アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

TOP >>  特集
このページをシェア Twitter facebook
#5
2013.05

新潟 「エフスタイル」がつむぐ、あたたかな「循環」

後編 作り手、売り手、そして伝え手

3.「壁もの」と呼ばれて
〜 新潟・くつ下工房(1)

p3-IMG_5304

くつ下工房の工場にて。細い糸が靴下に編み上げられていく様を目の当たりにし、靴下1足にいかに多くの工程と労力がかかっているかを肌で感じた

p3-IMG_5315

10年以上使っている靴下の編み機。データはカセットテープでセットする

p3-IMG_5028

くつ下工房製の「ゴムが入っていない、ふんわりしたはき心地の靴下」「ガーゼな靴下」はエフスタイルの不動の定番

穂積繊維工業のHOUSE doggy matを見かけ、エフスタイルに「一緒に靴下を作りませんか」と連絡をしたのは、新潟県五泉市に工場をかまえる「くつ下工房」の上林希久子さんだ。

「カットボス」という、靴下の裏側に図柄の糸を渡しっぱなしにせず、カットしながら編み込む靴下(横伸びを妨げず、不定形な柄も織り込めるという利点を持つ)を得意としていた上林さんは、HOUSE doggy matの犬のマークをベビー靴下に入れたら面白いのではないか、と思い、エフスタイルの事務所へと足を運んだ。

「でも、今思えば、それは口実だったかな。本当は、エフスタイルの事務所が新潟にあるということを知って、彼女たちに会ってみたいな、って思ったんです」

上林さんは、くつ下工房の2代目。その前身は、父が経営していた会社だ。日本の靴下産業は、戦中の軍事用品として一気に需要を得て、戦後盛んになった。上林さんの父も海軍にいたが、終戦と共に職を求めて東京へ。理数系が得意で器用だったため、靴下の機械をつくる工場に就職した。その後、紡績会社などに商品用の靴下サンプルを提案・製造する会社を起こし、それを機に新潟に工場をかまえた。

その会社では、主に大手メーカーやデザイナーズブランドの靴下を生産していたが、不況の波と共に靴下業界の景気も落ち込み、8年前に工場の閉鎖を余儀なくされる。大学を卒業してからそこで働き、会社の進路を委ねられた上林さんは途方に暮れるが、まるで天から「靴下をつくり続けなさい」と言われているかのような出来事に見舞われる。

「うそのような本当の話なんですが、いつも苺を買いに行っていたおじさんにある日、現実的なことを相談しました。たくさんいろいろなことがありましたが、おじさんは『あなたは靴下を作り続けなさい』と方法を考えて力をくださいました。まったくの赤の他人の私に手を差し伸べていただき、現在があるのです」

そして、それまでの取引先にも助けられた。

「それまで取引をしていたところが、ずっと切らすことなく私に仕事をふり続けてくれたんですよね。もちろんその中には、エフスタイルもいました」

エフスタイルとしても、上林さんの作る「ゴムが入っていない、ふんわりしたはき心地の靴下」はすでに定評のある代表商品で、なくなることは考えられなかった。「こんなに良い靴下がなくなるはずはない。そんな、妙な自信がありましたね」とは取材に同行してくれた星野さんだ。

そうして再出発した上林さんは、大口受注の靴下ではなく、小ロットのオリジナル企画の靴下に注力するようになる。しかし、その靴下は、業界的には「まったく売れない靴下」。靴下は長らく「壁もの」と呼ばれ、棚に平置きするまでもない安価な商品として、壁にずらりと靴下を掛け、壁1枚いくらで買う世界なのだ。つまり、とにかく視覚に訴える製品を安く仕上げ、数を売らないと成り立たない世界。長く履いて初めてわかる、履き心地重視の上林さんの靴下は、従来の市場では売り方が難しい商品だった。

そこで上林さんは「自分で売りに行った」。「行商」である。幸いにも、くつ下工房の靴下は「新潟産物指定商品」に認定されていたため、新潟県がバックアップする東京各地の物産展などで、売り場を得ることができた。しかし当然、遠方での行商活動と製造工場を回す作業をひとりでまかなうことはできない。苦悩の中、とにかく歩みだけは止めずに、模索する日々が続いた。