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#204

「翳りなく、白く、清潔で、人工的な」
― 池野絢子

「翳りなく、白く、清潔で、人工的な」

(2017.02.26公開)

余計なもののない広々とした空間に、真っ白な壁。そこに絵画が一枚一枚、同じ高さに、適度な間隔を保って掛けられている。ギャラリーや美術館に通う人ならお馴染みの、いわゆる「ホワイト・キューブ」である。
芸術家・批評家のブライアン・オドハーティは、1976年『アートフォーラム』誌上に発表した一連のテクスト群(後に、1986年までの論考とあわせ一冊の本としてまとめられた)において、今や白い空間こそが、どんな絵画にもまして20世紀芸術の原型的イメージを示していると述べた。その「翳りなく、白く、清潔で、人工的な」空間にあって作品は、(オドハーティによれば)中世の教会がそうであるように、外界から完全に遮断され、時間の推移からも宙吊りにされて、一つの完結した存在として自律性を獲得することになる。
オドハーティは、そうした空間が、一見したところの中立性とは裏腹に、実はモダン・アートの論理と深い関係にあることを明らかにしてみせた。要するに、ギャラリーの白い壁は、事物をあらゆる外的文脈から切り離して「芸術作品」として成立させる装置なのである。たとえば灰皿一つとっても、ホワイト・キューブのなかに置かれるやいなや、それは煙草を吸うための道具ではなく、かたちという美的価値によって規定される「芸術作品」に変貌する。だが、そのようにして芸術作品として見ることは、あくまで近代以降に生まれてきた一つの「ものの見方」である。その意味で、ホワイト・キューブとは、実はけっしてニュートラルなものではない。

オドハーティが30年以上前に提起したその議論は、美術館という制度に潜むイデオロギーを暴露し、その後の芸術研究に大きな影響を与えた。だが実際のところ、ホワイト・キューブとモダン・アートの歴史は、もう少しばかり複雑で、様々な脱線や脇道をはらんでいるのではないか、と最近感じることがある。それは私がイタリアという、近現代美術のなかでは周縁的な地域を研究のフィールドにしているせいかもしれない。もちろん、イタリアにもホワイト・キューブは存在するのだが、そもそも山のような文化遺産に囲まれ、様々な時代の遺物が重なりあうその国で、いったいどのようにしてホワイト・キューブが生まれ得たのだろうか。私の手には余る大きな問題だが、最近読んだフランスの美術史家パトリシア・ファルギエールの研究が非常に示唆に富むものであった。
「翳りなく、白く、清潔で、人工的な」2ファルギエールによると、イタリアの美術館が大きく変貌するのは第二次世界大戦後、1950年代にかけてのことである。この時期、大戦下の爆撃で使用不能になった美術館が復興されることになる。
もっとも、そこからまったく新しい姿の美術館が建設されたわけではない。イタリアの美術館に関する特殊な事情の一つは、もともとその多くが、城、修道院、貴族の館といった既存の建物の内部に設置されていることであった。したがって、多くの場合、近代的美術館の確立は、新しい建物を建てるのではなく、それら既存の建物の内部を「近代化する」という方法で確立されることになった。この時期、議論を巻き起こしつつも現代建築家たちの手によって、ヴェローナのカステルヴェッキオ博物館、ヴェネツィアのアカデミア美術館(いずれも建築家カルロ・スカルパ)、ジェノヴァのパラッツォ・ビアンコとパラッツォ・ロッソ(フランコ・アルビーニ)、ウフィッツィ美術館のジョットと13世紀画家たちの部屋(スカルパ、ジョヴァンニ・ミケルッチ、イグナツィオ・ガルデッラ)などの美術館が「近代化」されている。
「翳りなく、白く、清潔で、人工的な」3ミラノの建築家グループBBPR(バンフィ、ベルジョイオーゾ、ペレッスッティ、ロジャース)がスフォルツェスコ城の改修にあたったのも、ちょうどこの、美術館に革命が起きていた時期であった。彼らは、ミケランジェロの未完の傑作《ロンダニーニのピエタ》(1552-64)をスフォルツェスコ城内の古代美術館に新たに設置するにあたり、順路の最後を締めくくる部屋(ロンバルディアのルネサンス彫刻にあてられている)を改造し、そこに一種の「壁龕」を新たに据え付けた。鑑賞者は、順路にしたがってこの部屋にたどり着くと、灰色の砂岩でできたその「壁龕」のちょうど背後を見ることなる。そこから壁の向こう側へと回り、その中へと入り込んで初めて《ロンダニーニのピエタ》に対面することになるのである。このような配置は、《ロンダニーニのピエタ》を他の展示物やそれが置かれている空間から独立させる効果を有している。とはいえ、使われている素材からしても配置からしても、こうした展示を「ホワイト・キューブ」に分類することはおよそ不可能だろう。
ここでは一例しか紹介することができないが、戦後に手掛けられたこれら美術館の事例を見比べていると、一口に美術館の「近代化」とは言いにくい。もちろんそれは、手がけた建築家の個性の問題でもあるだろうが、ある空間が芸術作品の新しい「見方」を提出すると言うとき、そこには、美術館の管理者、美術史家、修復士といった、その当時の、複数の人間の「眼」が介在していることもまた、忘れてはならないだろう。実際、こうした新しい美術館の背景には、美術館を学校として考えるという、戦前のモダニズムに由来する教育的発想や、芸術作品の自律性をめぐる同時期の美術史の言説の存在が見え隠れするのだが、ここで速断するのは控えよう。いつか機会があれば改めて考えてみたいと思っている。
「翳りなく、白く、清潔で、人工的な」4ところで、《ロンダニーニのピエタ》は、2015年のミラノ万博開催にあわせて、それまで60年以上設置されていた場所から「新しい家」へと移された。2017年現在、私たちがこの彫刻に出会うことができるのは、同じスフォルツェスコ城の一角に新たに設けられた別の空間である。フレスコ画の残るこの部屋は、16世紀のスペイン統治下に病院として利用されていたもので、建築家ミケーレ・デ・ルッキの手によって《ロンダニーニのピエタ》を収める美術館として新たに設営された。以前のように彫刻を取り囲む「壁龕」は存在せず、広い空間の中央部に彫像が一体置かれた状態である。そうした空間的配置だけではなく、死んだ我が子を抱える母の像を、かつて負傷者の手当てをする病院だった場所に設置する以上、場と作品との、意味上の連関もまた意図されていることは明らかだ。誤解を恐れずにあえて言うならば、この展示方法は《ロンダニーニのピエタ》をいわばサイト・スペシフィックな作品として再提示しようとしていると言えるかもしれない。
もっとも、この展示方法が恒久的なものになり得るのかどうかはまだ、誰にもわからない。さて、今後50年、あるいは100年を経たとき、私たちはこの彫刻と、どのようなかたちで対峙することになるのだろう。

興味を持たれた方に:
O’Doherty, Brian, Inside the White Cube: The Ideology of the Gallery Space, Expanded Edition, Berkeley: University of California Press, 1999

スフォルツェスコ城公式サイト
https://www.milanocastello.it/en

上記以外の参考文献:
Falguières, Patricia, “Politics for the White Cube: The Italian Way,” Grey Room, No.64, summer, 2016, pp.6-39
Tafuri, Manfredo, Storia dell’architettura italiana: 1944-1985, Torino: Einaudi, 2002(1982)
“Milano, la Pietà Rondanini cambia casa al Castello: il nuovo Museo apre ExpoinCittà,” Repubblica Milano, 17, aprile, 2015.(2017年2月26日閲覧)

図版キャプション:
図1 ロヴェレート近現代美術館、2016年
図2 スカルパ、ミケルッチ、ガルデッラの設計によるジョットと13世紀画家たちの部屋の展示の様子、ウフィッツィ美術館、1957年、撮影:パオロ・モンティ
図3 BBPRの設計による《ロンダニーニのピエタ》展示の様子、スフォルツェスコ城、1956年、撮影:パオロ・モンティ
図4 スフォルツェスコ城内、ロンダニーニのピエタ美術館、2016年

図版出典:
図2、3 Wikimedia Commons(2017年2月26日閲覧)