(2018.03.25公開)
先週末、京都瓜生山キャンパスにて本学の卒業式が行われた。前日の小雨交じりの天気から一転し、卒業生の門出を祝うかのように、雲ひとつ無く晴れ渡った。その暖かな空気に誘われ、式典が始まる前に、近隣の京都御苑を散歩してみようと思い立った。
さっそく、丸太町通に面した堺町御門から京都御苑の中に入る。一歩、足を踏み入れてみれば、梅や桃の咲き誇る春景色が目に飛び込んできた。素晴らしい時期に訪れることができたことを嬉しく思いながら、砂利道を進む。そして、しばし歩くと、京都御所の立派な建礼門が眼の前に現れた。そのどっしりとした構えは、京都御所という場が歴史的に担ってきた重い役割を映し出すかのようである。じつは、現在の京都御所は、度重なる焼失と再建により、平安京造営時から規模や位置などを少し違えている。しかし、復元された建物は私達に平安京の面影を充分に伝えてくれる。
さて、往時の御所の様子を異なる角度から私達に物語ってくれるのは、古典文学の『源氏物語』である。『源氏物語』は宮中の日常生活を描いた作品であるが、作者の紫式部は、物語に登場する桐壺帝を歴史上の醍醐天皇をモデルにして描いたとも言われ、それをもとにすれば、『源氏物語』の主人公の光源氏は900年から数年経ったころに生まれたのではないかとされている。つまり、『源氏物語』はおおよそ10世紀初頃の、平安京遷都の際に造営された大内裏がまだその地に残っていた時代を描いていると推測されるのである。また、『源氏物語』は言うまでもなくフィクションであるが、物語全体を通して、当時の貴族の恋愛観、政治観、宗教観、美意識など、日本文化の根幹に関わる部分も知ることができる。さらに、奏楽場面も描かれていて、奏楽の際にどのような場面で誰が何の楽器を奏でているのかを紐解けば、当時の音楽観も窺うことができるのだ。
『源氏物語』全五十四帖のうち、音楽に言及しないのは「空蝉」「関屋」「朝顔」「藤袴」「夢浮橋」のみであるから、音楽は物語世界と深く関わっている。具体的には、奏楽は、法会、年中行事、御遊、行幸、管絃の遊び、相伝の場などで行われ、奏されたのは、舞楽・神楽・箏(そう)・七絃琴(しちげんきん)・琵琶・和琴(わごん)・催馬楽(さいばら)・風俗歌・踏歌・民謡など、平安時代の音楽ジャンルをほぼ網羅している。このことは、音楽が詩歌などと同様に当時の貴族の教養に必須であったことを示している。また、貴族は自ら奏することができたが、絃楽器と管楽器に限られ、打楽器については身分の低い地下(じげ)の楽人が担当した。男性と女性とで扱う楽器の種類も異なり、男性貴族は主に絃楽器と管楽器、女性貴族は主に絃楽器を演奏した。さらに、絃楽器のなかでも、中国由来の七絃琴はとくに高貴な楽器とされ、『源氏物語』では、皇位継承権を持つべき高い身分に生まれた光源氏が当代随一の名手として度々称讃されている。
また、音楽は平安時代の貴族の日々の生活に、多彩な彩りも加えている。例えば「花宴」では、桐壺帝主催で紫宸殿の桜を愛でる観桜の宴が催されている。そこで、二十歳の光源氏と、親友の頭中将は舞楽を舞ったほか、上達部の乱舞も行われ、彼らの舞が御遊にいっそう光彩を添えている。また「絵合」では、清涼殿にて、光源氏、蛍宮、権中納言、少将命婦の四人が夜を徹して管絃の遊びを行っている。月の出る時分にそれぞれが得意の楽器を奏でる様子は、御所の趣きある和やかな情景を伝える。一方、「須磨」では、右大臣と弘徽殿太后の怒りを買い須磨に流された光源氏が、その地で「琴をすこしかき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば」と記されるほどに悲傷の音色の七絃琴を一人奏でている。こうした記述からは、物語において音楽が重要な役割を果たしていることが窺えるのみならず、当時の貴族にとって音楽が生活に密着したものであったことがわかるのである。
このように、物語世界を紐解けば、当時の貴族の文化をつぶさに知ることができる。現在の京都に平安京を偲ばせる歴史的な建造物は多々あるが、そこに物語世界を重ね合わせてみれば、文化をより奥深く、立体的に感じ取ることもできるだろう。京都を歩く楽しみ方の一つとして、物語世界との対話はいかがなものだろうか。
参考文献
中川正美『源氏物語と音楽』和泉書院、1991年。
日向一雅編『源氏物語と音楽』青簡舎、2011年。