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アネモメトリ -風の手帖-

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#360

写真の触れるもの:多和田有希氏の最近の作品について
― 上村博

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多和田有希 《Family Ritual 11》 2022年
燃やされたインクジェット・プリント
撮影: 顧剣亨Kenryou Gu

 

目からは光線が出ているのかもしれない。

15世紀イタリアの芸術家アルベルティは、視覚の構造を説明する中で、目と対象をつなぐ光の線に触れ、それがモノから発するのか、あるいは目から発するのかについては、古来議論がわかれるところだ、と書いた。実際、むかしの哲学者たちが考えたように、「見る」という行為は網膜が刺激を受けるだけでなく、目の方からモノに向かうはたらきかけがあるからこそ生まれるとも考えられよう。
東京都写真美術館で2022年の秋(9月2日〜12月11日)に開かれていた「見るは触れる 日本の新進作家 vol.19」展では、写真と触覚に関わる興味深い作品が並んでいた。写真の美術館であるので、それらは当然、写真作品ではあるものの、「写真」という媒体の考え方と使い方、また展示の仕方においても、非常に多様である。そしてそれは「触れる」という展覧会テーマとの関わりにおいても出品者それぞれに異なっている。ここではそれらに逐一触れることが目的ではない。展覧会のテーマとなっている「見るは触れる」という言葉の含意を考えつつ、その展覧会のなかにあって、とりわけ写真と触覚の関係を強く考えさせた作家である多和田有希氏の作品に特化して「見ること」と「触れること」との関わりを考えたい。

As though touching

「見るは触れる」という題目で写真作品を展示するときに、さしあたって簡単なのは写真画像を「触れる」ことのできるモノとして呈示することだ。勿論、単にモノとしての写真画像であれば紙焼きプリントで十分である。しかし、二次元の紙は机に置いたり壁にかけたりと、それをどう眺めるかは大体のところ決まったパタンが定着しているし、それらが促すのは、そもそも「触れる」という経験をなるべく不要にするような眺め方である。もし単なるプリントされた画像という以上に見る者の身体性を意識させようとするなら、対象の周りを歩かせる、覗き込ませる、仰ぎ見させる、といた視点の移動を伴うような展示の工夫が必要だろう。実際、今回も多和田氏の作品を含め、展示空間を存分に生かした立体的な構成がとられていた。
しかし、そんなことだけに「見る」ことと「触れる」ことの関係が尽きるわけではない。かつて批評家のフリードは芸術作品に「モノ性」objecthood を持ち込むことを批判した。モノそのものを直接的に呈示することは、たしかにそれなりに強い感覚をもたらすだろうが、それは芸術作品の形式的な質とは無縁で、作品鑑賞とは別の体験だからである。フリードが特に槍玉にあげたのはミニマリズムの彫刻だったが、それ以外でも、実際、美術館やギャラリーという制度的空間の保証のおかげで、ただ目の前にある凡庸な立体物が特別な視覚体験となる例は多々ある。物体の誘発する身体運動を経験させるということなら、たとえば公園の滑り台や足踏み健康器だってできることだ。むしろそのほうが美術館の展示物を見るよりもずっと心地よいだろう。勿論、芸術作品の鑑賞経験からモノと身体との関わりを一切排除することは不可能だし、ことさらに排除すべきと考える必要もないだろう。それでも、モノを現前させる効果だけに頼るのなら、それはあまりに安易だし、視覚の喚起する触覚性にはもっと別の豊かな探究領域があるように思われる。実のところ、今回の展覧会名の英語訳 “Seeing as though touching” が明瞭に示しているとおり、写真画像だけでも「あたかも触れるように見る」ということが可能なのである。
ところで、触れるように見る、という言葉は、20世紀初頭にヴィーンの美術史家リーグルが様式を作るひとつのヴェクトルとして考えたhaptisch な(触覚的、触知的)視覚を想起させる。見るという行為には二通りの方向性があって、一定の距離を隔てて光学的な像を眺めるというだけでなく、近接して輪郭に触れるように見るという仕方もある。実際、遠くから見てこそ全貌がわかるような像もあれば、近くで表面を撫でるように、さらには舐めるように見ることで立体の微妙な起伏がわかることもある。視線の移動の引き起こす内的な運動感覚がそうした触知を生み出すのである。
その区別からすると、光学画像である写真は、どちらかといえば遠隔視的であって触知的ではなさそうである。しかし、そうとも限らない。ひとつには、写真の作る画像にも他の画像同様に形態の輪郭を辿るようなものがあるからである。写真の画像にも、スナップ風景のように、距離を置いて一様に眺められる平滑なものだけでなく、陰影のコントラストのもたらす明確な輪郭によって彫塑性を持つものもある。さらにまた、それとは逆に、輪郭線というより塊量的なヴォリュームをブレによって感じさせるものもあるだろう。しかし、それだけではない。彫刻や絵画といった他の視覚芸術のジャンルにはない、写真の特性に由来する触知性もあるのではないだろうか。
写真画像は単なる視覚映像ではない。それは存在物の影(光)を撮ったものだという信念を惹起するものだ。写真は「かつてそこにあった」何ものかとの関係なくしては見られない。今日、誰もがデジタル技術に親しむことによって、写真画像は人工的な画像であることをいまさらのように思い出している。それでも、むかしロラン・バルトが写真画像の特性として示した、「かつてそこにあった」何かを指し示すという性質は、いまだに写真画像の本質をなしているのではないだろうか。かつてのフィルム写真の時代にも、写真の再現するものは撮影や現像のプロセスを経ていて、決して現実そのものではなかったのだが、それでも比較的人間の恣意が介在しない光学的化学的処理のおかげで、写真画像と現実との自動的な接続を保証していた。しかし、それがたとえ、写真がデジタル処理で事後的に加工修正が可能になっても、さらにまた写真がAIによって「いまだかつてそこになかった」何ものかの像を作り出したとしても、依然として、写真画像は「いつかどこかに」存在したであろうモノを指し示す。そしてそのことで見る者からモノの存在への信仰告白 Credo を引き出す。この存在物との絶ち難い関係は、画像表面上の形態の喚起する運動感覚以上に強く視覚を揺り動かす写真画像はモノやモノの置かれた世界を映像として再現描写するだけではない。存在物としてのモノと触れさせる。これまたバルトの言葉遣いを借りるなら、過去が現在に突き抜けてくるような「点」を持っているのである。写真の示すものは、たとえ一瞬前であれ今現在であれ、常に何らかの過去である。そしてその過去はフィクションではなく、現実に存在して今にはたらきかける過去である。そもそも「現実」という感覚は常に経験が構成して作ってきたものだが、いまやその経験された現実を作るものとして写真の機能するところは非常に大きい。それは知覚の証人であり、しかもたとえ偽証するとしても雄弁な証人である。「いまここ」にある写真画像は「いつかどこかに」存在したものだという動かぬ証拠であり、それが召喚するのは「かつてそこに」あるべきモノである。こうして写真は「いつかどこかに」「かつてあったはず」の過去を作り出す。過去があるから思い出すのではなく、写真が思い出すべき過去を、そしてまたその過去を振り返る現在を生み出すのである。言い換えるなら、写真は「かつて・そこに」あったものを事後生成し、触れられるほどの現実性を与える。

焼き物としての写真

「見るは触れる」展での多和田氏の作品に戻ろう。多和田氏の作品は展示空間を活用したインスタレーションということにとどまるものではない。それだけなら、その浮遊感ある展示の巧みさも、数ある出品者のなかのひとりとしての特徴でしかない。しかし多和田氏はインスタレーションということもさることながらとりわけ視覚そのものに内在する触覚性を強く感じさせる点で抜きん出ていたように思われる。彼女は3種の作品を展示していたが、いずれにも共通する2点がある。ひとつは画像が個人的な記憶と結びついている点であり、もうひとつは燃やすという行為を経ている点である。

個人的な記憶と結びつくというのは、たとえそれが報道写真や資料写真であっても写真には多かれ少なかれつきまとうものだろう。ひとりの人間は歴史を持っていて、自分自身の生い立ち、さらには親や祖先の過ごした時代など、現在の自分に繋がる歴史を写真画像の上に自然と見て取ってしまうしかし多和田氏の作品の喚起する記憶は時代や歴史というにはあまりに個人的なものである。まず、材料として使われる写真が私的な経験に結びついている。多和田氏自身の家族との思い出、多和田氏のワークショップに参加した者の個人的な関心や執着など極めて私的な範囲の物事が写り込んだ画像がさまざまに加工される。« I am in You » (2016-2022)では、プリントされた泡立つ波打ち際の写真画像から泡の部分を除いて水の部分だけが選ばれて焼き去られる。展示空間のおおぶりな構成に目を奪われずに、その焦げ目のついた紙の輪郭を細かく注視するなら、かつてあった過去の光景を思い出しつつ、ひとつひとつ手探りで確認するかのような作家の身振りが彷彿とする。また作家は母親と協働して画像を燃やすという仕事をしたそうである。そのことを知るや否や、作者自身の現在に繋がるものとして母親も大きな存在感を持ってくる。自分の過去を辿る作者の目と手の動きが母親のそれと二重写しになり、さらにはその手が母親の過去の記憶へと接続し延びてゆくかのような壮大な気の遠さを覚えさせる。« lachrymatory » (2021)では、多和田氏自身も含め数十名の多国籍の男女が持ち寄った、自分や家族・恋人・友人のポートレイト、日常のスナップ、携帯端末の画面などの画像の灰を釉薬に用いた小さな壺が並んでいる。ひとつひとつの壺は小さく、形も不揃いだが、それだからこそ、それぞれの体験の偏りや個性が凝縮して結晶したように見える。さらには遺骨や遺灰を収めたかのようにすら見えてくる。もうひとつの作品シリーズ « Family Ritual 11 » 〜 « Family Ritual 14 » (いずれも2022)も同様に、作者自身の家族関係や身の回りの生き物といった私的空間の写真画像が筋状に焼き切られて編み直されてできた、一種の肖像画のような作品である。かつてのローマ人たちが祖先の容貌を如実に写した imago(肖像)を身近において祀っていたように、家族の肖像を祀る祭礼の仮面のようにも見える。
こうして出現する私的な記憶が歴史的な物語と違うのは、やはりその強い現実性であり、どこかでだれかが物語った世界の話ではなく、かつてそこにいたはずの私の肉体的感覚を引き起こすという点である。祭礼の仮面がしばしば異界や冥界からの来訪者を肉化するものであるように、« Family Ritual » の、燃やされ、裂かれたのち、絡み合わされた写真紙片は、もはやかつての家族の歴史を物語る写真ではなく、生々しく今に突き刺さる過去へと変貌する。燃やすという行為は他の2つの作品でも共通していて、奇しくも « lachrymatory » が焼成した壺という形をとった作品であるように、写真術と焼き物とのつながりを思わせる。いずれも焼き付けることで像を強固にするのである。
燃焼ということ自体は日常的にありふれた化学反応である。しかし「燃やす」ということと「焼き付ける」ということは違う。焼き付ける、という場合、単にモノに酸素を結合させ分解発熱させるというのではなく、その結果生まれた新たな物質に耐久性を獲得させるのである。陶芸家が窯で焚いた陶器の硬質な表面と、写真家が画像を焼き付ける紙とは、どちらも絶え間なく流動して形を定めない世界のなかに、一定の確かなかたちあるものを与えるという点で共通している。勿論、写真画像の生成に高熱が必要なわけではない。しかし光により画像を固着するという過程はたしかに「焼き付ける」という語を思わせるし、「目に焼き付ける」という慣用句が示すように、このプロセスは知覚や記憶に強く働きかける。焼き付けられたものは、今を生きる人間にとって記憶の世界の入り口でもある。
しかし実は多和田作品での写真を「焼く」ということには、もうひとつ重要な含意がある。それは「紙を燃やす」ということに関わっている。有史以来、紙は筆記や印刷のために用いられてきた媒体である。すると紙を燃やすというのは、記憶の媒体を燃やすということでもあるのだ。焚書が記憶の遺産を破壊する手っ取り早い行為だったように、写真を燃やすということもそれに近い、記憶喪失の危うさを感じさせる。しかし多和田氏の作品では、それを敢えて燃やすことによって独特の効果が生まれている。紙を半ば燃やすことによって、燃やしきれないもの、消し去り得ない記憶が存在していることがあらわになり、しかもその記憶が熱にさらされ、焦げつき、変貌した肉身として目の前に突き出されるのである。« Family Ritual » で複雑に絡み合う、熱で焼き切られた紙片は、アリアドネーの糸のようにテーセウスの手を導き、記憶の迷宮をたどらせる。焼け縮れた輪郭の複雑な屈曲、微妙な陰影によって揺り動かされる視覚の揺動は、そのまま記憶の揺動する宇宙へと連続する。こうして、視覚の水準での水平的な運動と記憶の深みへの垂直的な運動とが炎によって結び付けられるのである。

目からは熱線が出ているのかもしれない。