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アネモメトリ -風の手帖-

空を描く 週変わりコラム、リレーコラム

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#354

器物の怪など
― 下村泰史

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人を見てこの世のものではないと感じるのはどういうときだろうか。その人がすでに亡くなっているということを知っている場合には、その人が目の前に現れれば何かしら異様な感じ、怖い感じというのを受けるだろう。では、全く知らない人についてこの世のものではない、と感じるのはどういうときか。下半身が透けているとか、姿形や動きに明らかに人間と異なる様子があるといった場合だろうか。この場合に感じるのは、亡者というよりは化物に対する恐怖のようにも思われる。ということは、全然知らない死者がにこにこと隣の席にいても、私たちは別に恐怖を感じたりはしないのかもしれない。そしてそういうことはなんとも気づかれないまま、ごく普通に起きているのかもしれない。

私はそういう亡霊というのは見たことがない。霊感というのが全然ないのであろう。そしてそういった亡霊のようなものはたぶんないのだと思っている。しかし、この世のものならざる器物に遭遇してしまったことはある。あくまでも相手は「モノ」なので、そのときには恐怖などは覚えないのだが、その出逢ってしまった場面というのは、ずっと記憶に変な形でへばりついてしまっている。何かを踏み越えたという感じは残っているのである。

一つはもう20年以上前になるだろうか。学会か何かの用事で東京大学に行ったときのことである。用事そのものは一晩で順調に進捗し、その翌日はまだ午後も早い時間に自由になったので、少しぶらぶらしてから京都に帰ろうと思い、不忍池のほうに足を伸ばしたのであった。蓮の葉が水面を埋める平らな風景のかたわらに、白いおでん串のような形の、高さは数十メートルもあろうかというタワーが数本(一本だったかもしれない)立っていたのである。建築物なのだろうか、それとも道路地下の工事のための仮設物だろうか、それともなにか芸術的な行為なのか、その機能や意味について、まったく類推することができず、私はひどく混乱したのであった。さらに数年後に訪れたときには、それらは跡形もなかった。私の頭の中では、その白いタワーは謎の仮設物という位置付けになったが、また忽然と現れ消えた建築の怪だったようにも思われた。

もう一つは、5年ほど前に広島県竹原市でみたものである。車を借りて家族と海沿いを走っていたときに、島の多い瀬戸内の水面に、奇妙なものが浮かんでいるのを見た。それは現代の造船技術でつくられた大きな鉄の船であるように思われた。質感や色の感じは、タンカーとかそういう輸送船の雰囲気そのものである。だが、形がおかしかった。一方の端は船らしい形をしているようだったが、もう一方の端部は垂直に切り落とされたようになっていた。しかも長さが異様に短かった。タンカーを切断した一部がそのまま漂っているようなようにも見えたのである。三度見四度見しているうちにその船は視野を外れ、見えなくなってしまった。

もう一つある。それは京都市内のバスの車窓から見たものだ。3番の市バスで河原町通りを北上しているときだったか南下しているときだったか、京都府立大学病院の門前に、スクーター様の乗り物が置いてあったのである。それはスケートボード様のごく低いステップの両端に小さなタイヤが付いているというレイアウトだった。キックボード的な構成である。問題なのは、そこから背の高いシートポストが二本にょっきりと生えていて、自転車のサドルのようなものが二つ並んでいたのである。連続したタンデムシートなら理解できるのだが、この座席構成には驚いた。驚いたがあっという間にそのスクーターは視界を去ってしまった。

これらは、モダンな人工の器物のようでいて、同時に現実味を欠いたかたちで不意に現れたものである。いずれの場合も、恐怖感というのはなく、謎の感覚だけがあった。その時のことを思い出すことはできるが、夢を思い出すような感じもする。ただネットで調べていってもなかなか情報がないこともあって、その記憶は現実の記憶と夢の記憶のあいだくらいのところに曖昧に置かれている感じである。

こういう経験をすると、現実というものが堅固に設計され構築されたものなのではなく、もっとよくわからない謎が溶かし込まれた卵白状のやわらかいものなのだと感じるようになってくる。そしてそれは夢と案外近い部分を持っているようにも思われてくる。まあ歳をとってきて、だんだん半分寝ているような感じになってきているということなのかもしれないが。

風景のなかには謎がある、というのは言われてみれば当然かもしれない。ただ、ときにこうした当惑する様な出来事があると、その感覚を新たにすることができる。そしてそれはおそらく悪いことではないのだと思う。

謎を謎として描写するのが詩人、謎を採集して解剖するのが研究者。いずれにせよ、謎に出会わないことには商売にならないだから。

追記:

このコラムの執筆中に、不忍の妙なタワーについては、すでに解体されたホテル「ソフィテル東京」ではないかというコメントをいただいた。インターネットで調べると、確かに不忍池のほとりに屹立する異常な建築の写真がいくつもヒットする。これだったかもしれない、とも思うのだが、記憶の中のイメージは必ずしも重ならない。記憶の中では複数本だったり、道路から飛び出していたりして、またこんな立派な建築ではなく仮設物らしい表情もあったように思える。

また、奇妙な船については「半潜水式重量物運搬船」ではないか、というお知らせをいただいた。これについては、なるほどこれだったかもしれないという画像もあった。

とはいえ、いずれの例においても、後になって「この人だったのではありませんか?」と写真を見せられても、出来事の夢幻的な性格は必ずしも変わらないものなのだなと思った次第である。