(2020.03.08公開)
斉藤上太郎さんは「JOTARO SAITO」のキモノデザイナーであり、テキスタイルアーティストだ。近年では東京・銀座にある商業施設「GINZA SIX」での直営店のほか、西陣織などのテキスタイルをつかったインテリアのデザイン、ホテルの内装など、さまざまな場面でジャンルにとらわれないクリエイションを発表している。幅広いものづくりについて話を伺うなか、すべての核にある「日本の美」についての深い理解と、先鋭的なまなざしを感じた。
———着物作家として異例の27歳でデビューされて以後、現在も新しいスタイルを提案されています。上太郎さんは3代目となりますが、小さい頃からいずれ着物作家になることは決めていたのでしょうか?
そうなるもんだと自然に思っていましたね。20歳でうちに入社して以来、父について販売をしたり、問屋に行ったり、着物の色出しや生産管理もスタッフとしてやっていましたから。どっぷりそのなかにいると、技術も技法もあるのが当たり前で、着物をつくることが特殊なことだと思わなかった。
ただ、着物をやっていくにしても、若いひとに着てもらえるファッションとして発信していきたいという思いはありました。デビューした30年ほど前ってちょうど高度経済成長期の終わりの時期というか、着物が日常のものから嫁入り道具のような儀式的なものになっていった時代だったからね。道具でしたから個性も必要ない。手間暇もお金も時間もかけて着るのに、みんな同じ薄い色合いのもの、みたいな。そんな道具をつくるなんて、つまらないですよね。
うちは代々へそ曲がりな染屋なんです。初代(斉藤才三郎氏)から着物をファッションとしてつくってきたし、2代目にあたるうちの父(斉藤三才氏)もそうでした。デザイナー的な考えで着物をつくる工房だったので、技術や技法、この道で何年やっているかという数字は問われなかったんです。一般的にもそういうイメージのある工房だったので、デビューも早くできたんだと思います。
———代々歴史や技法を継承して伝統を守るというのが、想像される工芸の世界だと思うのですが、そもそもそういう工房ではなかった。
うちの家訓に、「同じ配色や図案を使うのは相成らん」というのがあるんです。それは継承でもなんでもなくて、手抜きと一緒なので基本的にやったらダメ。歴史を振り返ってみても、初代は日常のファッションとしての着物をつくっていたし、父も着物が日常着からホテルや会館で着るような衣装になっていく時代のなか、和ではなく洋の景色のなかで着る着物をつくりました。そこで父は、はじめて着物と帯の柄を同色にしたんです。それってスタイルの提案じゃないですか。それまでは着物は染屋がつくり、帯は西陣で織られていて、その両方で組み合わせを考えていたんです。なので帯にも、これは何歳用のものとか、振袖用のものというふうに年代が決まっていて、個性的なものづくりができるシステムがそもそもなかった。はじめて父がそこに提案して、職人のなかにデザイナーが生まれました。
僕も、平成から令和へと時代と美意識の価値観が変わっていくなかで、どういう着物が生み出せるか。地味とシックは違うし、赤やピンクは今や若い子だけの色じゃないし、男性が着てもかっこいい花柄もある。でもそういった着物があること自体知られていなかったりもするので、きちんとファッションショーなどで発信していくことが必要だし、やってきています。
———しかし「着やすい」「扱いやすい」チープな着物ではなく、工芸的な美しさや思わず背筋が伸びるような格式も併せ持っている、絶妙なバランスが「JOTARO SAITO」の着物の魅力のように感じます。
よく「洋服らしい」とか、「モダン」と言われるんだけど、僕はかたちも全然変えていないし、実はハイヒールやブーツを合わせる提案もしてないんです。手間がかかるのも着物の良さだし、お客さんも「便利だから着よう」とはならない。Tシャツみたいにじゃぶじゃぶ洗えるのが素敵さだとも思えないし。
もちろん、絹だけじゃなく洗える着物もつくっているし、ポリエステルのジャージの着物もつくっているけど、そこもさじ加減が大事ですね。ジャージ素材だから確かに絹よりは安いんだけど、チープなものになっては絶対ダメだし。いろんな着物を着てきたなかで、これちょっと面白いかもって思ってもらえることが必要。だからわざとラインを入れるとか、ジャージのディテールを入れてみたりして。デニムの着物もうちが最初につくったんですが、あれもステッチやスタッズを入れて、「そうそう、洒落やけどな」っていうのが伝わるようなものにしたんです。「3代も続く着物屋なのに、なんでデニム?」って疑問に思うひともいるけど、そこは変わりゆく美意識でしょう、と。
———時代をキャッチしながら、既存のものではなく新しい美意識を生み出す。そのために必要なアイデアはどこから湧き上がるのでしょうか?
日常ですね。ファッションはストリートだから。シルクロードに行って、砂丘の上にラクダが浮かんでいるような絵をつくる着物作家もいるけど、ああいうことはやりたくないな。日常のなかで、こんな柄のパンストが出てきたんだ、こんなコートがあるんだ、また古いディテールが出てきたなとか。映画でも本でも雑誌でも、いろんなことからヒントを得て、こういう空気感や美意識のなかで着る着物なのかなって考えます。手間がかかる服なので、もちろん特別な日に着るものになるでしょうけど、今日はスーツにしようか、ワンピースにしようか、着物もいいなっていうふうに、ワードローブのひとつに落とし込める着物をつくりたいんです。用事が終わっても、「せっかくだからもう1軒バー寄って帰ろう」みたいに思える着物じゃないと、面白くないし選んでもらえない。それはプロダクトをつくるうえで、伝統や文化より必要なことだと思いますね。
———ファッションショーのほか、YouTubeで着物の着こなし方を紹介するなど、発信もさまざまに行われています。
大きな契機は直営店を開いたこと。2009年に初の直営店「絹磨×JOTARO SAITO」を六本木ヒルズにオープンしたんですが、着物の直売をやるなんて業界ではタブーなことでした。伊勢丹も大丸ももともと呉服屋さんですから、そういうルーツがあるなかで直営店を出すなんて絶対NGなことなんです。でも、インターネットの発展や時代の移り変わりもあって、問屋さんにとって売りやすい商品をつくるのではなく、一気に消費者目線のものづくりに変わった。僕らがやったのは産直安売りショップではなく、ブランドのバリューを売る店です。逆に言うとちょっとでも高く売れるための価値を上げるブランディングショップなので、同業者からの風当たりはわりと少なかったかもしれません。うちは着物を売っているんじゃなくて、つくっているところなので、染屋としてなりわいをしていくことへのこだわりもありましたし。
———そこから2017年には、GINZA SIXに直営店をグランドオープンされました。店内にはカフェも併設されていて、空間やオリジナルのアイスキャンディといったスイーツもふくめ、ブランドの世界観を見せる場になっていますね。
たしかに六本木ヒルズでお店をしていましたけど、零細企業だし、大きな資本でも商社でもない。ひとつの染屋がお店をやっていたんですね。そんななかGINZA SIXさん側から、「伝統や文化という点で新しいものを」と依頼をいただいて。うちにしてはチャンスしかないですよね。いろんな会社があるのに、銀座の一等地に声をかけてもらえるなんて。身の丈に合わない広さの店でしたけど、おかげさまでいいかたちで推移しています。白足袋も置いてないような、日本中の着物ブランドのなかでも不思議な立ち位置ですし、お客さんは「なんか面白いものないかな」って思われて来てくださっています。
———そのほかにもインテリアやホテルの内装といった、そもそもテキスタイルの枠からも外れた広範囲のジャンルでものづくりをされているのが興味深いです。
例えばテキスタイルをホテルの壁に貼るとしたら、構造物としてのレギュレーションが必要になりますよね。椅子をつくるにも何で強度を上げたらいいのかなど、課題も研究してクリアしていきながら、工芸的な美しさや色を感じられるものをつくる。そういったレギュレーションと、工芸的な価値観や手法を併せ持つことをクリアしたのは、うちがはじめてなんです。スイーツでも内装でも、やるからにはお客さんが望むものに対して本気でつくる。それはうちらしいことかなと思いますね。
一番大事なのは「うちらしいか」ってことだし、基準はやっぱりそこですね。どれも道楽ではなくビジネスなので、うちらしい展開でうちらしい商売につながっていけばと思います。それから僕の根幹にあるのは、「着物をつくっている」ということ。着物屋がつくるアイスキャンディだから面白いし、というふうに必ず「着物屋」が枕詞につく。「着物があかんようになったから、別のことでうまいようやってはる」と思われがちなんですけど、別のクリエイションをやればやるほど、僕の着物のタレント性が上がるんです。他のことをやることで自分のルーツがわかって、それもすごく面白い発見ですね。だからどんなに着物が厳しくなっても、つくり続けると思うんです。
———時代とともに価値観も変わっていき、デザインや発信方法にも変化があると思いますが、同時にテクノロジーの発展もものづくりに深く関わりそうです。
例えば今、振袖はインクジェットで印刷するものが9割5分ほど。昔手描きでやっていた作業を機械がすることで、すごいこともできるんだけど、手描きの置き換えでやるとやっぱり手描きの偽物になるんですよね。だからインクジェットでしか生まれない新しい価値を生み出せばいいと思うんですけど、手間をはぶくためという発想しかなかったりして、結局偽物になってしまう。ほかにも絹のようなポリエステルの着物をつくるひともいるんですけど、絹を目指そうとするから価値が生まれないんですね。魔法のようなマシンを手に入れても、センスがなければつくれない。昔は綺麗に、すばやくムラなく染めるのが職人の仕事でしたけど、今の職人はまったく違うところにアンテナを張っていないといけないんですね。
この25年のあいだに、業界も制作の主流がMacになっていきました。今までアナログで描いていた図案を、デジタルに残していこうというブームがあったんですけど、うちはそのブームに乗り遅れて。実はこんなにいろんなデザインの仕事をしているのに、会社に1台もMacがない。だからいまだに手描きの図案なんですけど、見るひとには「やっぱり本物やな」って感激されますね。昔からやっていることのひとつなんだけど、今となっては驚かれる。今更Macを入れる気も毛頭ないし、手描きだと味があるしね。ちょっとした線のズレとか、ひねりも出てくるし、それはそれで面白いというか。
———そのギャップは非常に面白いです。最後に、今後の展望を教えていただけますか。
2020年2月29日から、英・ロンドンにあるヴィクトリア・アンド・アルバート(以下V&A)という博物館で開催される、「Kimono: Kyoto to Catwalk」に2点作品を出品、収蔵します。着物をあくまでもファッションとして取り上げる展示で、江戸から現代までの着物が展示されます。浮世絵とゴッホみたいに、着物のディテールや柄が洋服に与えた影響を紹介したりするそうです。V&Aでは年に2回、ファッションショーを企画されるんですけど、5月25日には「JOTARO SAITO」としてショーを行います。世界的に権威ある博物館だし、海外でやることも、実ははじめてなので楽しみですね。
———さらにまだ実現の予定はないけれど、やってみたいことがあれば教えてください。
着物をテーマにしたようなアートホテルをつくりたいですね。大きいアート作品のような建築、空間というか。うちも工房ですが、一般的に染にしても織にしても工房ってめちゃくちゃで、カオスなんですよ。豪華で綺麗なものではなく、そういった隠微でカオスなアート空間をつくってみたいなって。
昔から日本には、影の奥にキラッと光る織物を置くといった、陰翳礼讃のような美意識がありますよね。金魚にしてもそうで、らんちゅうのデコボコの顔なんて奇形だから本来は気持ち悪いはずなのに、昔のひとが美しさを見出した。そういう美学って面白いし、それを美しいと思う日本人の審美眼もすごいなって思うんです。だから着物をテーマにしたホテルと言っても、着物が展示されていたり、着られたりする場所というわけではない。新しい価値観、美しいものの見せ方を、つくってみたい気がしますね。
取材・文 浪花朱音
2020.02.03 株式会社三才にてインタビュー
斉藤上太郎(さいとう・じょうたろう)
京都府出身。祖父に染色作家の故斉藤才三郎、父に現代キモノ作家・斉藤三才を持ち、近代染色作家の礎を築いてきた家系に生まれる。27歳の最年少でキモノ作家としてデビュー以来、現代空間にマッチするファッションとしてのキモノを追求。TVや雑誌などメディアにも頻繁に紹介され、日本を代表するキモノデザイナーとして活躍中。「和を楽しむライフスタイル」を提唱し、また、テキスタイル・アーティストとして、インテリアの制作まで多方面に才能を発揮している。
東京ファッションデザイナー協議会正会員。株式会社三才 代表取締役社長。
https://www.jotaro.net/
近年の主な活動
2019年 東京コレクション「邪魔しないで。(UNOBSTRUCTIVE)」発表
2018年 東京コレクション「MADOWASU」発表
2017年 GINZA SIX にカフェ併設の旗艦店をオープン
2016年 東京コレクション「GO BEYOND]発表
2015年 東京コレクション「DARK FAIRY TALE」発表・日本・トルコ合作映画「海難1890」に衣装協力
2014年 東京コレクション「POWER OF FLOWER」発表・東京コレクション「KIMONO STYLE 2SOULS COLLECTION」発表
2013年 東京コレクション「DRESS people 不易な流行」発表・デザインの依頼を受けた「函谷鉾」のオリジナル浴衣と手拭いを祇園祭りで発表・きものサローネ東京キモノコレクション「THE HERITAGE」発表
2012年 東京コレクション「FUTURISM」発表・PSコミュニケーションズ株式会社『ほっと電報 モノクローム牡丹』 JOTARO SAITO デザイン発売
2011年 「ミラノ・サローネ」にて家具メーカー カリモクとのコラボレーションによるファニチャーのプロダクト「火焔(KAEN)」と「流(NAGARE)」発表・早乙女太一氏主演舞台衣装担当・PSコミュニケーションズ株式会社『ほっと電報 刺しゅう・四君子紋』 JOTARO SAITO デザイン発売・東京コレクション「+STRIPE」発表
2010年 東京コレクション「清風明月×水月鏡花」発表・ GACKT氏主演の「眠狂四郎無頼控」で舞台衣装担当・早乙女太一氏主演舞台衣装担当・上太郎を含む三人のデザイナーのプロデュースによる八方園“白鳳館”がリニューアルオープン
浪花朱音(なにわ・あかね)
1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学を卒業後、京都の編集プロダクションにて書籍や雑誌、フリーペーパーなどさまざまな媒体の編集・執筆に携わる。退職後は書店で働く傍らフリーランスの編集者・ライターとして独立。2017年より約3年のポーランド生活を経て帰国。現在はカルチャー系メディアでの執筆を中心に活動中。