(2023.06.05公開)
何処かへ出かける時、計測ができるもの、“スケール”を携えることが多い。
使用する機会は不意に訪れることもあり、それは作品への糸口でもある。その瞬間を逃さぬよう、可能性を持ち歩いている。
形状は巻尺か直定規。前者においては、全長5.5mメジャーと手のひらに収まる2mメジャー。後者においては、ステンレス製とアクリル製のものさし。この4種類のスケールを愛用している。5.5mメジャーは、大学3回生の時に京都のホームセンターで彫刻科の知人のアドバイスをもとに購入したものだ。2mメジャーはMUJI のもの。こちらは経年による劣化や破損もあり、同様の製品をその都度購入し、今のものは3代目である。アクリル定規も同社の製品だが、こちらは旧デザインの使い勝手の良さもあり、印字が消えつつあるものの現デザインのものと併用している。ステンレス直尺は会社勤めをしていた時から。このものさしを見ると社内にあったノギスを思い出す。造形美術科出身の私は、就職した会社で図面の見方、引き方を覚えた。手に取った時に感じる、少しひんやりとした感触と厚み。実際の目、肉眼や印字された目盛では計測が及ばない、1ミリ以下、コンマ何ミリの世界の仕事があることを、このものさしの持つ緊張感が教えてくれる。
これらのスケールたちは、どれも取り立てて特別なものではなく何処でも簡単に手に入るものだが、屋内外、国内外、様々な場所に共に行き、一緒に仕事をしてきた。最も古いものは使い始めてから26年。長い付き合いである。
そしてもう一つ。
大学卒業後、作家活動を続ける傍ら、私は長い間会社勤めのサラリーマンでもあった。
学生生活を終え、就職しながら作家活動を続けていた私は2種類の名刺を持っていた。一つは勤務していた会社の社員名刺。もう一つは美術家の作家名刺。会社の名刺は、社名、メーカーロゴ、部署名、肩書きが印字された、オーソドックスなスタイルの一般的なデザインの名刺だったが、入社して約1年後、デザイナーという肩書の印字された名刺が支給された時、とても嬉しかったことを記憶している。
一方、作家の名刺は、方眼紙をモチーフにしたオリジナルデザインのものを自作し使用していた。方眼紙は原寸で印刷してあるので、そのまま計測ができる。スケールが無い、また出すことをためらう場でも、必要とあらばそっと採寸できる可能性がポケットの片隅に潜んでいるのは、不思議と安心感もあった。方眼紙の整然と並ぶ升目の潔い美しさと、現場志向で実用的な側面が気に入っていて、住所や電話番号といった必要箇所の情報を入れ替えながら、長年このデザインの名刺を使用していた。思えばその当時、紙のスケールも持っていたということだ。
現在は、スマートフォンのアプリが新たなスケールかもしれない。広範囲を簡易にデジタルで計測できるのはとても便利だが、その数字情報だけで仕事を行うのは、心許ないのが正直なところである。実測する手作業としての体感が伴うと、ようやくその数字が自分の中で情報として認識でき、その先の段階へと進むことができるように思う。私にとってスケールは、現実と想像の世界を行き来する際の頼もしい道具なのだろう。
最近、次なる仕事のためのスケールを購入した。レーザースケールである。全く手が届かない場所、そしてまだこの先の想像が及ばない、見えてはいない空間を計測するためである。
新たな相棒となるか。
木藤純子(きどう・じゅんこ)
1976年 富山県出まれ。成安造形大学 造形学部 造形美術科卒業。
身体を通した空間との対話を繰り返しながら、その場所性を読み解いていくというプロセスのもと構想されたインスタレーション作品を発表。
個展「Winter Bloom – ふゆにさくはな」入善町 下山芸術の森 発電所美術館、富山(2019)、「Winter Bloom」兵庫県立美術館、兵庫(2014)、「ひるとよる」GALLERY CAPTION、 岐阜(2014)、グループ展「SPECTER」Club METRO、京都(2022)、「ART CAMP TANGO 2017 音のある芸術祭 – listening, seeing, being there -」京丹後市立旧郷小学校、京都(2017)、「NOW JAPAN」 KAdE Kunsthal in Amersfoort、オランダ(2013)、「世界制作の方法 “Ways of Worldmaking”」 国立国際美術館、大阪(2011)、「MOT アニュアル 2011 Nearest Faraway|世界の深さのはかり方」東京都現代美術館、東京(2011)など。
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