(2021.03.05公開)
20代後半ぐらいから、展覧会に向けて制作をすることにあまり興味が持てなくなりました。とはいえ、作りたい気持ちや見せたい気持ちがなくなったわけではなく、何か作ったときやまとめたいことが出来たときは、ポストカードにして知人友人に送るようになりました。
ほぼ同じ時期に、作ったものに合わせて箱も作るようになりました。箱の形を考え、仕上げていく作業は、作ったものに向き合う時間でもあり、小さな展覧会をするような感じで楽しいです。箱があることで保管も楽しくなり、作ったものを残すようにもなりました(それ以前は、完成してしばらくすると捨てていました)。
箱を作るときに欠かせないのが刷毛です。
まず、水張りテープに水を含ませる作業に使います。水張りテープは片面に糊加工がされた紙製のテープで、水を含ませることで粘着力が復活します(切手をイメージすると分かりやすいと思います)。このテープを使って箱のベースを組み立てます。テープ幅より太く、水をよく含む刷毛が向いています。
次に、箱に布を貼る作業に使います。厚紙に刷毛で糊を均一に塗り、布に重ね、体温(手)でゆっくり固定します。糊が厚すぎると布の表面に糊が滲み出てしまい、薄すぎると布が浮いてしまうので、糊の具合を確認しながら慎重に進めます。糊は粘り気のあるでんぷん糊をそのまま、もしくは木工用ボンドを混ぜて使います。力を入れても乱れず、糊も練りやすい硬さとしなり(コシ)のある刷毛が使いやすいです。
薄い布を使う場合は、箱に貼る前に裏打ち(裏から紙を貼って補強)することもあります。早く箱を仕上げたくて面倒に感じるときもありますが、裏打ちでパリッとなった布を見ると、気持ちが明るくなります。
私はどの作業にも同じ4センチ幅の刷毛を使っています。特に細かい部分に細筆を使うときもありますが、ほぼこの刷毛一本で仕上げます。
この刷毛は、もともとは高校の美術の先生のものでした。全体に着いている色は、その先生が使っていたときのものと、私がアクリル画を描いていた頃のものです。もらったのか、借りてそのままになってしまっているのか、30年も前のことなので思い出せません。借りたままだったらごめんなさい。
その先生は、授業のない日は美術室や準備室で自分の制作をしていました。ある朝、デッサンをするために美術室に行くと、先生が制作をしていて驚いたことがあります。内側から鍵をかけ、リクライニングチェアまで広げ、すっかり先生のアトリエ化していました。
私が通っていたのはデザイン科だったので、美術や技術(陶芸や木工、写真など)の授業が多く、先生のうち何人かは個人制作もしていました。高校に入るまでは、作家活動をしている大人はみんな作家専業だと思っていたので新鮮でした。
この刷毛で作業をしていると、高校生の頃のことを思い出します。
ただ描くのが楽しかった気持ちを思い出す……だといい話なのですが、私の高校生活は、担任に気に入られすぎて進路や技術指導をまともに受けられなかった、しんどいものでもありました。その苦い気持ちも合わせて蘇ります。
当時の先生たちは今の私より若かったと思うと、不思議な気持ちになります。めっちゃ大人やと思ってたけど、そんなこともなかったな……。
長年使ってきたこの刷毛も、2年ほど前から毛がどんどん抜けるようになり、先も細くなってきました。作業をする度に、さすがにそろそろ引退かな……と感じます。画材屋やホームセンターで後任を探してみてはいるものの、毛が細すぎたり柔らかすぎたり、なかなか同じようなものに出会えません。抜けた毛をピンセットで取り除きながら使い続けています。
この機会にもう一度探してみようかと、持ち手にある文字を頼りにネット検索もしましたが、見付けられず……。目が疲れて寝転んでいるとき、ふと、先生は大学で油画専攻だったと言っていたことを思い出しました。
早速、画材屋の油彩コーナーに行ってみたところ、ありました、ありました、求めていた硬さの刷毛が。そうか、油彩用の刷毛だったのか。
このエッセイのおかげで、この刷毛も引退になりそうです。
池内美絵(いけうち・よしえ)
美術家。1973年 愛知生まれ、愛媛育ち。 京都、大阪を経て、神戸在住。カードや小冊子の作成など、展覧会という形にこだわらない活動を続ける。2005年から2016年にかけて、約600匹のヤスデを飼育。「KOBE喫茶探偵団」(2013年~)、博物館を楽しむための活動「MUSUME」(2016年~)など、部活のような活動も行う。
池内の近況など
http://www.yoike.net