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#235

史資料にみるデザイン
― 野村朋弘

史資料にみるデザイン

(2017.10.01公開)

先日、司馬遼太郎原作・原田眞人監督脚本の『関ヶ原』を観てきた。慶長5年(1600)に行われた日本史上最大規模の合戦を描いたものだ。関ヶ原の合戦を経て徳川幕府は開闢する。天下分け目の戦いとよくいわれる合戦の一つである。昨今では関ヶ原の戦いそのものの研究も進んでいるが、それはさておき映画については、とてもエンターテイメント性の高い、面白い映画だった。
大河ドラマなどでは入れざるを得ない説明のテロップも抑えられ、原作の小説の他、官職名で呼ぶ当時の慣例など、理解していないと置いてけぼりにされそうになるスピードの速さがあった。

さて、実際の関ヶ原では西軍・東軍あわせて20万ほどの軍勢が存在したとされる。映画の合戦シーンでは多くの旗指物が登場していた。旗指物とは鎧の後ろの受筒に差し込んだ小旗のことである。それに文字や記号を施し、該当者の所属や任務を明らかにした。また、それぞれの大将の本陣には、旗印や馬印と呼ばれる旗や印が立てられた。
敵味方、多くの人馬が 混在する合戦場において、旗指物や馬印は、大将の居所や部隊の所属など、戦況とともに一目瞭然に知らしめる役割を果たすもので、分かりやすさが求められた。
名のある武士が挙って鎧(当時であれば当世具足と呼ばれるもの)に意匠を凝らしたのと同様、すぐれて美しさとともに利便性・機能性が高いものとなった。

前回、私が担当した〔空を描く〕「篠を槌つ」では、史料の文言一つにこだわって解釈することによって歴史像が描けると述べた。史料も旗指物なども、人が記し造ったものである。人間が何かを想起し具体的なモノとする際、デザインされてアウトプットされる。美しいからデザイン性がある訳ではない。不細工であろうとデザインされたものなのだ。デザインとは特別なことなのではなく、人のアウトプット行為すべてに関わるものといえよう。そう考えると、歴史的な史資料は人がデザインしたもの、といえる。

歴史の研究者は古文書一つに相対した時、語彙、言い回しの他、書式・様式はどうだ、料紙は何が用いられているか、いつの時代のもので、どのような意味や意義があるかをまず考える。
しかし、その当時の人々からすれば命令や意思を伝達するための道具が文書である。特に命令を伝達する場合は威儀を保ち、畏怖させて遵守させる必要がある。そのために読むだけではなく、覧ても分かりやすいデザイン性が求められ、古文書の様式は整えられているといえる。文字面だけではなく、古文書の形から歴史を考えることも優れた分析の一つであろう。

国立博物館をはじめとして、各地の博物館では多種多様な古文書が展示されている。特に各地の博物館では、地域に関わる古文書が展示されていよう。しかし文字は、ミミズの這ったようなと揶揄される毛筆(崩し字)で記されているため、絵画作品と違ってスルーされがちだ。
例えばサインは冒頭に書かれているか、末尾にあるか。サインのサイズはどうか。本文の文言は崩し字で書かれているのか、楷書で書かれているか。紙の質や色、サイズはどうか、などである。
内容を読み解ければそれにこしたことはないが、文字面以外の視点から古文書を眺めてみるのも一興だろう。

おりよく9月16日から宇都宮市の栃木県立博物館で開館35周年記念特別企画展「中世宇都宮氏‐頼朝・尊氏・秀吉を支えた名族‐」が開催されている。宇都宮氏といわれて、すぐにピンとくる方は、歴史に詳しいといってもよいだろう。一般的にはあまり知られていないものの、中世において著名な武家であった。
京都の藤原氏の流れをくみ、源頼義・義家に仕え二荒山神社(宇都宮)の別当職に任じられた一族である。鎌倉幕府にあっては有力な御家人となり、室町時代には足利幕府に仕え、大名化していく。豊臣秀吉の小田原征伐後も大名を維持するものの、突如改易され、大名の列から外れてしまう。そのため、今日ではあまり知られていないかも知れない。
しかし、藤原定家がセレクトしたといわれる「小倉百人一首」は、宇都宮頼綱が定家に依頼したものがもとともいわれており、政治史だけではなく文化史的にも功績のある家といえよう。
今回の特別企画展では、こうした一つの家が鎌倉・南北朝・室町・戦国・織豊期といったそれぞれの時代の中で将軍や天下人から拝領した文書はもちろんのこと、当主や家臣が記した文書も一堂に覧ることができる。つまり、それぞれの時代の天下人が発給する文書とはどのようなデザインなのか、変遷も辿ることができよう。
更には宇都宮氏が関わった仏像や絵画も、一堂に覧ることができる貴重な展示である。

現代人は中世を生きる者ではないため、学ばなければ当時の常識を知り得ない。古文書の語彙に限らず、冒頭の関ヶ原に登場する旗指物一つ取ってもそうだろう。
デザインの変遷を知るためには、歴史を学ぶ必要がある。歴史を学びながらデザイン的な思考を養い、翻ってデザイン的なものの視方で歴史を知ることも「今」を理解する学びである。
デザインの変遷など歴史を知ることは、発想を養うことになる。それは何故か。発想とは内なる「知層」を掘り起こすことであり、内なる「知層」は土壌となる知識が無ければ豊かにならない。
古色蒼然と思われがちな歴史の展示も、視点を変えることによって、豊かな今日的な学びの場となろう。栃木県立博物館の特別企画展は、そうした視点からもお勧めである。