アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#60

足元
― 勝井祐二

(2017.12.05公開)

僕はエレクトリック・ヴァイオリンと呼ばれる楽器の演奏をしています。アコースティックの、いわゆる普通のヴァイオリンと演奏方法は同じなのですが、楽器自体から発せられる振動が「音」として鳴るのではなく、弓を使って擦弦した振動を電気信号化して、それをシールドという電線を媒介にしてスピーカーから「音」に変換して発音しています。こう書くとだいぶややこしいですが、ざっくり言うとエレキギターのヴァイオリン版です。いざコンサートの本番、僕らはライブと言いますが、その場面が訪れた時に右手には弓を左手には楽器を持って颯爽とステージに登場します。楽器から音の出るスピーカーまではシールドで結線されていて、大枠の音の設定は事前に済ませておきますが、演奏が始まると両手は塞がっていますので途中で音量や音質を微細にコントロールすることが困難です。ここがアコースティック楽器との違いですね。
そこで「足元」の登場です。
音量や音質だけではなく、電気信号化した音に特殊な効果を与える装置をエフェクター、もしくはペダルと言います。これらは手で摘んで設定を変化させるためにつまみがありますが、基本は足で踏むものです。スイッチのオンオフ、ペダルの踏み込みの角度によって効果や変化をつけていきます。これらの複数が繋がった状態を「足元」と呼ぶのです。両手を使って楽器を演奏しながら同時に両足を使って様々なスイッチを押し、ペダルを踏み込み、音のコントロールをしていきます。これがなかなか忙しいもので、時にはかなりの足さばきを披露することになります。しかしこの「足元」は必要のない人には全く必要がなく、特にヴァイオリンの演奏の音に特殊な効果を求められることは普通はほとんど無いと言っても良いでしょう。では何故、僕の「足元」はこんなにこんがらがるくらい並んでいるのか?
それが「やりたいこと」だからです。
僕もいわゆる普通のアコースティックヴァイオリンも演奏しますが、エレクトリック楽器ならではの表現として、様々なエフェクターペダルを使うことで音量や音色のコントロールだけではなく、音の構造も編集していくような意識で音を作りたいと思っています。例えば自分の弾いた音をリアルタイムでサンプリングして演奏と同時に鳴らしたり、音を何度も繰り返し響かせる効果のペダルを何台も使って、繰り返しのタイミングや長さを変える事で音と音がレイヤーのように重なり合って、新たな音の構造や響きを獲得していくようなエレクトリック楽器ならではの表現を、ヴァイオリンという楽器を演奏する事と同じくらい重要な表現の方法だと考えています。言い換えるならばエレクトリック・ヴァイオリンとエフェクターペダルを同時に演奏しているとも言えるかもしれません。そして時には足では捌ききれなくなって、もっと複雑なコントロールを必要とするために楽器を手放して「足元」にしゃがみ込み「足元」のつまみを手で動かすという行為に及ぶことが多々あります。つまりエレクトリック・ヴァイオリンで発音した音を元にエフェクターを演奏している瞬間です。これは必要に駆られてやっていることなので自分としては何の迷いもない表現行為の一環なのですが、さっきまで立っていたヴァイオリン演奏者が楽器を手放して「足元」にうずくまりひとしきり何かをしている姿というのは随分インパクトがあるようで、終演後などに「今日は機材の調子が悪かったのですか?」と聞かれることがよくあります。つまり自分ではエフェクターペダルの操作でまさに絶好調の「演奏」をしていたつもりが、「足元」に何らかのトラブルがあって焦ってしゃがみこんで対処していたと思われていたわけです。実際のところそのような原因でしゃがみこむことも稀にあるので仕方のないことかもしれません。それでも日々華麗な足さばきで、時にはしゃがみこんで僕は「足元」に向かいます。それが僕のやりたいエレクトリック・ヴァイオリンの表現に直結しているからです。

Photo:勝井祐二

Photo:勝井祐二


勝井祐二(かつい・ゆうじ)

音楽家/ヴァイオリニスト。
80年代から様々なバンドや即興演奏で、エレクトリック・ヴァイオリンの表現の可能性を追求し続けてきた。91年「1991-1992 JAPAN – UK Festival」の中心展示のサウンド・ディレクターを務め渡英。帰国後日本最初のレイヴ・パーティーをオーガナイズする。96年「ROVO」結成。バンド編成のダンスミュージックで、9000年代以降のオルタナティブ~野外フェスティバルのシーンを牽引した。