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アネモメトリ -風の手帖-

空を描く 週変わりコラム、リレーコラム

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#377

シュトックハウゼンの「贈る言葉」
― 下村 泰史

12cm_cd

関西の造園会のレジェントで、遠藤冬樹さんという人がいる。この人の造園界での業績についてはここでは触れないが、誰がカバやねんロックンロールショー(略称:誰カバ)というバンドのテナーサックスのプレイヤーとしても著名な方である。
以前本学のランドスケープデザインコースの主任を務められていた曽和治好先生もトランペットのプレイヤーで、ボ・ガンボスや山口富士夫さんのツアーに同行したりしていたこともあったそうだ。遠藤さんは曽和先生の京都大学農学部での先輩にあたり、遠藤さんの樹木の剪定とジャズの即興を関連づけて考察した卒業論文は、さすがに昔のものなのでネットでの検索でヒットすることはないけれど、今でも伝説のように語り継がれている。
造園には、建築や土木と異なり事前に描かれた設計図に支配されないところがある。その地の風光に合わせて踊るようにして樹を植ゑ石を据ゑて場を作っていくのである。だから造園を学んだ人の中には曽和先生も含め、即興的な音楽に惹かれていく傾向があるのは、当然と言えるのかもしれない。
私も学んだ場は異なるとはいえ、原点は造園である。そしてやはり即興というか、その場で生起する音楽にいつも惹かれてきた。ホーメイなどの特殊唱法や口琴や炊飯釜などの倍音楽器を用いた脳が溶けるような即興アンサンブル「瓜生山オーバートーン・アンサンブル」や、盆踊りに特化した「bon odre」(良い酒の皮袋の意)といったグループに参加してきたが、昨年からは新たに「ensemble CMYK」というグループに参加している。今回はこの話をしようと思う。

「ensemble CMYK」は、現代音楽の巨匠カールハインツ・シュトックハウゼンが提唱した直観音楽の演奏に特化したグループである。CMYKというと、印刷の基本となる四色のことがまず連想されると思うが、メンバーである千佳江、美樹子、泰史、幸治の頭文字に由来するものだ。もっとも、さまざまな色が混じり合っていくイメージも含意されている。
直観音楽については世界中に実践者がいるのだが、京都では本学の哲学の名誉教授である中路正恒先生が長く試みを続けられてきた。1970年代からシュトックハウゼンを師と仰ぎ、今も会津など地域と風土に根ざした直観音楽を追求されている。
「ensemble CMYK」の中心人物である寺村幸治さんは、そうした時代から中路先生ともに活動してきた方である。川瀬千佳江さんと山口美樹子さんはともにクラシック音楽の、それぞれフルートとピアノの演奏家である。そして私、下村泰史はホーメイ歌手兼盆踊りギタリストである。

直観音楽にはいわゆる楽譜は存在しない。図形楽譜もない。テキストによる指示があり、それに従って演奏者はお互いの音を聴き合いながら音を撚り合わせていくのである。テキストには音程や和声はもちろん、拍子についての指示もないのだが、やってみると盛り上がる時には盛り上がり、時に静寂が訪れ、終わるときには自然に終わるのである。音楽の神秘を感じる瞬間である。コードやモードといった話法が定められている即興音楽とはアプローチが異なるが、その場において生起する音楽であることは間違いない。
その指示とは、例えばこんなものである。

– – – – – – – – – – –
正しい長さ

音を一つ弾け
それをいつまでも弾け
止めなければならないと
感じるまで

音を又一つ弾け
それをいつまでも弾け
止めなければならないと
感じるまで

そのように続けよ

止めよ
止めなければならないと
感じたら

しかしいつ弾くか止めるかは
いつも他を聞いて決めよ

人が聞き入る時には
もっとも良く弾け

試してはならぬ

(シュトックハウゼン『七つの日より』※より)

– – – – – – – – – – –

今回ensemble CMYKでシュトックハウゼンの直観音楽を新たに試みるにあたり、シュトックハウゼンのテキスト『七つの日より』の実物を閲覧することにした。もとはドイツのウニヴェルザル出版から1968年に出版されており、日本では篠原真氏の訳本が1970年に出ている。本学の図書館の検索システムで調べてみると、東京芸術大学、桐朋学園大学、鹿児島国際大学の各附属図書館、に一冊ずつあることがわかった。なかなかの稀観本である。このうち鹿児島国際大学のものを取り寄せて拝見することにした。
B5版ほどの生成りの紙に、ガリ版のような書体のテキストが綺麗に配された、可愛らしい本であった。

開いてみると、序文に続いて15編のテキストが収録されている。先の「正しい長さ」はその冒頭に置かれているものだ。「正しい長さ」は、まだ演奏者のために書かれているということが理解しやすいものだが、中にはちょっとこれは無理だろう、というものもある。「金粉」(※)は「四日間独りっきりで過ごせ/食わず/もっとも大きな静けさの中であまり動かず/必要なだけ眠り/できるだけ何も考えるな//四日の後夜遅く前に人と話さず/一つ一つ音を弾け(以下略)」はじまる。これは大変である。しかしこれは演奏されたことがあり、シュトックハウゼン本人のグループによるCDも発表されている。もちろん四日の断食が終わって、音を出すところからなのだが。
他に演奏が困難なのでは、と思われるものの一つに、15篇の末尾に置かれている「到着」がある。

– – – – – – – – – – –
到着

すべてを棄てよ、我々は間違った道にいた。
おまえ自身で始めよ。
おまえは音楽家だ。
おまえは世界のあらゆる振動を音に変えることができる。
それをかたく信じもうこれから先は
それを疑わないなら、もっとも易しい練習から始めよ。

もう何も考えず、望まず、感じなくなるまでまったく静かになれ。
魂を胸の少し下のところに感じよ。
その暖かみの発散をゆっくりと同時に上下の方向に
からだ中に染みわたらせよ。
上方の中央、少し後ろに離れて頭を開き、
そこにおまえの上に緻密な球のように漂う
流れをおまえのうちに入り込ませよ。
流れをゆっくりと頭から足の先まで
満たし、流れ続けさせよ。

静かに楽器を取り弾け、まず一つ一つの音を。
楽器中に流れを流れさせよ。
何を弾くにしても −又
どんな種類の書かれた音楽を弾くにしても、
私が勧めたことをまず行ってから、弾き始めよ。

おまえはすべてをみずから経験するだろう。
弾く前に、思考を
自由に任せ、指と
喉などの筋肉を訓練してよい。
しかし今では、おまえは何を考え何を訓練するかを知り、
又、思考と訓練は
まったく新しくなり、前とはまったく違っているだろう。
もう昔と同じではない。

おまえがこの意識の中にある限り、
おまえが今することは、すべて正しく良い。

(シュトックハウゼン『七つの日より』※より)

– – – – – – – – – – –

これはどう見ても、楽曲演奏への指示ではない。
これまでやってきたことの総括があり、そこからの解放と新しい試みへの誘いと促し、励ましがある。これを読んで直観的に思ったのは、これは卒業式の式辞に似ているということだ。すべての課程を終え、旅立っていく学生たちに贈る言葉と、ほとんど同形なのである。私は半年に一度、卒業生を送り出している本人なので、これはすぐにわかった。「到着」は普通の意味の楽曲指示書ではない。だがそうしたテキスト群の最後にさりげなく置かれている。これは、その後の人生を音楽として演奏として生きよ、という指示でもあるのだろう。
もっとも指示が具体的でわかりやすい「正しい長さ」で始まり、この「到着」で終わる薄い本は、一つの課程であり、学校でもあるのだと思った。

これまで私は、ensemble CMYKや、その前身の直観音楽アンサンブルで、シュトックハウゼンの指示を必死で理解し、墨守する姿勢で演奏しようとしてきた。これは必要な過程=課程だったのだが、今回『七つの日より』を精読し、「到着」を吟味して、大きな解放感を得た。
Ensemble CMYKでは、この『七つの日より』から、「結合」と「霊の交流」を演奏したCDを制作し、発表することができた。「到着」によって、その次を考えることができるようになった。それは自分自身の直観音楽の指示書を作成することである。そう思ってペンを取ったが、すぐにこれが困難な作業であることがわかった。普通に取り組んだのでは、シュトックハウゼンのものまね、亜流にしかならないようなのだ。音と音楽について、世界についての見識が問われることになる。
今考えていることは、シュトックハウゼンが「音を一つ弾け」ということから始めたのに対し、「音を一つ聴け」から始めることを考えてみたい。「音を一つ弾け」には、近代ヨーロッパの決然たる自己の存在があるが、「音を一つ聴け」には葉擦れの音や虫の声といった、エコロジカルな外界の存在への意識がある。
シュトックハウゼンは『七つの日より』の中で、「夢のリズム」「宇宙のリズム」「手足のリズム」「細胞のリズム」「分子のリズム」「原子のリズム」といった、やや難解な言葉を使っている。これはイームズ夫妻の「Powers of Ten」を想起させるスケールがあるが、同時に20世紀中庸の核物理学や分子生物学といった自然科学の影響も感じさせるものだ。今日においてその更新を企むならば、エコロジカルな視点は欠かせないだろう。
そこにどのような振動を見出し、音に変えることを目指すか。仲間たちと考えていきたいと思っている。

こうした外部の風光への誘い、生きている世界との触れ合いへの私の指向性もまた、造園という分野で得てきたものと関わっているのかもしれない。

 

※ カールハインツ・シュトックハウゼン著、篠原真訳(1970)『七つの日より:一九六八年の作品:二十六番』、Universal Edition, 1968c.

<参考>
UR都市機構『カリグラシマガジン うちまちだんち』より「団地の人インタビュー009 グリーンマネージャー・遠藤冬樹と団地の緑」
https://uchi-machi-danchi.ur-net.go.jp/ours/endo-2/

中路正恒先生ブログ『世界という大きな書物』より「[悼辞] シュトックハウゼンが亡くなった 巨大な人だった」
https://ookinashomotsu.seesaa.net/article/200712article_7.html