クラーナハ(子)」のように両者を分けて表記することがある。
彼の修行時代および初期の画業については不明な点が多い。しかし、1500年頃にはウィーンで活動し、優れた肖像画を遺している。その後、1504年頃からはヴィッテンベルクに移動してザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公の宮廷画家として絵筆を握った。
この画家の作品でとくに知られているのは、冷たく怪しげな微笑をたたえ、小さな胸と細い腰をした裸体女性像であろう。あるいはキリスト教に詳しい者であれば、クラーナハが描いたマルティン・ルターの肖像画を真っ先に思い浮かべるかもしれない。
今回の企画展には、《ヴィーナス》(1532年、シュテーデル美術館、フランクフルト)を筆頭に、《ルクレティア》(1532年、ウィーン造形芸術アカデミー)、《正義の寓意(ユスティティア)》(1537年、個人像)、《泉のニンフ》(1537年以降、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)といった裸体女性像の傑作が複数展示されている。
また、ルターの姿を油彩で描いた肖像画《マルティン・ルター》(1525年、ブリストル市立美術館)や《マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ》(1529年、ウフィツィ美術館、フィレンツェ)を見ることもできる。ルターは、ローマにあるサン・ピエトロ大聖堂を建て替えるための資金集めに、当時のローマ教皇庁が大量の贖宥状(ショクユウジョウ)を販売していたことを糾弾し、あわせてその腐敗を厳しく非難することで宗教改革運動の扉を開いた人物であるが、その一方でクラーナハのような官能的な女性裸体像を描く画家と深く交わり、自身の姿まで描かせていることが非常に興味深い。
さて、本展覧会の見所であるが、まずはアルプス以北、すなわちフランドルやドイツで花開いた北方ルネサンスに特徴的な小さい頭部に細長い体躯と手足が組み合わせられたゴシック的なプロポーションの身体であろう。これはクラーナハの作品においてとくに強調されている。
こうした人体表現は、古代のギリシアやローマの彫像から影響を受けたイタリア・ルネサンスの八頭身の身体とは明らかに異なる。基本的に北方特有の身体比例を保持したクラーナハとは対照的に、同時期にドイツで活動したアルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer、1471 – 1528)は、ヴェネツィアへの旅行によって、このイタリア式のプロポーションを自身の作品に取り入れることになる。それはこの展覧会に出品されている版画(エングレーヴィング)《アダムとイヴ(堕罪)》(1504年、国立西洋美術館)において確認することが可能である。
さらにはクラーナハと同じ時代の画家・版画家、たとえばアルブレヒト・アルトドルファー(Albrecht Altdorfer、c.1480 – 1538)、デューラー、ヤコポ・デ・バルバリ(Jacopo de’Barbari、1497年までヴェネツィアで活動 – c.1516)、ゼーバルト・ベーハム(Sebald Beham、1500 – 1550)はもちろん、先行するマルティン・ショーンガウアー(Martin Schongauer、c.1450 – 1491)、くわえてクラーナハから着想を得た現代作家の諸作品までが展示されており、それぞれを比較検討することで相互の違いや影響関係を見ることができる。
個人的には、クラーナハの版画、とりわけ木版画に目を奪われた。その洗練された複製技術によって絵画が版画化されてヨーロッパ中に拡散することで各地の人びとに知られていた状況を教えてくれるからだ。
クラーナハ展(国立国際美術館)の会期は4月16日まで。

画像:国立国際美術館 入口付近