(2025.05.05公開)
ジャッジャッジャッ
2階から何かを擦り付けるような音がする。父が絵を描く準備を始めた合図だ。
詳しく聞いたことはないが、床に置いたバットに岩絵具と膠を広げて擦り付けるようにパレットナイフで混ぜているのだろう。しゃがみ込んでこの作業をしている父は見慣れているつもりだったが、ある時とても小さな椅子にお尻を乗せていることに気がついた。
その椅子はかなり古い木製でとても小さく、そしてとても簡素な三つ脚の丸椅子だった。いつの頃からかアトリエの隅に置いてあった気はするが、どうみても大人のお尻は収まらない大きさなのでまさか椅子だとは思わなかった。
またある時、父のアトリエに4人の来客があった。アトリエにはこれまたとても古くて低いテーブルと、そのテーブルに合わせて脚を切った竹の椅子が4脚置かれていた。そこにお茶を持って行くと、竹の椅子に腰掛けた客の横で父はその小さな丸椅子にちょこんと座っていた。
子供用にしか見えない丸椅子に、座っているというより無理矢理しゃがんで普通に彼らと話している父を見て私は思わず吹き出した。
笑いの止まらない私に怪訝な顔をして父が
「なんだ」と問う。
「だってお客様の前でそんな子供用の椅子に座ってるなんて!」
すると父は呆れつつ
「これは子供用ではない」
と言うではないか。仕事に使っているのは知っていたけれど、それはちょっとしゃがんでいる時にお尻を乗せても大丈夫なくらいの強度の、実際は子供椅子だと思い込んでいたので心底驚いた。
客が帰ったあとでお茶を片付けに行ったらそのまま置かれた丸椅子が目に留まり、つい座ってみてまた驚いた。椅子からお尻がはみ出てしまうのに、なんとも言えない安定感でお尻に馴染むのだ。三つ脚なので重心がずれると傾くことはあったが、きちんと真ん中に座ればどっしりと安定する。そしてしゃがんだ位置よりほんの少し高いところでお尻を支えている。なるほど、これにお尻を乗せて床に置いた絵の具を混ぜるのは、ただしゃがんで作業するよりもはるかに楽だろう。というより、そのために作られたのではないか? と思うほどぴったりである。
よく見ると座面はわざと窪ませるように削ったというより、使い込まれたために削れていったような柔らかな丸みとやさしい艶を帯びていてとても素敵だった。あまりに素敵なので何も考えず父に
「欲しい!」というと
「バカなこというな」けんもほろろに断られてしまった。
それから何十年も父が愛用していたその椅子は私のお気に入りだったが、それが実際どういうものなのかは知らないままだった。
大人になって家を出ても、古いものを身近にして育ったためか古道具は大好きで、よく骨董市や古道具屋を見てまわっていた私は、ある時父の椅子にそっくりな椅子を見つけた。使い込まれた窪みや艶はないけれどそっくりな形……興奮してお店のご主人に話を聞くと、それはアフリカでよく使われているもので、床で作業することが多いため昔からさまざまな部族で色々な形の低くて小さな椅子が作られていたということだった。父の椅子にそっくりなその椅子はアカンバ族が作った椅子で、木をくり抜いて作るのだという。その場にいくつかある椅子に座ってみて、そのうちのひとつを買った。アフリカでは実際にどんな場所でどのように使われているのだろう……私はその椅子を抱えてあれこれと勝手な想像をしながら、幸せな気持ちで家に帰った。
その時は自分がどこでどう使うかまで全く考えていなかったのでそのまま家に持ち帰ったが、家に帰ってあらためて座ってみると父が仕事に使っていた姿を思い出し、早速自分のアトリエに持って行った。そしてその椅子にお尻を乗せて、床に置いた釉薬のバケツを手で掻き回してみる。使い込まれていないために包み込む柔らかさはなく安定感も劣っていたけれど、最高の気分だった。
それ以来アフリカの椅子を調べるようになり、ちょこちょこと見つけては集めてアトリエで使うようになった。さまざまなアフリカの部族によって丁寧に手彫りで作られ、日常の中で使われてきた古い小さな椅子。その椅子たちが今自分のアトリエに、当たり前に置かれている不思議。そして父と同じようにしゃがんで仕事をする時の、自分にとってもなくてはならないものであることが使うたびに面白く、この先もすり減ってゆく座面は愛しく、楽しみなものになっている。
李 寶那(リ・ボナ)
陶芸作家
東京造形大学グラフィックデザイン科卒業後、多摩美術大学陶芸コース研究生を経て
フランス・イタリア・韓国で陶芸を学ぶ。
帰国後は器作家として活動中。
現代アーティスト・李禹煥の三女。