(2014.01.05公開)
あまり道具にこだわる方ではないと思います。とはいえ好んで使う道具もありますし、気に入ったものもあります。人並みに。しかし、これでなければ駄目、というくらいに語れる道具となると、ちょっと思いつかない。それに、道具に左右されるのも嫌だし、要領よく使いこなせる方でもないのです。
ちょっと昔、ペンや鉛筆で小さな絵だけを描いていた頃、そこから一歩進むつもりでアクリル絵の具と筆を使って大きな絵を描いてみたことがあります。あたりまえの話、絵は上手くいきません。それどころか、気が付いたらあさっての方向に走っていく筆と絵の具の恐ろしさに全く翻弄されてしまったことを覚えています。
ここから筆と絵の具を使いこなす為の修行が始まってもよかったのですが、一つ引っかかったことがありました。それは、あたまと手の距離です。あたまというのは絵のなかで何をすべきか少し判断する時間をもつというくらいの意味。そして、手はその判断を実践に移すために動されます。筆と絵の具ではその距離感が狂うような気がしたのです。
筆を持った手は気分よく動いた結果、あたまを無視してしまいます。あたまの方は手の気分までフォローしなければいけなくなり、混乱します。この距離感を詰めること、あるいはその距離感そのものが筆と絵の具の面白みだったのかもしれませんが、その時は、なにか別の手段でなければ描く時のあたまと手の距離がおかしくなってしまうように感じられました。やっぱり、道具に左右されるのも嫌だし、要領よく使いこなせる方でもない上に、帰宅部だったせいか修行も嫌だったのです。
刺繍で絵を描くことを始めたのはそんな切っ掛けからでした。それ以来、絵を描く道具の中心は針と糸です。もう15年ほどの付き合いになります。基本的に刺繍は1センチくらいの縫い跡が繋がったり、途切れたり、点々としたりしながら進んでいくので、速度的にはペンや鉛筆とくらべてものすごく遅い。
針の長さは5センチ程で、針先は丸く、手を突いても痛くありません。「とじ針」と買ったときのケースには書いてありましたが、いったいなんの為の針なのかはわかりません。ただ、細めの毛糸を通し、布に抜き差ししていくのにちょうどいいことだけがはっきりしています。強く針を引くと綿布はぎゅっと絞られてしまいますが、それさえ気をつければそれほど難しい作業ではありませんし、複雑なステッチも使いません。技術的な修練は全くしないまま、気が付いたら15年も続けていました。もう中学3年生です。では、技術の修練なくして何をしていたのでしょう。
描きはじめるには具体的なモチーフや、具体的でないにしても何かしらおっかけてみたい感じとかいった、一時的な目的がしょっぱなには必要です。そうやって、とりあえず一針一針進めてみます。それは虫の形だったり、何の形でもない線だったりします。ともかく、でたらめに始まるのですが、縫い跡は事実として残る。そうやって進んでいくと、間違って進んだところが何故かわかり始めてきます。そして、そんな所は糸を抜きます。さらに進むと、進むべき所が何となくわかってきます。1センチづつ進むことによって稼がれた時間が、徐々に絵を明るみに出してくれるのです。
手本は無いので、上手く描くということとは無縁。手本は無いので、いままで存在しなかったなにかが形を現す。そして、その何かに無根拠に確信が持てる。この楽しさが15年かけて分かり始めてきました。もしかしたら、針と糸を続けていたから気づけたのかもしれません。修練の必要の無いごくシンプルな道具で描く作業は、縫いつけながら描くことを見つめる作業です。それは、もしもこの世の中から描く道具というものが無くなってしまっても大丈夫なための修練なのかもしれません。多分、どんな道具を使っても絵はなるようにしかならない。
最後に蛇足。しょっちゅう行くほど好きな魚釣りも針と糸にすごく関係しているということ。針は小魚の形を模した擬似針で、糸巻きと竿を使って遠くに投げます。至近距離の布に刺さるとじ針とは随分違います。遠くといってもでたらめではありません。いかにも魚が喰いつきそうな場所を通るように投げ込みます。水の流れも計算に入る。そうして思いの水中に入った針を糸巻きで巻き取る作業が始まります。そこからは殆ど想像の世界です。針は使い手によってチョコチョコ動いたり、ピタッと止まったかと思うと激しく泳ぎ始めたりします。自然の中に投げ込まれた針は人の妄想を具現化しながら不思議な踊りを踊る。全ては魚という現実に喰いついてもらう為にです。
現実を引き寄せる為に妄想の中を泳ぐ針、縫い跡という現実を残しながらも名付けにくい感じに向かう針、目的と過程の違うこの2つの針の引っ張り合いはここにきてなにか重要な気がしてきました。というか、針を使いすぎてる。
伊藤存(いとう・ぞん)
1971年、大阪生まれ。動植物や人をモチーフとする刺繍・映像作品などを制作している。糸の盛り上がり、針の運びによる表現は、でこぼこした味わい深い輪郭線をもち、触覚にも訴えかけながらわたしたちの意識に入り込んでくる。物の輪郭はしばしば行方不明となり、モチーフが不可解に混ざり合って配置され、全体が作られる。謎かけのようなタイトルが付された作品はユーモアにくるまれる。
近年の展覧会に「景 風 趣 情- 自在の手付き」京都芸術センター、札幌500m美術館(京都、札幌2013)、「磯部湯活用プロジェクト【マチリアル】」アーツ前橋(前橋、2013)、“Now Japan” Exhibition with 37 contemporary Japanese artists、Kunsthal KAdE,(Amersfoort, Holland 2013)、「別府のミミック」(KASHIMA 2012 BEPPU ARTIST IN RESIDENCE 滞在制作成果展 2012)、「世界制作の方法」国立国際美術館 2011)など多数。