(2021.01.10公開)
京都を拠点に活動する現代美術アーティストの、松尾栄太郎さん。作品制作をする傍ら、プロジェクトを動かしながらひとを繋いだり、まちを動かしたりもしている。さらに2020年からは京都北山地区にて、元整骨院の建物を改装してつくった「KIKA gallery」も始めたところだ。広く「アート」を捉え、活動する松尾さんのこれまでと、これからとは。ちょうど、「これから仲間たちと集う」というギャラリーに足を運び、話を伺った。
———まず、松尾さんの活動の始まりを教えてもらえますか?
大学の時に(19歳)、先輩の川上真人さんの紹介で現代美術作家の井田照一さんに出会って、アシスタントをすることになって。一応、3回生まで籍は入れていたと思います。学校と両立することが難しくなったから、大学を辞めました。そこから井田先生が亡くなるまで、10年ぐらいアシスタントをやってたんです。アメリカに制作や展覧会で、よく行き来される作家さんだったんで、若い時は一緒に連れていってもらったり、アートに囚われず食や酒から技術や思想まで、すごくいい勉強になったんです。
自分も展覧会をするための制作ではないけど、スケッチとか、家でちょこちょこっとつくることはしていて。亡くなられてから、作家活動を始めました。初めての個展をしたのが2007年ぐらいですね。それから不思議と今まで年に1、2回は個展をずっとやってきて。
———自身の制作以外の活動は、どのようにつながっていったのですか。
井田先生のアシスタントを終えて1、2年ぐらいフラフラしていたら、丸太町通にあった江寿画廊が「COHJU contemporary art(京都・丸太町)」に形態を変えるから、手伝ってくれへんかと声がかかって、勤めたんですよ。ただ、単純に作家がギャラリーを運営するのもなんとなく嫌で。「展覧会をするためのアート」っていう方向性ではなくて、「アートが社会的にどう落とし込まれて、役に立っていくのか」ってことを追求しだして。ギャラリー運営ではなく、僕は展覧会以外の企画をすることを始めました。
例えば建築事務所とかと話をして、太田三郎さんや、内田晴之さん、冨永敦也さんの彫刻作品を、病院の庭に再現したり。僕がデザインするのでもなくて、作品をあえてプロデュースするする立場を務めたんです。庭師の山口陽介君に京都中の庭師に声をかけてもらって、著名な作家さんからもらったコンセプトを庭師につくってもらう企画をやりだしました。僕は長崎の波佐見町っていう焼き物のまちの出身なんですけど、山口陽介君も同じ波佐見町の後輩で、庭とアートの活動を地元でも何かできるといいねと言っていたら、その矢先に行政の友人から依頼がきたんですよ。波佐見町の地方創生の計画のなかに「アートで教育や、地域活性をする」というのがあって、そこを頼まれて。5年間、京都と波佐見の2拠点でプロジェクトをやりました。
———それが「HASAMIコンプラプロジェクト」ですね。産業のひとつの波佐見焼の新たな商品開発や、地元の高校の美術工芸科での課外授業、県外からアーティストを招いてのワークショップなど教育活動もされています。
今、波佐見町って元気なんですよ。元気のもとになっている30代、40代の若い世代が焼き物やホテル業、建築会社とか、いろんな業種にいるんですけど、それを束ねてひとつの社団法人を立ち上げるのが最終目標としてありました。それが「金富良舎(こんぷらしゃ)」です。最初は僕が代表やったんだけど、京都に25年住んでいるので、うまくいかない所もあって。メンバーには今も入ってるんですが、地元のひと主導でやっています。
———活動が脈々とつながっているんですね。
ひとの出会いによって変わりますからね。たとえば長崎は、国内外から絶えず千羽鶴が届くんですけど、どんどん集まる一方で処分できないっていう問題があります。太田三郎さんを波佐見町に招いて産業とアートを考える企画にをしていたら、NHKのディレクターのひとから「アートで千羽鶴をなんかできないですか?」って問い合わせがあったんです。で、「焼いたらいいじゃないですか」と。千羽鶴とか思いのこもったものは焼いたらダメとかイメージしてしまうけど、焼いたら焼き物の釉薬になりますよって言ったんです。町の産業を新しい素材に変えて、長崎市と波佐見町で組んで、平和活動の新しい取り組みになるんじゃないって。千羽鶴を焼いた釉薬で焼き物をつくるワークショップをしたり、実験をしたり。たまたま金富良舎のメンバーでロウソクや線香の制作をしている野田武一商店の野田さんが「灰やったらお香にできるかもね」って話をしてくれて、原料に千羽鶴からできた灰を入れてお香にして、平和への祈りの後で完全に燃やし切って循環させる企画とか。今、商品として長崎で実際に売っていますよ。
———KIKA galleryの立ち上げについて教えていただけますか?
京都での作家業に専念することになったちょうど1年ぐらい前に、今KIKA galleryのオーナーをしている生田くんと、何か一緒にやろうという話をしていて。彼はもともと古書籍が専門で、井田照一さんや現代アートにも興味があると。そこからパッと決まって、ここの物件を見つけたんです。だからまだ完成してないんですよね。
1階のギャラリーでは、2020年の秋から何回か展覧会をやっています。企画自体はもう一人のメンバーの石井潤一郎さんって作家が中心にやっています。彼ともたまたま去年出会って「こんな話あるんですけど一緒にしませんか?」と。ギャラリーの企画のことは石井さんが中心になって、僕は今はここ全体の動きをつくっている最中です。
———この場所での松尾さんの立ち位置というのは、どういったものでしょうか?
僕は一応(笑)ディレクターです。ギャラリーで作家の企画をやったり、展覧会だけじゃないこともしていきたくて。大きくいうと、若手の作家さんの支援というか。評価されるべき作家さんがいても、きちんと評価されてないことっていっぱいあるじゃないですか。井田先生の時代もいろんな作家さんがいっぱいいるので、そういうのを掘り起こして、アーカイブしていくような、半分研究所的なものをしたい。過去の日本や、京都の60、70年代の美術やアートシーンって面白いし、若い世代は全然知らなかったりする。そういうストーリーを記録していって、長い歴史のつながりを把握したうえで、若いひとたちもアートに取り組んでいけるようなことができたらなと。生田くんは古書が専門なので、それも活かせるし。貴重な書籍や古文書が一般の人から見ると、紙くずにしか見えなくて、家の整理の時に捨てられたりしているのが現実で、非常にもったいないことだと思います。古文書一つで歴史が変わったりしますからね。
石井くんは海外経験もあって語学が堪能なので、海外のアーティストともつながっていったり、アーティストのレジデンスをしたりとか。国際的なネットワークがつくれる場、という面もあります。
———芸大や、アートシーンが起こったまちでありながらも、意外と京都にはそういうスペースが有るようで無いように思います。反対に、アートのイベントに行っても知った顔ぶれしかいない、ということが起こったり。
よく「アートを浸透させたい」とか「身近にさせたい」とかいうけど、展覧会で身近にするって、なんか違う気がして。アートってなんなんだろう、かっこいいけどなんやわからんってひとの方が多いじゃないですか。そういうひとがここに来て、僕ら作家と一緒に話をしたらいいだけやからね。一緒にご飯を食べることでアートを身近にしていく。それで、気に入った作家や作品があれば買ったらいいんじゃないかって思います。作品をコレクションしていくのはどういうことなのかを伝えていくこともすごく大事で。投資っていう面もすごくあるんやろうけど、セカンダリーの作品を買っても作家にはお金入ってこない。コレクターは作家を育てる一番のスポンサー。作品を買うことで作家が活動できる。日本はそれが一般的ではないので、アートとの距離がある。そこの壁をもっとはぶいてしまえば、一般のひとが近くなると思うんですね。
ただ作品を見せる場という意味で終わらず、きちんとギャラリーとして作家の作品が売れる切っ掛けをつくることで、彼らの活動にとっても経済的な支援につながる。僕自身もですが(笑)。
売ることはギャラリーの仕事として当たり前とも思うんです。それを展覧会っていうより、今日(取材時は、広くひとを集めての食事会を開催予定だった)みたいにいろんなジャンルのひとが来て、情報交換したりとかで。一緒に飯を食ったり酒を飲んだりしながら、情報が集まってくる。そこもアートだけに特化したくなくて。僕が呼びたいのは、個人的には細菌学者とか、天文学者とか経済学者とか。アートだけに縛るとみんな同じひとになってしまうけど、異業種のひとの話って面白いし、お互いに違う発想が出てくるでしょうし。新しい可能性の種づくりができるような場所になればいいなと思っていますね。そうすることで、僕も含めて作家にとってもより高いクオリティの作品をつくることにつながるかなと。すぐにできるものでもないので、長い目標ですが。
———イメージとしては、文化人が自然と集まって会話を楽しむ、サロンのような。
「アート」っていうキーワードの集会場ですね。で、いろんな業種のひとたちが集まってくれるような。もしコップや皿をつくりたいひとがいたら、自分の持ってる波佐見町との繋がりを活かして、産地と繋げる手伝いをしたり、ここを拠点にプロジェクトをしたりしてもいいと思うし。普段作品をつくってるひとが反対にクラフトの勉強をしたかったら、そのお手伝いをしたりとか、相談にきてもらったりとかね。ただ学校や行政だけとやるんじゃなくて、一般の中小企業だったり、まち工場だったりを引き込んでやれるのがいいと思っています。ひととの出会いによってアイデアが必要とされる機会ができるし、「アートの視点だったらこうできますよ」ってこともあるからね。
———波佐見町での活動や、KIKA galleryで見据えていることもそうですが、松尾さんはモノや、形式的な「アート」ではなく、もっと広い視点で「アート」という言葉を捉えて活動されていると感じます。
アートってそういうもんやと思うから。僕は何屋さんってわけでもないし。建築だったら建築だけど、アートってスライムみたいな存在で、何にでもかたちを変える。手を動かすためのアートもあるだろうし、建築的なパブリックアートもあるだろうし、介護として機能するアートもあるだろうし。
———松尾さん個人としては、今度どういう展望を描いているのでしょうか?
「早く作品をつくりたい」のひとつですね。趣味とかもないから、展望といったら制作ですね。
制作だけで生きられれば一番いいけど、それだけやってもバカになるだけだから(笑)、こういう活動もたまにやりながら。アート同士の連携ももちろん大事だけど、それ以外の関係者にも興味があるし、自分の作品にもかえってくると思うし。制作することで脳みそも変わるし、そこで得た経験がいろんなひとたちに活用できるようになったらいいなと思っています。
取材・文 浪花朱音
2020.12.18 KIKA galleryにてインタビュー
松尾栄太郎(まつお・えいたろう)
1977年長崎県生まれ。1998年京都造形芸術大学彫刻科中退、以後2006年まで井田照一のアシスタントを務める。2015~2019年HASAMIコンプラプロジェクト(長崎県波佐見町)プロデュース。2018年長崎県波佐見町に一般社団法人金富良舎(コンプラシャ)を設立。2020年京都北山にKIKA galleryの設立に携わる。近年の個展に、2020年「The other side of memory」(gallery APA)、2021年「松尾栄太郎展」(同時代ギャラリー)。
浪花朱音(なにわ・あかね)
1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学を卒業後、京都の編集プロダクションにて書籍や雑誌、フリーペーパーなどさまざまな媒体の編集・執筆に携わる。退職後は書店で働く傍らフリーランスの編集者・ライターとして独立。2017年より約3年のポーランド生活を経て帰国。現在はカルチャー系メディアでの執筆を中心に活動中。