(2018.02.05公開)
私は舞踊家なので道具といえば自分の肉体と言いたいところだが、さて。
肉体を酷使するダンサーのキャリアは短いと言われる。ただし、それは肉体の瑞々しさや跳躍や柔軟性などを最上とする考え方を採った場合だ。老いた体から醸し出される気配や存在感の美しさに私は憧れ、老いてゆくことを楽しみにしていた。誰もがそうであるように、私も毎年ひとつずつ齢を重ねてゆく。足首、腰、肩、首と順繰りに痛くなり、頭の中で創造していた美とは程遠いことに愕然とはするのだけれど。運動としてのダンス、言語としてのダンス、共同体のためのダンスなど、いろいろな方向からダンスは語られる。ダンスは、踊り手が存在し、その踊り手が動くことで成り立っている。いつもその解釈をあれこれ妄想してるのが私だ。踊り手の存在を考える時、私は自分の身体がただのガラスのコップと同じような存在になれるのかどうか、と考えたりする。踊り手の動きを観察し続けた先には、動きそのものの軌跡をどう留めるか、ということに興味が深まったりする。そうして、取り組めば取り組むほど極まらない。
2012年に初めてドローイングを発表した。紙、鉛筆、絵具、糸、様々な素材と向き合うようになり、指や皮膚や肘と手首の間のあたりに心地よい感じを届けてくれる素材に会うと、絵が自然に生まれてくるようになった。それはまさしく即興で踊る時の、その場の音や光の方向や空間の大きさなどが刺激となり、自分が動くスピードと同じスピードで何かが創造されてゆく感じだった。ダンスを絵や映像などカタチに残るものに変換できるようになってきたのだから、もっともっと追求したかった。それ以来、インスタレーションなどの制作を続けている。そうして、わたしが今取り憑かれているのが、ゼムクリップなのだ。振付家がダンサーに踊ってもらうように、私はゼムクリップに踊ってもらっている。きっかけは、2017年6月に参加させてもらった鳥取夏至祭だった。全国から集まってきた百戦錬磨のダンサーと音楽家が鳥取市内の袋川沿いでパフォーマンスに盛り上がりを見せていた傍らで、観客席に混じってスケッチブックに描いたドローイング・パフォーマンスから端を発した。それは誰からもパフォーマンスとして認識されていなかったので、野外パフォーマンスの最中のゾクゾクするエネルギーをゆっくり味わうことで、私の眼前には面白い線がどんどん描かれた。
自宅の近所に文具屋さんがあるのでゼムクリップを買いに行ったら、お気に入りのV型クリップは取り扱ってなかったが、3種類出してくれた。お店のお母さんは、紙が切れない形状になっているという最新のクリップをすすめてくださった。「私が欲しいのは、シンプルでちょっと錆びてしまった方なんで……」と言い訳しながら、昭和の香りのする紙箱に入った「ミツヤのテトンボ」というゼムクリップをジャケ買いした。そうやってゼムクリップが増えてくると、オールステンレスのものが欲しいとか、巨大なクリップを造ってみたいとか、私の物欲と想像力は止まらなくなってきている。ゼムクリップは、1本の針金を二重の楕円にしたような形状をしている。4箇所の直線状の部分と、3箇所の可動域を持つ部分があり、それは人間の体の骨と関節みたいだ。そのクリップを折り曲げたり開いたりすると、元の形とは別の形状にたやすく変化し、あっという間に小さな立体造形ができあがる。重力に合わせたポジションを見つければ、安定の佇まいとなる。逆立ちを続けることもできるし、正面を反対にすることもたやすい。ゼムクリップをダンサーに見立てた私のささやかな造形遊びは、やがてドローイングや映像などへ変換されてゆくのだ。普段はおおむね脇役で、書類を綴じる時に探せばどこかにある、縁の下の力持ちのような「ゼムクリップ」を主役に抜擢して正解だった。
宮北裕美(みやきた・ひろみ)
ダンサー / アーティスト
イリノイ大学芸術学部ダンス科卒業。「動かないダンス」と「モノそのものの動き」を追い続けてゆくうちに、即興パフォーマンスや視覚芸術の可能性を探り始める。2011年より鈴木昭男と共にサイトスペシフィック・パフォーマンスを続け、岡山県立美術館(2015)、城崎国際アートセンター(2016)、ImagoDeiフェスティバル(2017、オーストリア)などで上演している。近年、ダンサーとして活動してきた固有の時間感覚や空間感覚を美術表現へと持ち込み《Permanent Red》(2015、MediaShop、京都)、《point A ⇄ point B》(2016、ozasahayashi_project、京都)などのインスタレーションを発表。ART CAMP TANGOにアーティスト、キュレーターとして参加。『その日のダイヤグラム-丹後~豊岡 パフォーマンス列車の旅』(2017)などを手がける。