アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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― 福村憲二

(2013.01.05公開)

土地に残る履歴を写す。
福岡県・大牟田にて注がれる、場所と人との関わりへのまなざし。

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立体と平面の対比構成による造形空間の創出を目指した写真作品「場と風景」

風景の中央に、直立したパイプが見える。一見、彫刻作品と見間違うが、これは写真による作品。地元大牟田にて、様々な箇所に直径36mmのパイプを立て、カメラからの距離は2m40cm、20mmのレンズを使うなどといった同じ条件下で撮影されたもの。作者である福村憲二さんにお話をうかがった。1949年、福岡県の最南端、熊本との県境にある大牟田市生まれの現在64歳。九州産業大学卒業後、絵画や石彫、生け花など長期にわたって様々な作品制作を行うが、なかなか思うようにいかず、9年前に京都造形芸術大学通信教育部空間演出デザイン学科に入学。その後、人との関わりを意識した空間への考察の末に、写真作品を制作するように。まず制作した作品は、地元での、草むらの風景やその草を刈った土地を撮影した写真作品だった。これは「草刈りを造形の技法として芸術に取り込」んだもので、草むらを見つけ、自身で草を刈って撮影するスタイルで、現在も続いている総数100点以上のシリーズ。「土地の持っている“気”のようなものを情報化するような感覚です。草を刈っていくと、姿を現す地べたもとても興味深くて、変にたわんでいたり、波打っていたり、個性があるんです。もちろん、ただの草むらではダメなんですね。私が選んでいる基準は、その場所に人が住んでいたかどうか」。福村さんは、近所の人や町のウワサ等で情報を収集、草むらを見つけては刈り、写真を撮影していった。ある場所は、石炭から石油への転換期に、石炭関係者の反対運動に使われた場所だったり、戦前〜戦後にかけて、住宅のあった土地を軍需工場とする理由で立ち退きを命じられたような場所であったり。

「この作品から、場所という感覚は、人と場のかかわり合いによって発生する感覚なんじゃないかと考えたんです。これが芸術環境と呼べるのではないかと」。

「私の住んでる場所は、美術館から遠く離れて、画廊もほぼない。作品を見せることにもそんなに現実味がないので、自分のために作品を作ってるんです。その土地の履歴に触れ、目にしたときに、生きる力や希望を感じるんです。生きるていること、生きる力を発掘する感覚です。でも、私も人間ですから、それがひいては「人」のため、ということと共通項になるのではないかと思っています。芭蕉の「兵どもが夢の跡」ではないですが、この土地の先輩達がつくってくれたこの土地に生き続ける、と思うのです」。

人の営みの重なり合いや時間の厚みを発掘する活動を続けるうち、さらにはその場所へ自分の参加したい、という思いから、発展してできたのが、前出の鉄のパイプの写真作品。これはつまり、鉄パイプが福村さん自身の映し。場所も、草むらに限らず、福村さんが「芸術環境」を感じる場所であれば、どんなところも被写体になる。どの写真でも同じように計算された距離感は、自分自身に対する継続的な冷静なまなざしであり、土地にしっかりと突き刺さった人としての生活や人生も彷彿させる。信仰の対称にも見えてくる、戒めのような、羨望のような、不思議なまなざしだ。

「地域の人たちと話すと、町づくりをどのように進めようか、となると銭づくりの発想がほとんど。大牟田を観光資源としての炭坑町にしようという動きもあるが、作品制作から私が感じたのは、ここに住む人たちが、この土地で生き続けるぞ、と思わせる事が芸術ではないか、さらにはそれが町づくりの原点でもあると思っています」。

福島さんの写真は、ほとんどが大牟田で撮影されている。1時間ぐらいの外出が基本的には限度という母親の介護をしているからだ。ライフワークとして作品は増えていくが、目指すは展覧会での発表ではなく、書籍として残したいという。「場と風景」と題された作品には、しっかりとその土地に、生活に根ざした一人の人間の眼の存在があるのだと感じた。

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Q&A:

Q:いま、一番情熱を注いでいることは何でしょうか。

A:「芸術環境の表出」というテーマの研究、制作を行なっております。具体的には閉山した炭坑労働者用住宅跡地(炭住)で草刈を行ない、その場と人とのかかわり合いでできた場所・芸術環境の表出表現を行なっております。

Q:そのことの面白さはどのような部分なのでしょうか。具体的に教えてください。

A:先の震災の被災者が言っていました。「地震に津波に放射能。それでも、できることなら元の場所に帰りたい。そして元の生活にもどりたい」また「もう、ここには住めない、新しい場所を求めて移住する」と。残るも去るもこの「場所」というものが浮かび上がってくる。この浮かび上がってくる「場所」は我々の「生きるの基盤」のひとつであり、「生きる力」を我々にあたえてくれる。今、この「生きる場所」を見つめている、ということが面白いと思っています。

Q:そのきっかけとなるような印象的なエピソードを教えてください。

A:床屋に行って、髪型が変わった。ちょっと髪を切っただけなのに、人相が変わる、ひょっとしたら性格まで変わったか。身も心も変わってしまったかと思われます。また街路樹を剪定(刈る)すれば、町並みの雰囲気を変えることができる、空間を変容させることができると思っています。この物事を一変変容させる力を持つ「刈るという力」を造形技法として草刈に使い草刈自体を芸術として成り立たせようと目論んだのがきっかけです。

Q:福村さんにとって芸術とは、どのようなものだと思われますでしょうか。

A:単なる美や感覚的なものではなく、それは行動の基礎となる信念や思想のようなものであり、「生きる力」を獲得するために芸術はあると思い続けています。

Q:座右の銘、もしくは心に残る一冊の本を教えてください。

A:愛読書という訳ではないですが、若い頃から自分の本棚に残り続けている本、ルドルフ・アルンハイムの『中心の力』があります。

インタビュー、文 : 松永大地
電話にて取材

福村憲二 ふくむら・けんじ

1949年福岡県大牟田市、生まれ。1974年、絵画を断念する。彫刻を始める。1990年、 彫刻を断念する。いけばなをはじめる。2003年、いけばなを断念する。京都造形芸術大学通信教育部空間演出デザインに入学。2008年、同大学通信教育部大学院芸術環境研究領域修了。2009年より、テーマ「草刈による芸術環境の表出」の研究制作を続行中。

取材・文 松永大地

1981年生まれ。京阪神エルマガジン社『エルマガジン』編集部、京都造形芸術大学ギャラリーRAKUを経て、現在、成安造形大学勤務。編集、ライター。町のアーカイブユニット「朕朕朕」として、小冊子『2Oi壱』を制作。