(2020.02.05公開)
すでに、地球を何周かして来たけれど、いまだに興味を引かれるのは、平凡さだ。僕はこの旅の間じゅう、お尋ね者を追う賞金稼ぎのように、平凡さを、執ように追い求めた。
(映画『サン・ソレイユ』より、翻訳:福崎裕子)
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僕は小さい頃から父親の転勤で移動が多く、いわゆる郊外の国道沿いのマンションみたいなところで暮らしてきた。そのためか、どこに行ってもよそ者感や根無し草感が拭えない感覚がある。大人になってからも、別に意識的に移動しようと思ってきた訳ではないのだが、特定の地に留まる理由も特になかったので、人生このかた移動に移動を重ねてきた。この根無し草感は、日本の高度成長期を過ごしたいわゆる団塊の世代の子供たちにとって、広く共有される感覚なのではないだろうか。
僕は地球を何周も旅してきたわけではないけれども、映像撮影の仕事やアーティスト・イン・レジデンスの滞在制作でヨーロッパ・東南アジア・アフリカを17ヶ国ほど転々と移動し続けてきた。この数字が多いのか少ないのかは分からないが、世界各国で都市化が進んで移動が容易になり、国連世界観光機関(UNWTO)の世界観光統計を見ても、予想を覆す速さで観光客の数が右肩上がりに増え続けている今日において、僕の「移動する人生」が現代社会の一端を象徴していることは間違いないだろうと思う。
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僕が最初にカメラを手にしたのは18歳くらいだっただろうか。フジカZ800という8mmフィルムのカメラで、ひとつのカセットで3分間の撮影、色温度や露出をちゃんと考えて照明をあてないと普通に風景を撮影することもままならない、そんな代物だった。あれから20年以上が経つが、カメラはなにがしかのHi8規格の機体からソニーのVX2000へと変化し、そのあとはコンデジやiPhoneで遊びつつ、最近ではパナソニックのGHシリーズを愛用しながら、さまざまな映像を記録してきた。
映画や実験映像が好きで、自分でも映像を撮りたいという動機ももちろんあったのだが、それ以上に僕はカメラを抱えて出来事に関わることが好きだったのではないだろうか、といま振り返りながら感じている。そういう意味では、昨今の持ち運びが便利で高機能である小さなカメラは、いろんな出来事に介入していくために、昔と比べてとても使い勝手が良い。加えて、暮らしの中に映像が溢れているので、カメラを抱えて出来事に介入することの特殊さが薄れて、カメラを抱えたままでも対象との関係が築きやすいこともまた好ましい。
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振り返ってみると、僕の根無し草感は、出来事の当事者感も同時に喪失させていて、どうも出来事に積極的に関わることのできない、主体性を欠いたどこか斜に構える性質が僕の身体に染みていた。そんな僕がカメラを持って出来事に関わると、当事者でなくともその場にいる必然性みたいなものを感じられて、それが僕には心地よかった。
対象との距離感や自分がその場にいても違和感がない感覚は、出来事の当事者と僕とのあいだで独特な関係性を築くように思われた。そしてそれは、カメラを介してこそ感じられる感覚だった。このときの感覚、つまり当事者=ウチでもない、無関係=ソトでもない、その「あいだ」における宙ぶらりんの視点から生まれる関係性が、事後的に気づいたことだが、昨今の僕の活動の根幹にあるように思う。
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先の引用テキストは、クリス・マルケル(1921-2012年)の映画『サン・ソレイユ』(1982年)の冒頭に、北海道の青函連絡船内を映しながら、女性の声で語られるコメンタリーの日本語訳である。座席をベッド代わりに顔をハンカチで覆い眠っている中年のサラリーマンや年配の女性、足を無造作に投げ出しイヤホンで音楽を聞きながらタバコを燻らせる青年、マンガを読む少女の姿などが淡々と繋ぎ合わされるなか、世界中を旅するカメラマンから届いた手紙が朗読される。
―すでに、地球を何周かして来たけれど、いまだに興味を引かれるのは、平凡さだ。
マルケルはこの映画を介して、世界各国で多様な異質な出来事に遭遇する経験を経ながらもなお、暮らしの中の「平凡さ」に惹かれ続けている、と言っているように思われる。しかも、賞金稼ぎのように執拗に、「平凡さ」を求め続ける。この姿がどこか自分自身に重なる。日本からすれば辺境地と言って良いアフリカのタンザニアやブルキナファソなどを訪れつつも、僕がカメラを向ける対象は常に平凡な暮らしのいち場面なのである。
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ただ世界をなんとなく見えるようなままに見るのではなく、自分の身体に馴染んだデバイス、つまり小さなカメラと移動するカラダを通したものの見方によって世界を見ること。僕の場合、「平凡さ」に執拗なまなざしを向けようとするのは、均質さが世界を覆い尽くしていく中で、世界の異質さを追い求めるのではなく、どのようにその世界を異質なまなざしで見るのかという方法への関心に因っている。おそらくそれが、僕が志している芸術の起源なのだと思う。
澤崎賢一(さわざき・けんいち)
1978年生まれ、京都在住。アーティスト/映像作家。一般社団法人リビング・モンタージュ代表理事。現在、京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程。博士課程の研究/制作では、アフリカ・アジアで調査を行う人類学者や農学者らの協力のもと、映像を活用することで生まれる、彼ら研究者とフィールドの〈あいだのまなざし〉の創造性に着目している。および、学術研究の専門領域では扱いきれない断片=〈知の余白〉を生きた知的資源として浮かび上がらせるための技法を探求している。また、プロジェクト「暮らしのモンタージュ」との連携によって、成果を広く共有のための新たなモデルを創出し、フィールド研究から生まれる芸術表現と学術研究とを有機的に連結した社会実践の実現を目指している。
近作として、フランスの庭師ジル・クレマンの活動を記録した長編映画『動いている庭』(日本・フランス|85分|2016年)は、劇場公開映画として「第8回恵比寿映像祭」(恵比寿ガーデンシネマ、2016年)にて初公開され、その後も立誠シネマ(京都、2017年)、第七藝術劇場(大阪、2017年)、池袋シネマ・ロサ(東京、2018年)などで公開された。その他、国内外で展覧会や上映会など多数。
・プロジェクト「暮らしのモンタージュ」ウェブサイト:https://livingmontage.com/
・映画『動いている庭』ウェブサイト:http://garden-in-movement.com/
・個人ウェブサイト:https://texsite.net/