アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#135

笙〜響きの器〜
― 東野珠実

(2024.03.05公開)

私は、笙(しょう)という雅楽の楽器を演奏しております。この楽器は、両手のひらで掲げ持つようにして構え、音楽の息吹を伝えます。別名で鳳笙と呼ばれるように、楽器の形状は、鳳凰が羽を休めている姿を表します。細めの真竹17本を環状に並べ、頭(かしら)といわれる黒漆塗りの器に差し込まれたところで、銀製の輪で束ねられています。面白いことに、この竹管の配列は、ピアノのように低い音から高い音へと順に並んでいるわけではありません。また、見た目の竹の長さと音の高さが対応しているわけでもありません。その配列の理由は学術的に明らかにされておらず、雅楽に潜む謎の一つとされています。
また、笙の音色は、他の楽器に類をみないほど高音域に集中し、合竹(あいたけ)という和音によって、天上から降り注ぐ光を象徴する輝く響きです。西洋音楽を専門とする音楽大学で学んでいた私は、一千年を超える歳月を姿を変えずに日本にあり続けるその楽器に出逢い、魅了されました。

煤竹笙

煤竹笙

さて、そもそも、音というのは空気を伝わる波の重なりです。笙は、呼吸で振動させた響銅(さはり)というリードが微小な空気の波を発生し、竹管の共鳴を伴って初めて耳で聞こえる音量で発音するという仕組みです。後にパイプオルガンにまで発展するようなメカニズムを備えた楽器が数千年前に存在していたことは驚きであり、その響きの生成原理は、私が学んでいた電子音楽やコンピュータミュージックにおける音響合成の手法に通じていました。

後に音楽家として様々な環境で笙を演奏するうちに、その響きの威力を実感する機会がたびたび訪れました。例えば、国内外で数千席のホールで演奏したり、種子島の海岸洞窟で岩に砕ける波の轟音の中で演奏しても、笙の音は十二分に空間を満たすのです。
その秘密は“三分損益”(さんぶんそんえき)という中国古代の調律法にあります。西洋におけるピタゴラスチューニングと同様の理論で自然倍音列を援用するため、ピアノなどで採用される平均律では不協和とされる音程関係も凌駕し、空間において限りなく拡張・増幅するピュアで複雑な音波を生み出すことが可能です。私は大学院在学中に、SONY、NTT基礎研究所他との共同研究で、笙で奏する音が人間の耳の可聴域をはるかに超えることを検証できましたが、それは、録音・再生機器の限界を越える、自然の中で風や鳥や虫の発する音に包まれるような、豊かな音響情報の生成といえます。

種子島宇宙芸術祭プレコンサート「岩屋の星筐」 corabolate with 大平貴之 MEGASTAR

種子島宇宙芸術祭プレコンサート「岩屋の星筐」(2015)
corabolate with 大平貴之 MEGASTAR

一方、笙には、もう一つ、波を音楽にする機能があります。それは、呼吸の波です。一般に、吹奏楽器は呼気を用いますが、笙は吸気も発音に直結します。すなわち、呼吸のプロセスそのもの、息の様そのものが音楽になるというユニークな機構です。笙の発音に用いる呼吸法は、決して特殊な技術を要するものではなく、まずはゆったりとした深呼吸をイメージしていただければよろしいかと思いますが、それは呼吸による音楽のデザインに通じます。
皆様もご体験がおありかと思いますが、雅楽を聴くと眠くなるという感想を持たれる方が多数おられます。私もそう感じ、謎を探っておりましたが、あるとき、脳機能研究所長・武者利光先生との研究で、笙を奏する人、聴く人、双方の脳が活性化することを科学的に証明する機会を得ました(日経サイエンスvol.26 no.4掲載 武者利光「こころを測る」)。深い呼吸は自律神経系に作用し、また超音波成分を多く含む美しい響によって、肉体の弛緩と脳の活性化が同時に引き起こされる – すなわち、笙を通じて、心とからだの健やかな営みを促すことができるのです。

私たちは、コンピューターというメディアを手に入れたことで、さまざまな音楽表現の可能性を広げ、超人的なコントロールによるプレゼンテーションも容易になりました。しかし、その成果を最終的に享受するのは人体です。かたや、指揮者の存在しない雅楽のリズムとテンポには、呼吸を基盤とする生理的な必然性が潜在しています。その実態を、演奏家同士、さらには演奏者と聴衆者による呼吸情報の交歓と観れば、生理的に健やかな営みに共感が生まれることは必定でしょう。古来、音楽には神仏への捧げ物という側面がありますが、呼吸の波の重なりの果ては、自然や宇宙との一体感を得る歓びに通ずるものであることを、いにしえびともよく解っていたのではないでしょうか。

私にとって、手のひらの内にある笙は、呼吸による響きのデザインを可能とする限りないポテンシャルを秘めた音楽の器です。そして、音楽は彫刻や絵画のように物理的なかたちを持たないからこそ、呼吸を接点として、あらゆるジャンルの表現とコラボレーションが可能です。私は、幸運なことに、笙に導かれて様々な冒険をさせていただきました。その行く先々で出逢った先達たちから、手のひらに溢れるほどの音楽の宝物を授けていただきました。その宝物を皆様ご自身のものとしていただけることが私の願いです。

私は、響きを掬い上げるように、そして響きに祈りを込めて、音楽の息吹を伝えます。

Photo by 土谷義則

Photo by 土谷義則


東野珠実 (とうの・たまみ)

笙演奏家・作曲家
笙の呼吸を基に描き出す音楽、その音色の計り知れない魅力を科学や技術に照らし、いにしえの音を現代の創造に結びつけるとりくみを続けている。

国立音楽大学作曲学科首席卒業。慶應義塾大学大学院政策メディア研究科修了・義塾長賞受賞。ISCM、ICMC、国立劇場作曲コンクール第一位/文化庁舞台芸術創作奨励特別賞等受賞。ウィーンモデルン、タングルウッド音楽祭など国内外の雅楽公演に出演。また、JAXA、Yo-Yo MA、坂本龍一、田中泯らに招聘され、正倉院復元楽器からマルチメディアアートに至る創作・演奏を通じ多彩な活動を展開。雅楽演奏団体伶楽舎所属。星筐Hoshigatamiの会、Breathing Media Arts主宰。国立劇場雅楽声明専門委員会主査。現代邦楽作曲家連盟理事。

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