(2021.07.11公開)
画家である谷口順子さんの最新作《ツバメの風》はまさに風が通り抜けるかのように、色彩を帯びた線がキャンバスを縦横無尽に躍動し、そのシンプルな線の集合体から生命の息吹さえも感じさせる作品である。インタビュー中は笑いを交えながら、終始気さくに応じてくださった谷口さんだが、2014年に難病を患い、一時的に視力を失うという絵描きとして困難な状況を経験している。その後も回復するまで長期にわたり創作活動に制限のある日々を過ごしたが、病気のおかげで絵を描くことを根本的に見つめ直すことができたという。その心境に至った背景と、谷口さんが創作をする上で大切にされている感情の流れについて詳しく伺った。
———谷口さんのこれまでの創作活動の中で一貫したテーマはありますか。
わたしが大切にしているのは、自分の意識や感情の流れと向き合って、心の中で起きた出来事を正直に描くことです。線での表現は、自分の感情を直接的に描写できる手段としてよく用いています。普段のスケッチでも、その瞬間の感情を線のドローイングとして日々留めていますね。また活動初期より、生きているという命のエネルギーを描きたいという思いがあり、自分が触れたものや見たものを一旦心の中に落とし込んで、その中で起きる感情の揺らめきを、絵に表現できるよう心掛けています。
———創作において自身の感情と向き合うようになったきっかけを教えてください。
高校1年生のときに美術の授業で描いた油彩画の自画像ですね。絵を描くことを通じて、自分の内面を見つめるという行為をこのとき初めて経験しました。顔を似せるために描くのではなく、自分は何を考え、何を感じているのだろう、どんな色を塗れば自分になるのだろうかを考えながら取り組んだのを覚えています。今の創作活動に繋がるきっかけになった出来事でしたね。その後、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)に入学して抽象表現と出会い、今に至るまで自分の感情を自然に体現できるような表現を突き詰めていきました。
———今年(2021年)の初めに立て続けに2つの個展を開催されましたね。
2017年に六花亭の店内で展示を行ったのですが、画廊で個展をするのは8年ぶりです。コロナ禍の厳しい状況下ではありましたが、開催を長らく待ってくださっていた方がいてくれたこと、新しくわたしのことを知ってくださった方もいてくれたりして。やはりひとに作品を観てもらうことは、絵描きにとって何物にも代え難い喜びであることをあらためて実感しましたね。個展を開いて本当によかったと思っています。大阪で開催した「ゾウの風」展では2014年に“多発性硬化症”を患ったときの自分をあらためて見つめ直した展示で、京都の「ツバメの風」展ではそこから未来へと飛び立つ気持ちを軸に置いた作品を展示しました。
———ご病気で一時的に視力を失ったそうですが。
“多発性硬化症”は指定難病にもなっている神経系の病気で、ひとによって症状の出方は様々なのですが、あろうことかわたしの場合は視神経に症状が現れてしまって。発症をして1週間も経たない内に右目、その少しあとに左目の視力を失ってしまいました。ただ、この“多発性硬化症”は非常に稀な病気で、発見が遅れてしまうこともあるみたいなんですけど、わたしの場合は搬送先の医師が真っ先にこの病気を疑ってくださって。すぐに寛解に向けた治療を始めることができたのは幸いでした。
とはいえ視力が戻る保証はどこにもありませんでした。それでも私が絵を描いていることを主治医は知ってくれていたので、視力の回復が見込めそうなあらゆる治療を懸命に施してくださいましたし、あとは絶対によくなるというある種の信仰心みたいなものですかね。絶望感はあまりなく、意外と穏やかな気持ちで入院生活を送っていましたね。そんな日々の中で、絵描きにとって必要な目が突然奪われたことは一体どういう意味なんだろうか。もしまた見えるようになったとき、それはどういう意味をはらんでいるのだろうかとよく考えてました。
あと、目が見えなくなると耳が敏感になるとよく言われますが、わたしも聴覚が敏感になりましたね。足音でひとが特定できるようになりましたし、看護師さんの調子もわかったりして、今日は調子が悪そうに歩いているから、注射も失敗するだろうなと思ったらほんとに失敗したり(笑)。音にも方向性や強弱があって線になることを、視力が失われていたこの時期に気づくことができました。そうこうして入院生活が1ヵ月程経つと、ぼんやりと光の明るさを感じられるようになっていったんです。それが日を追うごとにもやが晴れるように少しずつ形がわかるようになっていって、遂には病室のカーテンの模様まで判別できるようにまで視力が回復していったのですけど……。全てが青色の世界だったんですね。
———全て青色に見えてしまっていたのですか。
視力が戻ってきたのはよかったものの、色彩の感覚は同じようには戻らなくて。青いセロハンを透き通してみたように視界の全てが青色にみえてしまっていました。結局、退院するまでに色彩の感覚は戻らず、回復するのには更に長い時間を要すことになりました。
退院できたのはよかったものの、日常生活は思っていた以上に大変でしたね(笑)。お肉の赤身がわからず調理しても焼けているのかどうかわかりませんでしたし、人の表情も掴みにくく、声のトーンやしぐさで相手の気持ちを悟るしかなく、天気だって雨が降り出すかどうかは匂いで感じとるといった具合です。色から得る情報がこんなにも多かったなんて、病気になる前まで知る由もありませんでしたから……。
いつ見ても空の色が変わることのない青色の世界の中で、それでもスケッチなどの創作活動は続けていました。そんなある日ですね、日の出の薄明の光が差し込んでくるように、絵具箱を開けたときに、絵の具の色が薄らとわかる瞬間があって。それは色が戻ったというよりも色が与えられたという心境に近かったですね。もう一度絵を描いてもいいよと言われているようで、与えられた色彩に感謝の気持ちが芽生え、この色彩を大事に扱っていきたいという感情を抱いたのを覚えています。ただ、それから色彩が鮮明に戻っていくかというとそうではなくて、お風呂に入って身体が温まるとまた青色に戻ったり、身体が冷めるとまた色彩が戻ったりと、環境や体調の変化で、回復が前後することがしばらく続きました。
———そんな朧げな色彩の中、2017年の六花亭での展示に向けた制作を始められるのですよね。
色彩が全く認識できていなかったときに描いたものが、六花亭の公募で選出いただいて。そのご縁で、札幌にある六花亭の喫茶室で展示をさせてもらう機会に恵まれました。先方からは既存作品でも支障はないと仰っていただいてたのですが、準備期間が1年間あったので、わたしは北海道の四季を描いて、それを道民の方に感じてもらいたいと思い立ったんです。制作期間中は、取材のために仕事終わりの金曜日の夜から飛行機に乗って、週末を北海道で過ごすという生活をしばらく続けてましたね(笑)。北海道では見たものをそのままスケッチすることもありましたし、見て感じたものを線で表現したり。まだ色彩が朧げにしか感じられていないときだったので、目だけに頼るのではなく、訪れた場所で触れた空気の感触や彼方から聞こえる鳥のさえずりなども自分の中に取り込んでいきました。その一方で絵を描くときは、画材に記載されている色の名前を見て、その色がどんな色彩を帯びていたのか今までの制作の記憶を思い起こしたり、新たに想像を加えながら描いていきました。実際に見える色とは違う五感で感じた色を身体に落とし込み、記憶や想像の助けを借りて生まれた色彩で絵を描く行為は、視覚の世界が広がったような新鮮な感覚でしたね。
展示をやってみて嬉しかったのは、観に来てくださった道民の方が「これは北海道の冬です」と言ってくれたことですね。《狼が眠る》という作品は、冬の円山動物園にいた狼から着想を得た絵なのですが、わたしが観に行ったときはちょうど狼が寝ていたんです。少し経てば起きるかなと思っていたのですが、しばらく待っても一向に目を覚ましてくれなくて(笑)。それでふと舞い散る雪や周囲に降り積もった雪に目がいったんです。狼をずっと眠らせている絨毯のようなあの雪は一体どんなものなんだろうか、そういったことを感じながら描きました。
———谷口さんの作品は、展覧会ごとに筆致や色遣いが大きく異なる印象を受けます。
自分の中で変えている意識はないですね。心の中で起きた出来事を表現しているので、そのときの自分の気持ちを正直に描いた結果なんです。なので周囲から以前とはまた雰囲気が違う作品だねと聞かされて、初めて自覚するような感じなんです。
実はその作風の変化について悩んだ時期もありました。作家として活動していくためには、ある程度スタイルを決めて描いた方が、作品の紹介もしやすいですし。でも、そうすると自分のそのときの気持ちを押し殺してしまって、なにか形骸化したものを描いてしまう怖れもあって思い悩みましたね。でも、それも病気を契機に吹っ切れました。たとえ別人の作品と言われようが、自分に生じた“本物”の気持ちを作品に落とし込めたなら、それこそがわたしの作品であって、変わり続けることが谷口順子の作品なんだと思ってもらえればいいんじゃないかって。そんなふうに肯定できるようになりました。
———ご病気を経験して、他にも心境の変化はありましたか。
自分の心で起きた出来事を正直に描きたいという思いは変わらずにありますが、自分の感情を押し出すだけじゃなくて、もう一度色彩を与えられた者として、他者に何か恩返しをしたいという思いが強くなりました。病気に罹る前までは、ネガティブな気持ちも作品に落とし込んでいたんです。でもそれを他者が見たいと思うのか、絵を見てくれたひとがそれを心に取り込むことでしんどい気持ちになるんじゃないかと考えるようになって。なので最近は、自分がプラスに気持ちを働かせているときはなるべく作品の前に立つようにして、生きているということへの前向きなエネルギーを描くようにしています。その代わり日々の個人的なスケッチにはネガティブな側面も含めて全てを晒すようにしていますね(笑)。
———今後のご活動の抱負をお聞かせください。
来年(2022年)初頭にOギャラリーeyes(大阪)で個展を開催することが決まっているので、そこへ向けて作品制作を進めていきたいです。今回久しぶりに個展を開催して、ひとに観てもらう喜びをあらためて見いだすことができました。これからも作品発表を続けて、自分がワクワクすることを絵を通して、見にきてくれたひとに感じてもらえるものを描いていきたいです。また病気を患う前は、自分を追い詰めるように毎日アトリエに籠って描くことを強いていた時期もありました。不安だったのかもしれないですね。創作にずっと向き合っている作家さんもいる中で、わたしは仕事をしながら創作活動をしているので。今でもアトリエには毎日いくようにしていますが、たとえ仕事の都合で絵を描く時間が削がれる日々が続いて、やるせない気持ちになったとしても、描くというチャンネルを心の中で向けていれば、絵にはマイナスに表れないことにも最近気づけました。あまり自分を追い込まず、いい風を取り入れて柔らかい自分を作るようにしています。
取材・文 清水直樹
2021.05.04 オンライン通話にてインタビュー
谷口順子(たにぐち・じゅんこ)
Web
TANIGUCHI JUNKO|谷口順子
https://t-junko.com
1974
大阪府生まれ
1999
京都造形芸術大学大学院芸術研究科修了
個展
1998
同時代ギャラリー/京都
1999
ギャラリー白/大阪
2000
ギャラリーココ/京都(’99、’97)
2007
CUBIC GALLERY/大阪(’06、’05、’04、’03、’02)
2013
ギャラリー恵風/京都(’12、’11、’09、’07)
2017
六花亭福住店喫茶室/北海道
2021
Oギャラリーeyes/大阪
ギャラリー恵風/京都
グループ展
1996
二人展 ギャラリーすずき/京都 第48回京展 京都市美術館/京都
1998
ペインティング・クロッシング 絵画をめぐる交感の場 元明倫小学校/京都
2000
フィリップモリス アートアワード2000 最終審査展
恵比寿ガーデンプレイス・ガーデンルーム/東京
2005
シェル美術賞展2005 代官山ヒルサイドフォーラム/東京
2006
gallerisum 2006 大阪府立現代美術センター/大阪
2007
xhibition♯4 GALLERY RAKU/京都
2015
六花ファイル第6期 六花文庫/北海道
2019
六花ファイル第8期 六花文庫/北海道
受賞歴
1997
「京都造形芸術大学 卒業制作展」〔学長賞〕
2005
シェル美術賞展2005 松井みどり審査員奨励賞
2015
第30回ホルベイン・スカラシップ奨学生
清水直樹(しみず・なおき)
美術大学の写真コースを卒業し、求人広告の制作進行や大学事務に従事。
現在はフリーランスライターとしてウェブ記事や脚本などを執筆。