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アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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#89

革新を続けて“伝統”を守る、雅楽の研究者
― 鈴木聖子

(2020.04.12公開)

雅楽の演奏者から研究者になった鈴木聖子さん。紆余曲折を経て、東京大学とパリ大学で8年をかけて書き上げた博士論文は、書籍『〈雅楽〉の誕生 田辺尚雄が見た大東亜の響き』となり、2019年にサントリー学芸賞を受賞した。鈴木さんはどのような経緯で雅楽と出会い、演奏者から転向し、研究するようになったのだろうか。そもそも雅楽とは、どのような特徴をもった音楽なのだろうか。話を伺うと、雅楽のみならず伝統と呼ばれるものに対する問題意識や、それを残していくためのヒントがみえてきた。

雅楽の誕生写真

———雅楽と出会ったときのことを教えてください。

あるとき奈良に旅行したんですね。いろんな場所を回って、最後に橿原神宮に行ったんです。もう夕方だったせいか、脇の道を歩いていると、辺りが古代の世界のような、何というか静謐で原始的な風景に感じられました。そこで聞こえてきたのが、雅楽の音だったんです。何という曲だったのかは覚えていないのですが、すごく遠いところ、人間とは関係のない彼方から音が聞こえてくるような不思議な感覚にとらわれてびっくりしました。
そのときは雅楽だからというよりも、音そのものに対する感動がありました。雅楽の音色を感じたのは、そのときが初めてでしたね。
それから東京に、雅楽道友会(https://www.gagaku.com/)という雅楽を演奏しているところがあると知りました。弟子をとっていると聞いたので、直接出向いて弟子にしてもらい、演奏の仕事をするようになりました。

———演奏するようになってからも気になりますが、奈良で雅楽と出会う以前はどんなことをされていたんですか。

高校卒業後は一度大学に入学したのですが、すぐにやめてしまいました。というのも、そのころ西洋美術に興味があって、西洋の文化財に関する仕事がしたいと考えるようになったんですね。
それでフランスに渡って、文化財の知識や修復の技術などを学ぼうと思いました。ルーブル美術館の付属施設で、エコール・デュ・ルーブルという、文化財に関するプロを養成する国立の高等教育機関があります。ここで学んで、文化財のプロになりたかったんです。
エコール・デュ・ルーブルを卒業して、ポンピドゥー・センターのキュレーターとして活躍した日本人女性がいるんですね、そんなサクセスストーリーに憧れていました。ところが、フランスで話を聞いているうちに、どうしようかなと(笑)。
この学校は難関で、卒業するのが難しいということもありましたが、当時のフランスは、エリート校を卒業しても、なかなか職に就けない就職難の時代に突入していました。198990年のことですね。
結局、エコール・デュ・ルーブルには入学せず、フランスで進路に迷いはじめてからバックパッカーとして、ヨーロッパではなくエジプトやトルコに行きました。すると、今までみたことのない世界が広がっていました。
それまで、フランスこそが美術の中心だと思っていたのですが、それはある意味、つくられたイメージだということに気がつきました。たしかにフランスには多くの文化財があって、「自分たちの文化こそが正しい」という意識が共有されているように思います。ですが、素晴らしい文化財があるのは、なにもフランスだけではありません。そこに気づいたとき、フランスでたまたま雅楽についての話を耳にして、なんとなく気になっていました。そして日本に帰国してから、奈良で雅楽の音色を聞いたんです。

1990年春、乃木神社境内にて。舞楽「納曽利 (なそり)」の舞人。これに龍の面を被る。舞台が屋外にあるため、さまざまな自然と触れ合いながら舞える稀少な機会であった ※写真キャプションは鈴木さんによるもの

1990年春、乃木神社境内にて。舞楽「納曽利 (なそり)」の舞人。これに龍の面を被る。舞台が屋外にあるため、さまざまな自然と触れ合いながら舞える稀少な機会であった
※写真キャプションは鈴木さんによるもの

———その後、雅楽を演奏するようになったときのことを教えてください。

わたしが雅楽道友会にいたころは、ホテルの結婚式場や神社で演奏することが多かったですね。特に乃木神社に伺っていました。あの乃木坂と、乃木将軍のお家があったところです。乃木神社では1日に10組以上、結婚式があって、雅楽の演奏も行われていました。舞楽もあるので、舞人をすると一日中、舞を舞っていました(笑)。習得するのは、舞楽の舞と、吹物(ふきもの)と呼ばれる篳篥(ひちりき)か笙(しょう)龍笛(りゅうてき)の管楽器のどれか1つ、そして弾物(ひきもの)である琵琶か箏(こと/そう)の絃楽器を選びます。打物(うちもの)と呼ばれる、太鼓や鞨鼓(かっこ)、鉦鼓(しょうこ:雅楽で唯一の金属製の楽器)はすべて習得することになります。逆に言うと、他の楽器は自分が選んだもの以外はやってはいけないことになっているんですね。例えば自分が龍笛を選んだら、はできません。
順序としては、はじめに管楽器、それから舞、そして最後に絃楽器を習うのが一般的です。絃楽器は特に難しいんですね。絃が絹糸で調絃がすごく難しいのと、曲全体がわかっていないとうまく合奏ができないんです。宮内庁式部職楽部ではもちろん全員が絃楽器を演奏されますが、一般市民が入れる雅楽の団体では絃楽器を演奏しているひとは少ないですね。

1991年夏、世田谷北沢八幡宮にて。舞楽「胡蝶(こちょう)」の舞人。子どもが舞うことが多い可憐なる蝶の舞であるが、「飛ぶ」ように跳ねるのは結構テクニックが難しく、師匠の薗廣教師から「そんなんじゃあ蝶じゃなくて、蛾だ!」と叱られたことがある

1991年夏、世田谷北沢八幡宮にて。舞楽「胡蝶(こちょう)」の舞人。子どもが舞うことが多い可憐なる蝶の舞であるが、「飛ぶ」ように跳ねるのは結構テクニックが難しく、師匠の薗廣教師から「そんなんじゃあ蝶じゃなくて、蛾だ!」と叱られたことがある

1967年に創立以来ずっと男所帯であった雅楽道友会であったが、私が入る少し前から、女性の内弟子を取り始めていた。右は姉弟子の道子さん。道子さんは笙吹きで、わたしは笛吹きだが、このときは道子さんが龍笛を習い始めたところで、結婚式の合間に交換して合奏の練習をしていた

1967年に創立以来ずっと男所帯であった雅楽道友会であったが、私が入る少し前から、女性の内弟子を取り始めていた。右は姉弟子の道子さん。道子さんは笙吹きで、わたしは笛吹きだが、このときは道子さんが龍笛を習い始めたところで、結婚式の合間に交換して合奏の練習をしていた

———そもそも雅楽の特徴というのは何なのでしょうか。

特徴的なのは、まず楽器ですね。楽器自体が、ある意味ですごく精密なんですけど、ある意味ですごくずさんなんです。ずさんというのは、音程が合わせにくいということです。ピッタリ合わせるなんて、奇跡に近いかもしれません(笑)。
例えば笙(しょう)という楽器。これは筒状に並んだ17本の竹の管のうち15本の竹から音が出ます。単音(「一竹(いっちく)」)で演奏することは少なく、複数の竹を和音のように重ねて吹く「合竹(がっちく/あいだけ)」という演奏法を用いますが、ある合竹の音を出そうとすると、演奏者が出していないはずの別の音が、どこからかふわぁっと重なって聞こえてきます。神秘的な感覚ですが、これは現在の音楽用語で差音とか倍音と呼ばれていて、幻聴ではなく、実際に耳から聞こえているんです。昔からそういう音に着目しているのが雅楽なんですね。学校の西洋式の音楽教育で教えられるような、音をきっちり合わせるという感覚からずれたところが魅力的だと思います。

———聞こえないはずの音を聞き、神秘性を感じていたんですね。

昔の文献にも、雅楽の「陪臚(ばいろ)」という曲を演奏すると7回目を繰り返したとき、「舎毛音(しゃもうのこえ)が聞こえる」という話が残っています。この「舎毛音」とは、戦いに勝つ兆候のようなものと描かれています。この音が倍音だとか、周波数がどうとか、今なら科学的に説明ができるかもしれません。それができなかった時代に、なんとかこの不思議な現象に理由をつけたのだと思います。そうしてできた雅楽にまつわる言い伝えが、いくつも残っているのが面白いですね。
さらに笙にともなわれて雅楽の主旋律を演奏する篳篥(ひちりき)も、音程がひとつずつ点々と並んでいるだけではありません。音に幅があるというか、音と音がつながっているんです。音程というのはドレミファソラシドのように決められたものしかないと思われがちですが、本当は物理的にはドとレのあいだも切れ目なく続いているんです。そのあいだの音をすべて拾う、というような考え方ですね。そうした特徴的な楽器で合奏すると、人知をこえた音が聞こえてくる気がします。
雅楽の曲はシンプルで、ただ演奏するだけならあまり難しくはありません。わたしは小さいときにピアノを習っていて、簡単に弾ける曲から難しい曲に、徐々にグレードを上げていきました。でも雅楽はそうではなくて、曲自体はだいたいどれも同じレベルです。その中でどうやって深めていくかという、名人芸みたいな話になってくるんですね(笑)。他の楽器と合わせるのは経験や勘が重要になってきます。

———そこから、京都造形芸術大学に入学されていますね。

実際に演奏することも好きだったのですが、理論的なことも学びたいと思っていたんです。そんなときに、京都造形芸術大学ができました。しかも文化財について学べる学科もあったんです。それで雅楽の仕事をお休みして、造形大の芸術学科に入学しました。わたしが第4期生で、入学当時はまだ卒業生はいませんでした。
芸術学科のさまざまな授業に出ているうちに、フランスの哲学者、ベルクソンの哲学に影響を受けて、芸術学と文化財の理論のあいだのようなことに興味をもって学んでいました。具体的に雅楽のことを主題にしようと決めたのは、東京大学の修士課程で研究しようと考えてからでした。芸術学的な視点と歴史学的な視点から、雅楽を研究するようになり、そもそも文化財とは何なのかということから調べはじめました。
今は世界遺産がブームで、それらを訪れるひとも増えていますが、世界遺産という思想ができた理由について知りたかったんです。

2019年12月、『〈雅楽〉の誕生』でサントリー学芸賞(芸術・文学部門)受賞。大学院の指導教員をはじめ、これまでお世話になった先生方、そして家族にお礼を言う機会となり、とても感謝している。さらに嬉しかったのは、博士論文研究を始めてからは長らく離れていた雅楽の現場の兄弟子さんたちがきて祝ってくれたこと Photo:サントリー文化財団

2019年12月、『〈雅楽〉の誕生』でサントリー学芸賞(芸術・文学部門)受賞。大学院の指導教員をはじめ、これまでお世話になった先生方、そして家族にお礼を言う機会となり、とても感謝している。さらに嬉しかったのは、博士論文研究を始めてからは長らく離れていた雅楽の現場の兄弟子さんたちがきて祝ってくれたこと
Photo:サントリー文化財団

———その後、東京大学の博士課程にすすんで書いた博士論文が、書籍『〈雅楽〉の誕生 田辺尚雄が見た大東亜の響き』になったそうですね。これを執筆しようと思ったきっかけを教えてください。

博士論文とこの本は、内容的には重複している部分があるとはいえ、かなり別なものなんですね。まず、この博士論文を書こうと思った動機は、それまで当たり前とされていた雅楽の定義に疑問をもっていたからです。雅楽演奏をしていたころ、小学生の前で雅楽について説明する仕事も手掛けていました。そのときに「雅楽というのは、平安時代からずっと変わらずに皇室で演奏されている音楽です」という、辞書に載っているような説明をしていました。
ですが、平安時代の演奏を聞いたこともないのに、こんな説明をしていいのだろうかと疑問をもつようになりました。そして事実かどうかわからないことを説明している自分が、嘘をついているように思えてきたんです。
そういう視点でみると、平安時代の音楽としていま売られている雅楽のCDも、本当に平安時代の音楽と言えるのかどうかわからなくなります。CDは現代のひとが、現代の解釈をして、現代の技術で録音しているわけで、もちろん当時の音源が残っているわけではありません。
そこで雅楽の「起源」を探ろうと、雅楽に関する書籍や新聞・雑誌の記事、レコードなどを片っ端から調査するようになりました。

———書籍を読むと、田辺尚雄という日本音楽研究者の足跡をたどる構成になっています。なぜ田辺尚雄に着目したのでしょうか。

雅楽に関する過去の資料を読むと、ほんとうに田辺尚雄の書いたものばかりが出てくるんですよ。論文や雑誌の記事はゆうに二千を超えていますし、彼はそのほかにも書籍や日記など膨大な数の文章を残しています。ですから雅楽の文献にあたると、彼の文章を幾度となく読むことになって、特に書籍では足跡をたどるかたちになりました。後の研究者が彼を取り上げるのが難しかった理由のひとつは、資料が膨大な数にのぼることがあげられます。
田辺は同じ主張を表現を変えて何度も言っていたり、同じ原稿を部分的に使いまわしていたりもするのですが、そうまでして自らの考えを伝えようとする熱意に圧倒されます。日本音楽の研究を通して世界を変えたいという思いも感じますね。そして日本音楽研究という新しい学問を、ブルドーザーのように開拓してつくり上げていった功績は本当にすごいと思います。
数多くの資料を調べ続け、博士論文を書き上げるまでには、長い時間がかかりました。途中にマーケティング業界で働いたり、パリの大学に移ったりして、寄り道をしているうちに、結局8年かかりました。

———その博士論文が書籍になったときのことを教えてください。

田辺尚雄自身も本を出していた春秋社から、わたしも出版できてすごくうれしかったですね。春秋社からは簡単には出せないと聞いていました。ためしに編集者の方に読んでもらえることになり、はじめに送った序文にはかなりのエネルギーを注ぎました。わたしが書きたかったことの情熱を最初の文章に詰め込まないと、続きは読んでもらえないと思ったんです。それで「面白いから、本を書いてください」と言われて、「やったー!」と。書籍の序文は、ほぼそのときのまま載っています。
ただ、あとの内容は、単に論文の中身を並び替えるだけではなくて、一般読者の方が専門的知識がなくても理解できるように、かなり加筆、修正することになりました。

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京都にいたときに大阪市大正区まで習いに通っていた沖縄の三線を、パリに行ってからまた自分で弾きはじめた。パリにある天理日仏文化協会図書館にて「沖縄民謡酒場」を2016年お正月に開催。沖縄の笛は雅楽の龍笛よりも重量が軽く、また歌の細部に合わせるように吹かなくてはならないため、素人のわたしはてこずる。でもさいごはフランス人のお客さんたちも一緒に踊って終了! Photo:貞廣孝

京都にいたときに大阪市大正区まで習いに通っていた沖縄の三線を、パリに行ってからまた自分で弾きはじめた。パリにある天理日仏文化協会図書館にて「沖縄民謡酒場」を2016年お正月に開催。沖縄の笛は雅楽の龍笛よりも重量が軽く、また歌の細部に合わせるように吹かなくてはならないため、素人のわたしはてこずる。でもさいごはフランス人のお客さんたちも一緒に踊って終了!
Photo:貞廣孝

———研究者が読む論文を書籍にするには、読み手のことを考えることが重要なんですね。

そうですね。この「読者のことを考えて書く」という発想は、文章以外の他の分野でも大事なことだと思います。例えばフランスで、一般の聴衆に向けて雅楽の説明をする際、日本の研究者よりもフランス人の研究者のほうがうまいんですね。それはフランスの聴衆が知りたいこと、待ち望んでいることを知っているからです。あまりにウケを狙って事実を曲げてしまうのはいけませんが、専門知識がないひとに聞いてもらえるように話すというのは重要なテクニックです。
ひとに伝えるという意識は、伝統芸能の世界でも必要だと思います。専門家にしか伝わらないものだと、広く残っていきません。伝統芸能も、伝統というものにあぐらをかかず、客観的に見直していかなければいけないと思います。㈭a

2016年、パリのパッサージュ・デ・パノラマという18世紀末に作られた歴史的建造物のアーケード街で「日本祭り」が開催された際、雅楽のコンサートを行った。石の天井が高く、残響が洞窟のようで、子どもたちも前列で聞き入っていた Photo:水野みか子(上) Photo:Pascal Cordereix(下)

2016年、パリのパッサージュ・デ・パノラマという18世紀末に作られた歴史的建造物のアーケード街で「日本祭り」が開催された際、雅楽のコンサートを行った。石の天井が高く、残響が洞窟のようで、子どもたちも前列で聞き入っていた
Photo:水野みか子(上)
Photo:Pascal Cordereix(下)

———書籍の表紙の写真も、雅楽の演奏とコンテンポラリーダンスのコラボレーションのようですね。

そうなんです。これはフランスの国立音楽施設、フィルハーモニー・ド・パリで2018年の10月に行われた、雅楽アンサンブル、伶楽舎のコンサートで撮られた写真です。舞楽ではなくコンテンポラリーダンスを取り入れ、現代音楽の雅楽を演奏しています。書籍のあとがきにも書きましたが、このコンサートでは終了時に「ブラボー」が連呼されていました。フランスのコンサートで、「ブラボー」を簡単に聞くことはできません。
革新的なものを取り入れた表現が評価されるのは、フランスに限ったことではないはずです。伝統芸能に触れる機会を失ってきている多くの日本人に対しても、同じことが言えると思います。

———田辺尚雄もはじめは当時の保守的な伝統主義者とはちがう主張をしていました。ところが時代を経ると、保守的ともとれる発言をしていますね。

実はわたしも将来、もし日本が世界的にとても弱い立場に置かれるような日が来たら、「日本には伝統芸能がある、きちんと正しく保存しよう」などと保守的なことを言うような気がします(笑)。実際、これから日本の経済力は低下し、世界の中で存在感が薄れていくと言われています。そんなときにわたしたちが心の支えにしようとするのは、受け継がれてきた伝統や文化なんですね。
それが、かつては革新的な主張をしていた田辺尚雄にも訪れたことだと思うのです。戦後、敗れた日本が立ち上がっていくときに、文化財を守るという思想は人々を勇気づけた薬だったのではないかと思います。伝統を財産だと考えることで、「日本はこれからも日本としてやっていける」という気持ちを奮い立たせることができたのではないでしょうか。
雅楽のような伝統音楽も、その歴史を知り、伝えていくためにはどうすればいいか、改めて見直す時期にきていると思います。それをわたしも、伝統音楽に携わる方たちと一緒に考えていきたいと思っています。

現在は1970年代の音文化について研究をしており、小沢昭一(画像)について調査をしている。写真は2019年1月25日にフランスの国立図書館と協力してオーガナイズした国際シンポジウム「日本の音の記憶」のときのもの

現在は1970年代の音文化について研究をしており、小沢昭一について調査をしている。写真は2019年1月25日にフランスの国立図書館と協力してオーガナイズした国際シンポジウム「日本の音の記憶」のときのもの

取材・文 大迫知信
2020.03.03 フランスの鈴木さんとオンライン通話にてインタビュー

Photo:水野みか子

Photo:水野みか子

鈴木聖子(すずき ・せいこ)

1971年東京都生まれ。2012年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程(文化資源学)単位取得退学、東京大学東京大学大学院人文社会系研究科附属次世代人文学開発センター特別研究員、京都造形芸術大学・非常勤講師、パリ・ディドロ大学(パリ大学)東アジア言語文化学部・助教などを経て、現在は大阪大学大学院文学研究科音楽学専修・助教。博士(文学)。専門は近代日本音楽芸能史、音楽芸能の文化資源学。
共著に『伝統を読みなおす1 日本文化の源流を探る』野村朋弘編(京都造形芸術大学出版局、2014)、論文に「近代における雅楽概念の形成過程」『文化資源学会』第4号(2006)、« Le gagaku, musique de l’Empire : Tanabe Hisao et le patrimoine musical comme identité nationale(雅楽、皇国の音楽:田辺尚雄と民族アイデンティティとしての音楽遺産) », Cipango, 20号(2013URL : https://journals.openedition.org/cipango/1999)、「沖縄音楽の録音採集における周縁性の諸相」『京都造形芸術大学紀要GENESIS20号(2016URL : http://id.nii.ac.jp/1152/00000175/)など。


大迫知信(おおさこ・とものぶ)

大阪工業大学大学院電気電子工学専攻を修了し沖縄電力に勤務。その後、京都造形芸術大学文芸表現学科を卒業。大阪在住のフリーランスライターとなる。経済誌『Forbes JAPAN』や教育専門誌などで記事を執筆。自身の祖母がつくる料理とエピソードを綴るウェブサイト「おばあめし」を日々更新中(https://obaameshi.com/  )。京都芸術大学非常勤講師。祖母とともにNHK「サラメシ」に出演。京都新聞(191013日朝刊)に祖母とおにぎりのエピソードが掲載される。