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アネモメトリ -風の手帖-

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#368

ガウディ
― 加藤志織

空を描く 加藤

 知っている建築家の名前を尋ねられて、最初にアントニ・ガウディ(1852〜1926)と答える人は少なくないだろう。日本はもちろん、世界的に人気のこの建築家の企画展「ガウディとサグラダ・ファミリア」が、9月10日まで東京国立近代美術館で開催されていた。今回はそれにちなんだガウディにかんするコラムとなる。ちなみに、この展覧会は9月30日から滋賀県にある佐川美術館、12月19日からは愛知県の名古屋市美術館で引き続き公開予定である。
 ガウディの建築は一度見たら忘れることのないユニークなデザインであろう。色鮮やかで豊かな曲線によって構成された意匠が特徴だ。人々はそこに、なんとなく人間的な温かみ、生物的な優しさと柔らかさを感じて魅了される。小難しい建築史や建築理論など何も知らなくても、ガウディの建物はみずから雄弁にその魅力を我々に語りかけてくれる。
 じつは私もその虜になった一人である。この建築家の作品と、いつどのような状況下で初めて出会ったのか、今となっては正確にはわからないが、おそらくテレビ番組かあるいは父親が購読していた美術雑誌で、小学校5〜6年生の時に見知ったのだろう。一目見て、他の建物とは大きく異なるデザインの独創性に驚き、瞬く間に心酔してしまったのである。見る者の心を強く揺さぶる建築に、芸術の本質を見たような気になった。思い返してみると、これが私にとっての人生初の芸術体験であった。
 しかし、これは奇妙なことである。そもそもろくに建築のことを知りもしないのに、なぜガウディの建築を素晴らしいと考えたのか、他の建築物とどのように比較した上で評価したのか、その理由がわからないのである。とにかく当時は、あたかも天啓を受けて突如として信仰に目覚めたかのように、ガウディの魅力に囚われてしまった。
 やがて大学で西洋美術史にふれてイタリア・ルネサンスの絵画を専門に学ぶようになる頃には、すっかりガウディについて忘れてしまった。忘れてしまったというよりも、その魅力が色褪せたように感じたといったほうが適切かもしれない。フィリッポ・ブルネッレスキ(1377〜1446)、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ(1396〜1472)、ドナート・ブラマンテ(1444〜1514)などの14〜16世紀にかけてイタリアで活躍した建築家の古典主義的な作品を知ることになると、それまで煌びやかで雄弁にみえたガウディの建築は装飾過多で少々五月蝿く感じるようになってしまった。
 また、建築史的にみてもガウディの位置付けは微妙で、一般的にはスペインの一地方であるカタルーニャで花開いたモデルニスモ、いわばカタルーニャ版アール・ヌーヴォーとされている。この建築家の活動した時期は、ちょうど近代建築の誕生と重なる。たとえば、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライト(1867〜1959)はロビー邸(1909、シカゴ)のような直線で構成されて装飾の少ないデザインを世に送り出していた。こうした様式が20世紀を席巻することになり、反対にガウディのような有機的で流麗な装飾の多いデザインは少しずつ姿を消していき、その後継者が多数現れて権勢をふるうことにはならなかった。
 このように建築の歴史のなかでは主流になれなかったが、建築家ガウディと彼の作品の人気は冒頭で述べたとおりである。おそらくもっとも知られた建築家のひとりであろう。そうした状況は、奇しくも同時期に活動したポスト印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)と重なる。この画家の名もまた世にあまねく知られているが、近代絵画の父と称されるのはポール・セザンヌ(1839〜1906)その人である。ガウディ、ゴッホ、共に人生を芸術に捧げたという点でも似通っている。
 ここでもう一度話をガウディ作品の魅力と独創性に戻そう。その様式は、建築について何も知らなかった子どもの時の私には奇想天外にみえたが、その建築デザインにはさまざまなルーツ(ゴシック建築、スペインのイスラム建築、カタルーニャの文化など)が存在している。この度の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」は、そうしたガウディの芸術的な創造の秘密を解き明かしてくれる内容である。こうした構成は、その才能の素晴らしさと創作活動の濃密さを我々に伝えてくれる。この企画展を見ることでガウディの偉大さをあらためて感じることになった。また、建築の研究がどのようなものであるのか、ということを知ることもできる素晴らしい構成である。みなさんに鑑賞をおすすめします。

画像:ガウディとサグラダ・ファミリア展カタログとチケット