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アネモメトリ -風の手帖-

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#5

活字 ─眼で聞くもの、触れるもの
― 吉羽一之

(2013.04.05公開)

活字と言えば、金属活字を思い浮かべる人が多いと思うが、一般的な定義は印刷されるものに使われる文字のこと。パソコンにインストールされているフォントは金属活字とはほど遠いもののように思われるかもしれないが、現在の印刷はデジタルデータが主流であることから、フォントも活字である。つまり、電子活字。電子活字は印刷される前にデジタルデータとしてパソコンのディスプレイで見ることができる。ということは、ウェブで見ている文字も、携帯電話のディスプレイで見ている文字も電子活字である。普段の生活の中で活字を眼にしない日はないということである。

人が考えたことや伝えたいことを眼に見える形にするために活字が使われる。活字の表情は一つではない。活字の表情は書体(字形のデザイン)に表れる。が、書体だけではなく、活字の組み方(活字をその大きさや文字間を調整し並べていく作業は、並べるとは言わずに、組むと言う)でも表情は変わる。活字は眼で聞くことのできる音を発する。活字の表情は、その活字が発する音の音量であり、声色であり、リズムでもある。

街中は活字が騒がしい。電車に乗ると車内広告の活字が騒ぎ立てる。早口にそして大袈裟な声を出す週刊誌広告の活字。さもその場所が楽園かのように囁くように誘い、とにかく楽しいのだと大きな声を出す観光広告の活字。宝くじ広告の活字はとにかく声がでかい。

新刊書店の書棚は、どこもかしこも騒がしい。雑誌コーナーはとにかく騒々しい。自分が今一番面白いのだと、その声の大きさを競っているようだ。しかし、コミックの書棚は活字ではなく別の音で賑わっている。古典・近代文学、学術書の書棚は雑誌コーナーに比べると幾分静かではあるが、こそこそとあちらこちらから聞こえてくる小さな声が少し気になる。

活字が騒がしい場所を上げると切りがない。活字が騒がしくない場所と言えば…、古書店。古書店は静かである。一冊ずつをグラシン紙で包み、活字の音量を下げている店もある。また、活字が大切にされている古書店ではしんと静まりかえっているわけではなく、心地よい音が聞こえてくるようだ。

活字が何よりもたくさん使われているものと言えば、本の本文である。活字は長い文章を読む時には眼で聞くことに加えて、触れているのだ。肌に触れる感触を肌触りというが、活字の場合は眼触りとでも言うべきか。眼触りの良い活字と目障りな活字。それぞれがどういうものかを具体的に言うことは難しいが、金属活字(あくまでも本文用)、または電子活字でも金属活字に倣い現在の印刷技術をふまえて制作されたものが眼に心地よい。本の心地よさは活字だけがその要因ではないが…。

料理人が食材を吟味し、持ち味が発揮されるよう調理はするが、食材そのものは作らないと同じく、私は仕事で活字を扱うが、活字そのものは作らない。ゆえに活字制作には詳しくないが、フランスのタイプフェイスデザイナー(活字制作者)のアドリアン・フルティガー氏は「活字は無色透明でなければならない」という。著者の言いたいことの邪魔になるよう活字、つまり活字が目障りで内容を素直に受け取れない、そのような活字は良くないということだ。触れた感触で言えば、滑らかで何のひっかかりもないような感じ。しかし私はこの話はアルファベットに関してだけであって、日本語には当てはまらないと思う。アルファベットのみで組まれた文章は遠目で見ると黒い線が横に並んでいるように見えるのに対して、日本語は横組みの場合、確かに黒線が横に並んではいるが、一本の黒い線の中には黒みが強い部分と弱い部分がある。漢字は黒みが強く、仮名や約物(括弧や句読点などの記号類のこと)は黒みが弱い。要するに日本語は活字化するとひっかかりのある感触を持っている言語なのである。

懐古主義的ではあるが、アルファベットにはない、日本語特有のひっかかる感触が心地よいのは金属活字である。金属活字の全てが良いというわけではないが、わずかな改変を加え複製された電子活字の粗悪さに比べれば問題ではない。職人の手により金属もしくは木に一文字ずつ彫刻して制作されるからこそ、その心地よさが生まれるのだと思う。しかし電子活字も全てが粗悪な複製品ばかりではない。金属活字の良いものに倣い、手で原字を描き、細部を調整しながらデジタルデータ化されるものもある。日本語は字数が多いため、日本語活字を制作するのは大変な手間がかかる。アルファベットの活字に比べると日本語活字の書体は少ない。少ないが電子活字が普及するにつれ、その数は急増した。金属活字では良いものを彫ることに手間がかかったが、今は良い活字を探すのに手間がかかる。私は騒がしく目障りな活字を抑え、良質な音と感触を持つ活字を広めたいなどという大それた考えは持っていない。が、自分の作るもの、デザインするものには、活字を吟味し、その音と感触を確かめるという手間を惜しまない、そのことを忘れないものづくりをこころがけたいと思う。

 

吉羽一之(よしはかずゆき)
1974年京都生まれ。グラフィックデザイナー(シンプルホープ・デザイン室)。
展覧会広報物、企業パンフレットなどを制作。
神戸芸術工科大学非常勤講師。京都造形芸術大学通信教育部大学院修士課程。