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アネモメトリ -風の手帖-

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#34

日本で育てる、モザイクの新しい文化
― 荒木智子

(2015.09.05公開)

カラフルなガラスや大理石のかけらを並べ、複雑な模様や絵画のような図柄をつくりだすモザイクは、古代より継承されてきた装飾技法だ。モザイク作家の荒木智子さんは、学生時代に訪れたイタリアで、モザイクで彩られた聖堂内の空間に圧倒され、心を奪われたという。それから数年後、ふたたびイタリアに渡り2年がかりで技術を習得した。荒木さんはそうして、東京で工房を始めたのである。日本でモザイクを仕事にしていく荒木さんの思いと取り組みについて伺った。

モザイコカンポロゴ

——荒木さんは、大学でモザイクに出会ったのでしょうか? はじめてモザイクを見たときのことを教えてください。

わたしがモザイクと出会ったのは、京都造形芸術大学で美術史を専攻していた大学3年生のとき研修旅行で行ったイタリアです。各地の歴史的な絵画とか建築、彫刻などを40日ほどかけて見て回る日程で、半日だけ滞在したラヴェンナというまちが“モザイクの首都”だったんです。
ラヴェンナは人口15万人ほどの地方都市ですが、世界遺産にもなっている千年以上前のモザイクが数多く残っています。今でもモザイクの工房やアトリエが軒を連ねていて、新たな作品も町のいたるところで目にすることができます。モザイクの質、量ともに優れているのでラヴェンナは“モザイクの首都”と呼ばれているんです。
天然の色大理石やズマルトという色付きのガラスのかけらを並べてつくるモザイクは、建物の外壁や内壁、床、天井などの装飾に使われます。荘厳な雰囲気を演出するためキリスト教の古い聖堂の内部には、モザイクでできた精緻な宗教画や模様が数多く残されています。
わたしはラヴェンナの聖堂のなかに立ったとき、壁や天井、床にほどこされたモザイクがつくりだす空間に圧倒されました。モザイクの素材は光を反射するので、見る角度や天候、光の加減によってきらきらと輝いて見えかたが変化します。また長い歴史や宗教などの独特の要素も一体になって、その場所自体が生きているように感じられました。その瞬間にモザイクに魅了されたんだと思います。

ラヴェンナのモザイク1 ラヴェンナのモザイク2

ラヴェンナの聖堂内部のモザイク。サンタポリナーレヌオーヴォ聖堂(上)とサンヴィターレ聖堂(下)

——なぜ魅了されたことにとどまらず、日本では一般的ではないモザイクに関わる仕事をしようと思ったのでしょうか?

わたしの地元は熊本県の北部にある小さな町です。古い運河が流れる商人の町で、実家は商店街にある商家でした。地方の商店街はだいたい同じ状況だと思いますが、跡継ぎが減ってどんどんシャッターを下ろす店舗が増えていますよね。わたしの地元も同じような状況で、幼いころから先細っていく商店街のようすを見ていると、自分のやりたいことは自分で探さなきゃってすごく思っていました。
もともと絵を描くのが好きで、高校生のときは実家を離れてひとり暮らしをしながら熊本市の美術科のある高校に通っていました。そして大学では美術史を学んでいたんですが、なかなか将来の仕事としてやっていこうとか、やっていけると思えるものに出会えませんでした。
そういった経緯があって、大学3年生のときに行ったラヴェンナで、モザイクに心を奪われて「これだ」と思ったんですね。大学を卒業してからも仕事が休みのときにイタリアに短期で行ってみて、モザイクに関わる仕事を「やっていけるのではないか」という感覚も得ることができました。

——荒木さんはモザイクをつくる技術を学ぶため、社会人になって2年後、イタリアへ渡ったそうですね。イタリアでは具体的に何をどのように学ばれたのでしょうか。

イタリアに渡り“ココモザイコ”というラヴェンナの工房で、オーナーでもある2人のモザイク職人、アリアンナ・ガッロとルーカ・バルベリーニに出会いました。工房はまだオープン直前で、道具や材料、設備などまだまだ準備段階でしたが、2人と話してみて彼らのモザイクへの情熱に惹かれました。それでわたしはこの工房の最初のコルシスタ(コース受講生)になることにしました。
工房では朝の9時から夕方の5時までモザイクの制作です。モザイクはさまざまな色の大理石やズマルトを砕いて、かけらを並べて模様をつくるのですが、ひたすらハンマーで石を割っていたり、古代の作品を模写した下絵があるのでそれをトレースしたりして、ほとんどモザイク漬けの日々を送っていました。
工房と風呂トイレ共同のアパートを自転車で往復する毎日でしたが、本当に充実していて幸せでした。日本に一時帰国した期間もありますが、そうした生活を合計で2年ほど経験してモザイク制作の知識と技術を学びました。

——日本ではまだ一般的ではないモザイクを仕事にするのは大変なことだったと思いますが、帰国後はどのようにモザイクを仕事にしていったのでしょうか?

日本に帰国後、1ヵ月ほど準備をしてモザイク工房“モザイコカンポ”を東京にオープンしました。生まれ育った地元も好きなのですが、モザイクで食べていくにはとにかく人の多い場所がいいと思ったので東京を選びました。
とはいえいくら人が多くても、モザイクがあまり知られていない日本では、注文を受けたモザイクを制作する職人として食べていくことは難しいと思っていました。そこで教室を開いて、生徒さんにモザイクの魅力とつくりかたを教えることから始めたんです。まずはカルチャーセンターにお願いして、講師として教室を持たせてもらいました。
最初のころは、わたしが住んでいたマンションのワンルームを教室にしていました。本当は教室と自宅は別々に用意したかったんですが、家賃の高い東京でそれだけの経済的な余裕はありませんでした。それでも生徒さんがモザイクづくりに専念できる環境を用意したかったので、部屋にはほとんどものを置かず生活感を消そうと心がけていました。特に台所は生活感出るので電子レンジはなく、小さな冷蔵庫があるだけでした。
生活のために始めた教室ですが、ひとにモザイクを教えることのメリットはそれだけではありません。生徒さんが作品を持ち帰ると、そのひとの家族や友人もモザイクがどんなものか目にすることになりますし、実物に触れれば魅力が伝わります。まだまだ日本では知られていないモザイクが広まっていくことに、仲間が増えていくうれしさがあります。

美術館で開講モザイク教室風景

4,5年ほど前から月に一度、世田谷の「村井正誠記念美術館」で開催しているモザイク教室

——教えるだけでなく制作活動もしておられるのでしょうか?

日本でも少しずつモザイクの魅力が広まっているように感じています。はじめは教室が中心でしたが、ご依頼いただいたモザイクの制作も手掛けるようになりました。最近ではJR大塚駅に付属している商業ビル、アトレヴィ大塚にモザイクを納めました。
「大塚らしいもの」というオーダーをいただいたので、依頼をいただいたデザイナーさんと相談して、大塚を走る“都電”や駅周辺に多い“バラの花”、アトレのイメージカラーである“ピンク”、町の雰囲気に合わせた“レトロさ”などをデザインに取り入れました。そして全部で30メートル近くある横長のモザイクを、足場に乗ってビルの入り口の上に施工しました。建築現場なのでヘルメットと安全ベスト、安全帯などが必須です。
モザイクは絵画というよりは建築に近くて、職人は通常お客さんから注文を受けた通りのものをつくります。それは昔の職人も一緒で、教会などの建物の壁や天井に、依頼されたものをつくっていました。丸い天井や窓の位置、オーダーの内容など、いくつもの制約があるなかで腕を見せるというのがモザイク職人です。モザイクというのは自由にできる要素が意外と少ない表現技法なんです。

アトレヴィ大塚での制作風景

アトレヴィ大塚でモザイクを施工する荒木さん。「マイヘルメットをかぶると、かなり気が引き締まります」

——制約の多いなか、制作の面白さはどこに感じますか?

制約があればあるほど仕事は大変ですが、それをなんとか克服しようと工夫するのも面白いですね。たとえば、絵の具のように色を混ぜられないので、微妙な色の変化は細かな破片を並べる必要がありますし、ひとつの線を描くのにも小さな点を寄せ集めたものになるので、図柄を表現する上でも自由にはできません。けれど何もない所にものをつくるより、いくつもの条件が拠り所になって意外なアイデアが生まれることもあります。
だからできることが限られていることも、モザイクの魅力なんです。石やズマルトなど、モザイクは素材が限定されていますが、これを割って並べる根気さえあれば誰でも作品をつくれます。また昔つくられた作品が気に入れば、同じ色の石やズマルトを、同じ配置に並べて、自分で再現することだってできます。これはリプロドゥツィオーネ(もう一度つくること)といって、モザイクの制作を始める際に欠かすことができない手法です。
過去の作品を再現していると、自分には全くゆかりのない、千年以上前の異国でモザイクを制作している現場に降り立ったような感覚があります。当時の職人が固い石を苦労して割った部分や、色が足りなくて工夫している部分などがみえてきて、彼らの作業を追体験できます。そうして千年以上前の職人の気持ちに共感することが、すごく大きな喜びですね。
また、モザイクはつくるのに時間がかかります。何週間か何ヵ月かの成果がずっと残る手編みのセーターみたいですね。ひと編みひと編みが、石を並べることと似ています。ただ、モザイクはセーターよりもさらに長い年月を越えて残りつづけます。
過去についてだけではなくて、その瞬間に自分がつくっている作品も、ひょっとしたらわたしが死んだあとも千年くらい残りつづけるかもしれません。制作中は、そうした過去、現在、未来が一体になった密度の濃い時間のなかに浸ることができます。

——荒木さんは現在、地元の熊本でも活動されているそうですね。東京と熊本、それぞれでやることは違いますか?

これからは地方が面白いと思っています。ローカルには東京にはないさまざまな特徴があって、地方から東京に情報が流れてくるようにもなってきています。
わたしの熊本の実家のそばには、古い石垣に囲まれた運河があって、そこに植えられ花菖蒲が咲く6月ごろ、お祭りが開催されます。石垣と花菖蒲を愛でる渋いお祭りですが、バスで観光客がやってきて小さなまちがにぎわうんですよ。またこのまちは、(のみ)の跡がわかる古い石垣や石畳、石橋が多く残る“石のまち”でもあります。
わたしはこれから地元にも、モザイク教室を開きたいと思っています。モザイク制作は、時間はかかりますが基本的には石を割って並べる単純作業なので、誰でも作品をつくることができます。子どもやお年寄り、障がいのあるかたとも一緒に制作したいですね。そして“石のまち”に新しく、石でつくったモザイクが広まれば面白いと思います。
実家がある商店街に、教室に程よい大きさの空き店舗を見つけています。シャッターを上げればすぐにでも始められるので、これは近いうちに実現したいです。
ただ、たくさんひとがいることや、大きな規模のモザイク制作の受注など東京での暮らしにもいい面があります。だから東京半分と地元半分という生活スタイルが理想です。そうして2つの環境を行ったり来たりして、モザイクの新しい文化をつくっていきたいです。

熊本のしょうぶ祭り会場

荒木さんの地元で開かれる「花しょうぶまつり」。昔の風情が残る石垣の水路に花菖蒲が咲きほこる

熊本の実家のガレージで開催ワークショップ1 熊本の実家のガレージで開催ワークショップ2

「花しょうぶまつり」の日に荒木さんの実家のガレージでモザイク制作のワークショップを開催した

——モザイクの新しい文化とは具体的にはどういったものでしょうか?

わたしがラヴェンナで圧倒された作品のように、モザイクはその土地の歴史や文化と密接につながっています。ラヴェンナにはラヴェンナのモザイクがあるように、日本にも独自のモザイク文化が育ってくれればいいなと思っています。
まずは日本の人々の生活のなかでもっと身近な存在になればいいですね。モザイクの特徴は、色あせることなく長く残り続けることですので、例えば家の壁にほどこしたモザイクを、その家の子どもや孫といった次の世代が見て育っていってくれると素敵ですね。
そうしてモザイクが生活に浸透すると、日本ならではの美意識やものごとの捉えかたが作品に表れるようになります。生まれたばかりの子どもの足型や、結婚式で飾るウェルカムボードをモザイクにした、教室の生徒さんの作品があります。どちらも外国では見られない日本の風習ですし、ずっと残しておきたいものですから長く色あせないモザイクにぴったりだと思います。

——荒木さんは現在どのようなモザイクを制作しているのでしょうか? また、これからつくりたいものはどんなものですか?

今年は、秋に東京で個展を開く予定なので、そのための制作を行っています。「ことばとモザイク」というテーマで、アルファベットをモチーフにしています。これはどこかから依頼されたわけではなく、純粋にわたしの好きなものをつくっています。アルファベットというモチーフの制約のなかで自由な表現に挑戦しています。
ようやく作品に没頭できる時間とお金に余裕ができてきました。ずっと心のなかでは本当はこうしたいっていう気持ちがあって、段階を踏んでかたちになってきています。これからもモザイクの魅力を伝えながら、制作を続けていきたいです。

作品1 作品2

個展に向けて制作した荒木さんの作品。モチーフとした言葉のなかに、色や素材、かたちをみつける

インタビュー・文 大迫知信
2015.7.31電話にて取材

工房での制作風景

荒木智子(あらき・さとこ)
1980年生まれ、熊本県出身。モザイチスタ。京都造形芸術大学芸術学部芸術学科卒業。同大学芸術学研究室勤務後、イタリア・ラヴェンナのモザイク工房 Koko Mosaicoにて伝統的モザイク技法を学ぶ。帰国後は東京と熊本を拠点とし、モザイク工房モザイコカンポを主宰。「生活とともにあるモザイク」をテーマに、モザイク教室の運営、商業施設や個人住宅へのモザイク制作などを行う。ギリシャ・ローマ時代からのモザイク文化と、近・現代日本独特のタイル文化を融合させて、持続性のある豊かな空間を生み出したいと考えている。今秋「荒木 智子 モザイク展」を画廊 一兎庵にて開催(会期:2015年10月25日(日)-10月31日(土)、住所:銀座1-9-8 奥野ビル201号室)。
www.mosaicocampo.com
http://blog.mosaicocampo.com

大迫知信(おおさこ・とものぶ)
工業系の大学を卒業し、某電力会社の社員として発電所に勤務。その後、文章を書く仕事をしようと会社を辞め、京都造形芸術大学文芸表現学科に入学する。現在は関西でライターとして活動中。