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アネモメトリ -風の手帖-

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“近くの頼れる親戚” のように 子育てする女性を支援し、環境を整える
― 森梨絵

(2015.05.05公開)

 共働き世帯が増えるなか、子どもの預け先が不足している。「kinit子育て環境開花事業」を運営する森梨絵さんは、小さな子どものいる家庭に直接出向き、1日だけでも面倒をみてほしいという母親たちの要望に応えている。現在20代半ばの森さんが、起業しようと決めたのは大学2年生のころ。卒業から1年後に事業を興し、年単位で決めた目標を達成しながら子育て支援に取り組んでいる。「この仕事をやめることは、呼吸を止めることと同じ」という森さんに、仕事への思いや子育てする女性たちの現状について伺った。

——森さんは京都造形芸術大学のこども芸術学科の1期生で入学されていますが、どのような思いで入学したのでしょうか?

もともと子どもが好きで、子どもに関わる仕事をしようと思っていました。自分がまだ小さいときから、もっと小さな子どもが好きだったんです。わたしにはひとつ下と7つ下の弟がいます。最初の弟がお母さんのお腹のなかにいるときに「あなたはお姉ちゃんになるんだよ」って言われて、わたしも8ヵ月の子どもでしたけど、とても楽しみにしていたことを今でも覚えています。ちょっと信じられないかもしれませんが、わたしにはそのころの記憶があるんです。小さなころから子どもがとても好きだったので、ずっと覚えているんだと思います。
わたしが1歳のときには、自分も離乳食になったばかりだったんですが、哺乳瓶に入れてもらった粉ミルクを振って、ほっぺたで温度を確認して、弟にミルクをあげるのが日課でした。それから親戚とか知り合いの子どもの面倒をよく見ていましたね。高校生くらいになると、子どもの扱いにあまりに慣れているのでわたしに子どもがいるって勘違いされたほどでした。
それほど子どもが好きだったので、保育士の他にも子どもに関わる仕事はないのかなと思っていました。そんなときに京都造形芸術大学のこども芸術学科を見つけました。実は私は子どもと同じくらい美術が好きで、小さなころからよく絵を描いていたんです。だから保育と美術がどちらも学べるこの学科に決めました。それに芸大の保育の学科の1期生だからこそ、従来の保育という枠にとらわれずにいろんなことが勉強できると思ったんです。

——在学中のこども芸術学科ではどのようなことを学ばれ、いまにつながっていますか?

入学してからは、保育士の資格を取るための勉強だけではなく、水彩画、彫刻、木炭画などのアートについて同時に学ぶことで視野が広がりました。
今につながっていることといえば、2年生のときに保育士になるための授業で、児童虐待の8割から9割が実母によるものだと知りました。その話に衝撃を受けて、なぜだろうととても疑問に思ったんです。お腹を痛めていない父でも血のつながっていない継母でもなく、ほとんどが実母だということが不思議でした。
それで児童虐待に関心を持つようになって、3年生のときに、児童虐待をなくそうと活動しているところに就職したいといろいろ調べました。でも、わたしの求める就職先はどこにもなかったんです。ただ、ボランティアの募集はありました。でもわたしがやろうとしている仕事をボランティアとして確立してしまうと、無報酬でもできることだと思われて、いつまでも子育ての地位が低く見られてしまいます。わたしは子どもの面倒をみる仕事にステータスを確立したいと思っています。だから、無償のボランティアではだめなんです。

——保育士などの子育てに関わる職業のひとたちが抱えている問題点について教えてください。

専業主婦で家で子どもをみているひとは「楽をしている」というような言いかたをされます。なぜそうなるのかというと、子どもを育てることは仕事として大したことじゃないと思われているからです。
例えば、保育士はたくさんの子どもたちの面倒をみる大変な仕事をしているのに、その労働に見合うだけの賃金が得られていません。簡単な仕事だと思われているから賃金が安いんです。これは大きな問題だと思います。結婚して子どもを持つことを考えるとお金がかかりますし、そのうち保育士が続けられなくなるんですよ。子どもが好きで保育士をやっているのに自分の子どもが持てないから辞めていくなんておかしいですよね。だからkinitはちゃんと利益を生む事業にしていきたいんです。そして子育てに関わる職業の地位を向上させたいですね。

kinitロゴマーク

「kinit子育て環境開花事業」のロゴマーク。卵を割ったところをデザイン

——森さんが立ち上げた「kinit子育て環境開花事業」は、具体的にどのような活動を行っているのでしょうか。

家庭に出向いて忙しいお母さん方のかわりに子どもの面倒をみるのがメインの活動で、時間制で代金をいただいています。場所は大阪を中心に関西で活動していて、子どもをみるのは基本的にわたしひとりです。子どもの数が多かったりすると、保育士の資格を持ったスタッフに手伝ってもらっています。内容としては、お母さんの短いパートの間だけとか、冠婚葬祭で1日だけ子どもを預かってほしいというような、保育施設や行政でも手がまわらない隙間の要望に応えています。
今の時期(年度のはじめ)に依頼されるのは職場復帰したいお母さんが多いですね。子持ちの主婦がいくら働きたいと思っても、企業からは保育所を決めなければ雇えないと言われ、保育所からは働いていなければ子どもを預かれないと言われるんです。すごく矛盾しているんですけど、これが実情ですね。ひと昔はそれでも大丈夫だったんです。自分の親や親せきが近くにいて仕事に慣れるまで子どもを見てもらうことができたからです。
特に、今の女性は結婚を機にだんなさんについていって、知らない土地で、周りに友達が誰もいない状況で初めての子育てがスタートするケースもあります。だから今は子育てがしづらい環境なんですよ。それで虐待まではいかなくても、子育てで問題を抱えている女性は多いですね。
好きなひとと結婚して、妊娠して子どもを産んでという過程は、幸せなことなんだけど、自分の好きなことをあきらめないとできなくなってきています。周りに助けてくれるひとがいないので、働けなくて経済的に厳しくなったり、ずっと自分で子どもの面倒を見ていて他のことをする時間が取れなくなったりするんですよね。
企業からも保育施設からも相手にされず、周りに親や親せきがいない状況で子どもを産むと、その瞬間から社会から切り離されることになります。そうすると自分が居てもいいと感じられる場所がなくなってしまいますよね。だから子育てには周りの環境が重要だと思うんです。

出張保育1

出張保育3

出張保育の様子。森さんは他人の子どもでも近くの親戚のように親しみを込めて世話をする

——kinitでは今の子育ての状況を知ってもらうための活動も行っているんですか。

はい。kinitでは現場で子どもの面倒をみることの他に、子育ての環境を改善するために情報を発信するプロジェクトも手掛けています。そのプロジェクトは「ままのうぶごえ」といって、メンバーを募って事業を行います。その第一弾として通信アプリLINEのスタンプを作って販売するんです。今回は大阪市立デザイン教育研究所という専門学校の学生と、いろんな育児経験をされている女性とわたしのコラボで、育児上で困ったこととか感じたことをスタンプにしています。ちょっと言いにくいことを代弁してくれたらいいなってことを集めました。それで実際の子育ての環境はこうなんだよってことが広まってほしいと思います。
先ほど、結婚して妊娠して出産するという一連の流れが他のひとに伝わっていないということをお話ししました。だから、そのときに感じていることを表現できないかと考えて、陣痛や出産の痛みを造形物か絵画で表すプロジェクトを計画しています。妊娠して10ヵ月後に陣痛と出産の痛みがあって子どもを抱くってすごいことですけど、あらかじめそのときの感覚は経験することはできませんよね。アートでそれが表現できて少しでも伝わればいいなって思うんです。ひとりひとり、陣痛と出産でどちらが痛かったのかとか、その痛みの感じ方って全然違うんですね。それで制作は出産経験のある女性たちにお願いして、それを展示しようと考えています。

プロジェクト

(上)子育ての環境を改善するために情報を発信するプロジェクト「ままのうぶごえ」。学生やお母さんたちと一緒に作業を行う(下2点)LINEスタンプのデザイン案と作成したスタンプ

——起業して、ご自分で仕事を生み出していくのは大変だったと思いますが、どのような苦労があり、解決していけたのでしょうか?

事業を立ち上げるとき「若いくせに」とか「子どももいないくせに」など、苦言を呈されることを想定していました。だから何を言われてもくじけないキャリアと精神を培おうと思って大学卒業後は2つの場所で働きました。まずは1年間、虐待を受けていた子どもたちがいる児童養護施設で働いて、虐待に関する現場の知識や対応方法を身に付けました。その後はまた1年という期限を設けて、強い精神を養おうと思って、わたしが知る限りでいちばん厳しいアパレル業界の会社に就職しました。
その会社はノルマがとても多く、仕事の成果は数字で表されました。苦手な分野で1年働いたんですが、思ったように成長できていないと感じてもう半年働きました。その会社には全国の店舗の数千人のスタッフがお客さんの投票で評価される接客のコンテストがあるんですが、わたしは10位になった後、5位を半年守ったんです。苦手な仕事に耐えて、全国5位になった経験が、今何を言われてもへこたれない自信につながっています。

——森さんが自ら望んで経験した苦労は、今の仕事を続けていくためなんですね。

そうですね。今の仕事がすごく好きです。だから辞めたいなんて一度も思ったことはないですね。わたしからこの仕事を取ったら何も残らないというか。呼吸を止めるのと一緒で、続けていくことしか考えられないです。この仕事は生きがいですね。
子どもと関わるこの仕事を続けるために、起業しようと決めた大学3年生のころに、30歳までのプランを考えたんです。アパレル会社で働いて強い精神を培うというのもそのひとつです。今の段階はプロジェクトを成功させることと、事業を確立する時期ですね。

——子育てに関わる仕事をしていて、どんなことに喜びを感じますか。

kinitのパンフレットに「近くに頼れる親戚ができた」と載せているんですが、これはあるお母さんにkinitの仕事内容の説明をすると、そんなふうに言ってくれたんですね。わたしのやっていることはまさにこれだと思うんです。ただ、お金をもらって子どもの面倒をみるんじゃなくて、子どもやお母さんたちと深く接して、子育ての環境を改善する方法を一緒になって解決していこうとしています。そして、kinitのお陰で無理だと思っていた職場復帰を果たせたとか、新しい仕事につけたと言ってもらえたとき、「お母さん」たちの役に立っていると実感できますね。以前kinitを利用してくれたお母さんに「子どももkinitを楽しみにしているから、安心して急な出張や残業を引き受けられます」と言ってもらえたのは嬉しかったですね。プロジェクトでは「出産や陣痛の痛みについて聞いてくれて、個人で抱えている思いが共有できて嬉しい」という声があって、この仕事をやっていてよかったと思いました。

——これからどのような子育ての環境をつくっていきたいですか。また、今後の目標について教えてください。

いちばんは、お母さんを含めて周りのひとたちが助け合える環境ですね。みんなコミュニケーション能力が低下していると思うんですよ。何かあったときの感情や気持ちをうまく説明できればうまくいくんじゃないかなってことが多々ありますね。
例えばデジタル化しているものの一部は、アナログに戻したほうがいいと思います。いまお母さんが何か困ったときにネットの情報に頼って、余計に不安になっていたりするんです。子どもが何歳でしゃべったとか、立ったとかいう情報を見て、自分のところは違うと思って悩むんです。でも、みんなそれぞれ違うってことを誰かが言ってあげれば、それだけで安心できます。
お母さんはふだん、子どもかパソコンとしか向き合えていないんです。もっとひととひとが会話できるオープンな環境が必要です。そしてお母さんが向き合える相手の幅を増やしていければいいですね。kinitでそのためのお手伝いをしていきたいです。

インタビュー・文 大迫知信
2015.3.31電話にて取材

森さんプロフィール

森梨絵(もり・りえ)
1988年兵庫県生まれ。2011年、京都造形芸術大学こども芸術学科を卒業。保育士資格を取得。学生時代に児童虐待に関心を持ち、福祉施設に通い始め、児童虐待をなくすための会社設立を決意する。卒業後は児童虐待の現状を知ろうと、児童養護施設に調理員として就職。その後、経営や経済について学ぶためアパレル会社に転職し、2013年よりkinit子育て環境開花事業を始動。2015年から、現場の声や現状をクリエイティブに発信するプロジェクト【ままのうぶごえ】をスタートする。

大迫知信(おおさこ・とものぶ)
1984年大阪府生まれ。工業系の大学を卒業し、某電力会社の社員として発電所に勤務。その後、文章を書く仕事をしようと会社を辞め、京都造形芸術大学文芸表現学科に入学する。現在は関西でライターとして活動中。