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アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#93

隠喩する本:束見本
― 仲村健太郎

(2020.09.05公開)

Tsukamihon

本を作る・デザインするプロセスの中で、「造本」という過程がある。レイアウトよりもずっと前に行うもので、書いて字のごとく「本の造り」を考えるものだ。
造本では、サイズやページ数はもちろん、どんな紙がいいか、その紙にどんなインキを使うか、といったさまざまな要素を選んで決めていく。出来上がると一冊のまとまりに見える本も、カバーから本文まで、いくつかの紙の組み合わせによって出来ている。こうした色々な要素を決めた後、印刷所と製本所にお願いし、「束見本(つかみほん)」という本の模型のようなものを作ってもらう。ちなみに束とは、印刷用語で本の背幅のことを指す。
実物の本とまったく同じサイズと厚み、そして重さを持ち、文字や図像がぽっかりと抜け落ちたもの。無地のノートのようにも見えるもの。普段本を作る人だけが目にするこの束見本はいったいどのようなはたらきを持つのだろうか。

そもそも、なぜ束見本を作るのか。束見本は名前の通り、本の束を測るためのものである。例えば表紙のデザインは表紙・裏表紙・背表紙とバラバラにつくるのではなく、一つにまとめて作る。そのため、背表紙の束幅を間違えてしまうと表紙と背表紙の図柄はズレてしまう。

そういった物理的な測定器としてのはたらきの他に、感化的な、つまり造本が読み手の心理にどのようにはたらきかけるかを測る物差しとしても機能する。本の持つ重みやさわり心地、めくり心地。バラバラの紙が一冊に綴じられ、連続して手で触れることで生まれる印象。そうした「紙」が「本」になった時の質量や質感をはかる道具でもある。
ここで重要なのは、質量があるから良い本だとか、質感があるから良い本だというわけではないということだ。携行して読む本は軽いほうがいいし、チラシのようなツルツルの紙で造本されていても魅力的な本はある。
本の造りや形式だけで本が成り立たないように、本の中身・内容と形式は常に結びついている。内容と形式がどのような関係性を持って本が存在しているか? ということが、造本で一番大切なことだと私は考えている。

では実際に造本の作業はどのように行っているのか。つくる人それぞれの力点があると思うが、私の場合は考え始めると作業場の小さな机が紙やインキの見本帳ですぐにいっぱいになってしまう。それは単に自分の経験の浅ささゆえに、紙のわずかな違いに拘泥しているだけなのでは……という反省もあるのだが、また一方で内容と形式の関係をつくるということを、内容とは別のメッセージを生み出す機会だと捉えているからだ。この、「内容とは別のメッセージ」とはどういうことか。

修辞技法の一つに「転義法」というものがある。言葉の意味を転じる技法で、主に比喩がそれだ。言語学者のS. I. ハヤカワは『思考と行動における言語』のなかで、このように書いている。「隠喩、直喩、擬人はもっとも有用な伝達上のくふうで、その素早い感化的な力は、新しい物や新しい感じに対していちいち新しい語を作ることを不要にする」(1)
そして、アメリカのグラフィックデザイナー、ポール・ランドは自著の中でデザイナーのはたらきについて、「デザイナーは分析し、解釈して、考案する」(2)と述べた。

本には、書かれた内容やメッセージがすでにある。デザイナーはそれを解釈し、サイズや紙、インキなどの造本上の要素に転じながら、形式を考案していく。例えば、大全的な内容の本だから大きく分厚くしてみたり、ノートにスケッチされたイラスト集では本物のノートと同じサイズや紙質を選択してみたり……といった具合に。すでに書かれた内容を造本で隠喩するということは、紙、インキを通して言葉で伝えることの難しい「新しい感じ」に読み手を開いていくということだ。
束見本では文字が抜け落ちていることで、内容が持つ意味と形式の持つ意味との対応が解体されて、意味作用が宙吊りになる。解釈し、造本で転じた隠喩だけが束見本に残ることになる。「意味は読み解けないが、○○っぽい感じ」という感化的内包だけを読める束見本。束見本には、意味を結ばない言葉をしゃべる言葉遊び「ハナモゲラ語」や、タモリ倶楽部の名物コーナー「空耳アワー」のような、解釈の自由さやおおらかさが潜んでいる。

「束見本はどんなはたらきがあるか」という最初の問いに戻ると、まず束見本には物理的な測定器としてのはたらきがあり、一方で形式が持つ言語外の感化的な力を計るはたらきがある。テキストが不在だからこそ、内容は隠喩され、メッセージは感化的に私たちに届く。

もしもあなたが今この文章を読んでいる環境の近くに本があるとしたら、ぜひいくつかの本を手にとって見て欲しい。それぞれの本に書かれた文章がバラバラなように、本の佇まいもバラバラなのではないだろうか。そこでは、ナカミとしての文章やメッセージの後ろで、ウツワとしてのさまざまな形式が、別のメッセージを小さくささやいているはずだ。

注釈
(1)S. I. ハヤカワ(1974)『思考と行動における言語』, p.128 , 岩波書店
(2)ポール・ランド(2014)『ポール・ランドのデザイン思想』, p.12 , スペースシャワーネットワーク


仲村健太郎(なかむら・けんたろう)

1990年福井県生まれ。2013年に京都造形芸術大学情報デザイン学科を卒業後、京都にてフリーランス。大学ではタイポグラフィを専攻。デザインを視覚的な言語として捉え、伝える対象を把握すること、解釈して比喩してみること、説き明かすことと表現することのバランスを大切にしている。また、編集的な視点で紙からウェブまで領域を横断して取り組んでいる。
http://nakamurakentaro.com/