(2024.04.05公開)
最近、私はプロフィールに「建築家・窯業家」と肩書を記すことにしました。
「窯業家」という肩書は、必要に迫られて苦しまぎれに思いついたものです。
私は建築設計事務所を運営しながら、祖父が創業した窯業メーカーである株式会社水野製陶園で働いています。水野製陶園の工場ではタイルやレンガなどの陶製品に加えて、他社の陶磁器メーカーのための窯業原料の製造も行っています。窯業原料とは、主に陶土や釉薬ですが、メーカーの要望に応じて、原土や原石やその他さまざまな原料を加工・調合してつくります。陶製品については既製品の製造と、建築家やアーティストからの注文を受けての特注品のタイルやレンガの製作も行っています。また、最近は作家として陶作品やインスタレーションなどをつくる機会も増えてきました。
既存の肩書では、なかなかじぶんの活動にしっくり馴染むものが見つかりませんでした。「陶磁器メーカー」だとデザインや表現に関わる仕事の面が反映されていないように感じ、「セラミックデザイナー」という肩書だと今度は製造者としての顔が反映されません。それでは「陶芸家」はどうかというと、陶芸家はじぶんの「手」で作品をつくることがなんとなく前提にあると思うのですが、じぶんの場合は結果的に「手」でつくることはあっても、いつもそうではないので「陶芸家」と名乗ることも憚れました。あれこれと考えた挙句に、窯業に家をくっつけて「窯業家」としました。この肩書だと原料づくりまで含めた窯業の全体に関わっていることが表現できるように思われました。
職人や作家にとっての「道具」と聞いて思い浮かべるのは「手」の延長のように使いこなされる(つくり手の意図がうまく反映される)道具ですが、私たち(水野製陶園)の場合は、量産が主で、複数の人間が製造に関わることから、なるべく「手」の技術に頼らず、使いこなさなくてもよいような道具や装置、方法などを考えてつくる、ということをしています。
ただし、「手」でつくることは大事にしていて、「手」でつくる必要や合理がある場合には、「手」を使います。「手」はまさに手加減ではありませんが微妙なムラ感だとかバラつきをつくることに向いています。「手」を使ったほうが早いという時も「手」を使います。また「手」は感覚器官として優れているので、必ず直に素材に「手」で触れて感触を確かめながら試作や試験などは行っています。
また、それと同時に、検証と再現ができるように工程ごとに計測して数値を記録することも大切にしています。窯の温度、乾燥の時間、ある工程の単位時間当たりの成果数量、釉薬の比重、調合の割合、乾燥・焼成の収縮率などなど、データをとっておき、それを感覚と照らし合わせることでさまざまな気づきを得ることができ、つくり方を修正・改良していきます。
この文章は「道具」をお題に書きはじめましたが、「道具」を使う「手」について考えることになりました。まとめると、「手」にはつくり手の意図を対象物にダイレクトに伝える機能①と、ムラやバラつき生む特性②と、感覚器官としての機能③などがある(正確にはそれらは互いに関連していて単純に分けられるものではないとは思いますが)と言えます。
私たちがタイルなどを量産する時、例えば自然の葉っぱのように一つずつが同じようだけど一つとして同じではない、そんな自然の風景のようなタイルをつくりたいと思っています。それは人々の記憶の美しい背景になるようなタイルです。そのための自然なゆらぎをつくるための仕上げに「手」の②の特性を使い、タイルの基本的な形状や寸法を作るための装置や道具をつくり上げるために①と③の「手」の機能をものすごく使っている、ということが言えます。
水野太史(みずの・ふとし)
建築家・窯業家。常滑市出身。大学在学中から賃貸集合住宅の設計、及び企画、事業計画、資金調達、現場監理、入居者の募集、一部施工とメンテナンスを手掛け、建築家としてのキャリアをスタートさせる。常滑市を拠点に建築家として活動しながら、株式会社水野製陶園の技術・資材・空間の可能性を開く(拓く)プロジェクトである水野製陶園ラボを主宰。建築家やアーティストなどの注文に応えるタイルなどの特注建築陶器を多く手がける。在庫レンガやタイルの利活用、新素材やプロダクトの開発、工場の空間の利活用などにも、既成概念にとらわれない姿勢で取り組んでいる。
第18回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館出展作家(2023)、常滑市新庁舎エントランスホール陶壁制作責任者(2022)、共著に『地方で建築を仕事にする』学芸出版社(2016)。
水野製陶園ラボ
http://www.mizunoseitoen.com/lab/