アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#15

電ドラ
― 東島毅

(2014.02.05公開)

絵であるための物理的な要素として3つある。おおよその割合として、まずは絵の具1/3、次にキャンバス1/3、そして木枠1/3(その他も少しはある)。絵は、木材の上にキャンバスをはって絵の具をのせて絵にする。表面あるいは最終表層の成立が絵画としての存在価値を左右する。薄いキャンバスにのせられた絵の具の積み重ねが、画面として個々の作品を成立させる。うまくいくときもあれば、そうでないときもある。たまたまの集積を自分の手の届く範囲で、偶然に組み合わせて成立させている。

そのたまたまの結晶を支える基底材である木枠、この木枠を僕は自分で作っている。そしてその木枠を作るとき絶対に必要な道具が、電動式ドライバー、略して電ドラ、インパクト・ドライバーである。電ドラという道具は、僕の絵づくりの一部でもある。

昔は市販の木枠を使っていた。形にしてもいわゆる定型サイズのF、P、Mで事足りていた。そんなものだと思っていた。それが変わったのは、海外へ行ってからである。一から自分の好み(大きさ、形、厚みなど)の木枠を自分で作るようになった。学生として滞在したロンドンでは、住んでいたアパートの壁サイズ、259×202cmの木枠を作ることから始まった。通っていた大学には木工室workshopがあり、テクニシャンが常駐して木枠づくりのhelpをしてくれた。そういえば、そのサイズでは、手回しの普通のドライバーを使っていた気がする。時間があった。学生でぼちぼちやっていた。電ドラも探せばあったのかもしれない。
次に住んだNYでは、自分仕様の木枠をオーダーするようになった。プロでなくとも誰もがオーダーできる木枠制作工房があったからだ。そのような環境にあって、頑丈でインチ単位のオーダーができ、しかもまるで自分がプロになったような気にさせてくれる立派な木枠を、値段はとても高かったが、どんどん注文した。それを自分で組み立てるため、電ドラを使い始めたのだった。かなりタフに使っていた。材料の調達のためHardware shopとLumber shopにはよく通った。

木枠のサイズや形を自由にしたことで、僕の作品はすこしずつ大きくなっていった。そして木枠を自分で作るようになって、絵を描くというより自分で自分の絵をbuildしていくようになった。言い換えれば、絵を構築するような作品を構想するようになっていった。

それから日本へ帰り、僕の絵のサイズは、NYの頃よりさらに大きくなった。木材を購入して作る。木枠の作り方も改良されていった。1枚のキャンバスとしては(組作品ではなく)、10トントラック・ウイング車に入れて運び込めるほぼ限界サイズを制作することもある。10トントラックの荷台は長さ10m弱、高さ2m50までなので、僕の絵の最大サイズも自ずと決まる(幅9m×高さ4m50)。それがトラック輸送可能なギリギリのサイズである。ただ高さはそのままだと入らないので、キャンバスすなわち木枠を「二つ折り」にする。「二つ折り」用の木枠は、主に大きな作品用で、たくさんの桟を入れる。
木枠の大きさを保持し、木枠の形(縦横の比率など)を、木材を組み合わせて作る。木と木を固定するためにビス留めをする。電ドラで大量にビス打ちする。また展示作業ではまずその二つ折りを開いて再びつなぎ合わせるため、ガンガンビス打ちする。
ビス打ちはけっこう重労働なので、電ドラもタフなものがよい。今使っているのは、いわき市立美術館の展示でお世話になった地元の大工の親方S氏が使っていた電ドラの最新モデルである。その時は全長約20mの作品を壁面にかける造作のため、電ドラの音が会場中に鳴り響いていた。S氏は電ドラをインパクトと呼んでいた。インパクトの音に惚れていた(と思う)。自分の仕事にとても誇りを持っていた。おれがこのでかい絵を壁にかけてやる!と。

作品を制作するということは、展示までを含めたあるひとつの時間と空間の構築だと思う。絵である作品。作品という絵。僕にとって木枠をつくることは絵を考えることである。それは準備運動でもありdrawingでもある。ものを生み出す建築者(設計者ではなく)builderとして僕は制作する。

床に置いたままの作品や、たとえば7mサイズの作品を壁面にかけるときは、木枠だけでも相当重い。大きさに耐えられる強度が求められる。また画面の面積との釣り合いから絵の厚みを決定することもある。薄いほうがかっこいいのか厚いほうがかっこいいのか、などを検討する。あるいはななめに壁に立てかける作品やわざとゆがみを残す作品など展示された状態をイメージした作品。それらが制作アプローチや作品構想に連動していく。ときどき絵を生きている人のように感じることすらある。
だから人に頼んでも仕事の微妙な感じを伝えきれないので、自分で木枠を作る覚悟を決めた。もろもろを考えると失敗してもあきらめがつく。うまくいくときは、木枠の雰囲気からだいたい絵の方もうまくいくことが多い。うまくいくときもあれば、そうでないこともある。それがわかる。むしろ、うまくではなく、なんとなく、を大切にしている。僕にとってのspontaneouslyの美徳、あいまいな美徳である。

僕は絵づくりをする。絵を描くときにはすごく悩むけど、木枠づくりはいったん決めたらどんどんやる。電ドラはその気持ちをドライブする。

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東島 毅(ひがしじま・つよし)
画家、京都造形芸術大学美術工芸学科教授。1960年、佐賀県生まれ。1986年、筑波大学大学院修士課程芸術研究科美術(絵画)専攻修了。1988-90年、ロータリー財団奨学生として、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(ロンドン)美術学部絵画専攻修士課程在籍。90年代以降は、ニューヨークやベルリンなどで滞在制作を経験。油彩を使った作品を主に制作する。近年の展覧会は「オオハラコンテンポラリー」大原美術館(岡山、2013)、「東島毅展ーキズと光が重なる」ギャラリー白(大阪、2013)。また、「冬のみず、山あるき 東島毅+本間健 展」を2014年2月16日まで岩手県立美術館にて開催中。