(2025.10.05公開)
RERはA線で、北に向かっていた。わたしはパリ市からみて南東に住み、北東の演劇学校に通う学生だった。千葉から東京を経由して、埼玉に通うのに近い。あるいはその一時間半という時間は、福岡市であれば一度天神にゆき西鉄電車で久留米に着いたのち、自転車で野中町に行くまでの時間であったかもしれない。目的地までの道中どこでも、わたしはたいてい、再生機器とともにあった。

パリ南郊外、Marne方面の車窓
横着なので、あまり小物を持ちたくない。手入れがろくにできないから、そして引っ越しが多いからである。わたしの部屋の有様を知っている周囲ならばこんな文章に呆れるに違いないが、しかし、乱雑ななかでも小物はあんがい多くない。できるかぎり、愛せるものだけ、能動的に気にかけられるものだけを手元に置きたい。そう思うと、わたしが最近で最も愛着を抱いていたのは、スカルキャンディのブルーのヘッドフォンだった。
うえの通学のあいだ頭に浮かんでいたのは、福岡市郊外の田園風景だった。わたしは十代で、厚いブレザーを適当に羽織り、天神から大橋薬院付近までの都心を過ぎたのちにつづく青い田と点在する家を、西鉄の窓から見ていた。たいていは途中で眠った。耳にはたしかオーディオテクニカの渋銀色の有線イヤフォンがあった。その帰路、久留米から福岡に戻る電車は、土曜の午後などはとくに人もまばら、弁当の残った味噌汁を啜れるくらいにはのどかである。
ゴッサムシティ(友人称)・パリでも、朝の郊外行き電車RERはけっこう過ごしやすい。みなむしろ中心部に働きに出るからか、ラッシュ時間前後でも、市内を過ぎれば電車はかなり空いていた。南東から乗ってまずは右岸のNationで一定の乗降があり、市内間移動ではいちばんのハブ駅Châtelet les Hallesまで行けば、二十分ほど立っていたあなたはたいてい座席を見つけることができる。オフィス街のLa Défenseまで着けばもうこっちのもので、その後Cergyまではガラ空きである。鞄を抱きしめながらうたた寝をしている人も珍しくない。とはいえRERは西鉄ではないので、乗車後に行き先が変わったり、止まったり、途中で降ろされることもある。通学時間の長さはそのぶんトラブル遭遇率の高さを意味するからだ。人に話しかけられもする。切符確認のコントロールは来るし、すでに顔見知りになっている彼が、いつもの丸いフォントのSOSカードを、あなたに渡しもするだろう。
二十代のわたしは、そのまま授業に出られる簡素なトラックスーツで、スカルキャンディをかむっていた。それを外して、いくらかの銅貨ないし弁当の一部(りんご)を、彼に渡す。渡せないときもある。電車は郊外の線路を進む。そういう平日だった。以下は、月曜日。
9時-13時 基礎稽古。期間限定の講師による。コメディア・デラルテからバリ芸能まで仮面芝居など。スズキメソッドも。
13時-14時 休憩 同級生と昼食。一言も仏語を話したくないときは一人で近くの公園や仏版イオンモールへ。
14時-19時 戯曲を使った稽古。主任教員による。ユーゴーやベケット、デーア・ローアーなど。公演に向けて教師が演出家を兼ねる。

学校の劇場。ここで授業が行われる
放課後にはもうくたびれ果てている。劇場内は時間の感覚が狂うのでやってられると思う。遠くの学校へ行き、着いた先で演劇をして、

スカルキャンディのCrusher Evo、単体の写真はない
考えてみると、その時代ごとに、ひとつの再生機器があった。調子のいいときもわるいときも。健康なときの心が湿りを帯びた球体でその毛がなめらかであるとすると、不安定なときはそれが乾いてささくれる、ので、再生機器に耳を澄ませ、呼吸のリズムを掴む。身を繕う。雪が嬉しくて同級生と駆け下った学校の坂でも、陽が沈みきるまで歩きつづけた稲村ヶ崎の防波堤でも、月経まえの眠れない夜中コロカシオンの居間でも。耳に入った音は、よく知る誰かの声や教材的な異国語などまちまちだったが、結局音楽が多かった。気持ちのいいものからわるいものまで、いいにもわるいにもいろいろで、駅前の出汁のきいたゆるいうどん、食べ慣れた洋食屋のミート・パスタ、グローバル・チェーンのいつも同じ味のするバーガー、というような風に、いろんな味が、多様な音が、それでもひとつの再生機器によって流れていて、
さて、どこにでもぞんざいに伴わせていた、それがむしろ愛着かのように思っていた頑丈な機器はある日、電源ランプを点滅させたまま動かなくなった。この機種は機構の仕組み上、修理が複雑であるそうで公式窓口でも郊外の修理屋でも難しいとの回答を得る。
折り畳むと鳥のように見えるその機器を持って帰国した足で向かったのが、かつてそれを購入した秋葉原だった。ここでも修理は不可能だといわれ、やっと諦めることができた。ランプはいつのまにか消えていた。
その後、夏の渋谷の坂の上まで迎えに行ったのが、いまこの文章を書きながらかむっているKORGである。この白いものを、私は愛せるだろうか。
あなたは電車に乗っている。眠っている。知らない街で見覚えのある景色を目にしたのが、眠りにつく数秒まえだったことを覚えている。運ばれているのはあなただけではなくて、その傍らで、再生機器が、何か音を流している。
有吉 玲(ありよし・れい)
詩と劇を起点にしたパフォーマンスづくり。言葉が広義の場を変える瞬間に関心がある。パリ近郊コンセルヴァトワール・セルジー(演劇演技科)在籍、東京大学美学研究室を休学中。
往復書簡「糸電話」
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