(2014.12.05公開)
岩手の曹洞宗のお寺に育った齋藤正惠さん。一度は僧侶となる修行のため北海道の仏教系の大学に入学するが、卒業後は当初の夢であった美術の教師になるため京都造形芸術大学のこども芸術学科に1期生として入学。そこで出会ったワークショップが、斎藤さんと現在のイルフ童画館の学芸員という仕事を結びつける。ひとに興味があり、ひとと関わるが好きだという齋藤さんが、仏教との密接な関係のなかで見つけたひととアートのつながりとはどういったものだろうか。
——齋藤さんはご実家がお寺ということですが、具体的にどういった環境で育ったのでしょうか?
元住職だった祖父が亡くなり、後継ぎのため一度は婿をとりましたが現在はわたしの母が住職をしています。わたしがまだ保育園児のとき修行に行き僧侶になりましたので、物心ついたときから母親があたまを丸めている姿がふつうでした。またさまざまな想いを抱え、生きる糧や術を求めてお寺にやってくるひとと、彼らの相談にのる住職である母親の姿をずっと見ていたので、幼いころからひとに対してとても興味がありました。こういった仏教との関わりがわたしのスタート地点になっています。
高校生のとき、祖父の代から難航していたお寺の建て替えが決定し、母親から「何かあったら継いでくれる?」と聞かれました。わたしにとってあとを継ぐというのは至極当然のことでしたので、特に異論もなくそのまま札幌にある駒沢大学という仏教系の大学に入りました。大学の長期休みの1ヶ月間は修行し、トータル3回修行に通えば最短3ヶ月で僧侶になれるという曹洞宗の特殊な修行形態をとり、それと同時に教職と学芸員の資格も取得。もうやれることは何でもやっとけ! という勢いでした。
——大学卒業と同時に、家を継げる状態でもあったんですね。ですがその後、京都造形芸術大学に入学されたきっかけはなんでしょうか?
もともと、建て替えや後継ぎなどで何も問題がなければ好きなことをやっていいという条件だったんです。なのでお寺の問題が収まり、美術の先生になりたいという当初の夢のために勉強ができる学校を調べていると、ちょうどこども芸術学科が新しく立ち上がると耳にしたんです。すぐさま「きっとアクティブな学科に違いない!」と興味が湧き受験を決めました。他にもいくつか受けてはいたもののどこもかっちりした授業が主体で、京都造形芸術大学ほど惹きつけられませんでした。
——立ち上げの学科となると確かに何が起こるのか具体的にはわかりませんが、希望は膨らみますよね。こども芸術学科在学中はどのようなことを学ばれていましたか?
まずこども芸術学科は保育士資格が取れますし、こども芸術大学*におじゃまして授業したり、彫刻、油絵、木工と多種多様な芸術に触れさせてもらえました。ですが特に関心があったのは当時学科長だった水野哲雄先生という方のゼミで出会ったワークショップです。学内にとどまらずあらゆる場でワークショップし、その経験がひとと関わることの面白さを改めて感じさせてくれました。卒業制作もワークショップ形式にし、『インドラネット』という仏教の思想を具現化してみました。インドラネットとは、インドラという神が世界中に張り巡らせている網には人間一人一人を表す玉がぶら下がっており、その1つにでも光が当たると玉はお互いを反射し合い、そして全てがキラキラと輝き出す。「ひとは関わり合い、共存し合ってるんだよ」ということを例えた教えです。買ってくるだけだと味気ないので網は自分でテグスを編んだものを。玉はビーズなどの丸いものを用意しておき、参加者の皆さんに赤や黄色、渋いものなどそれぞれ自分のイメージに合った玉をつくってもらい、壁に貼り付けた網に吊るしていってもらいました。つける場所も網の中心、端など自分が居そうな場所を想像してもらって。
卒業作品展というせっかくいろんなひとと関われる機会に誰もが手に取りやすく楽しめるようなものをつくりたくて。出来上がった作品をぽんと置かれているだけだと「これは誰がどうつくったの?」と、具体的な興味が湧きにくいのではと感じていました。ですがそこに自分(参加者)が入ることで関心をもってもらえるんじゃないかと考えたんです。
*……京都造形芸術大学にある3歳から小学校入学前の児童と保護者で通う教育機関。
——卒業制作がワークショップ形式ということがまず驚きでしたが、ひとに興味があるという齋藤さんならではの作品ですよね。こども芸術学科はおっしゃったようにこどもたちと関わる機会も多いと思いますが、そもそもこどもと芸術のつながりとはどういったものだとお考えですか?
こどもはみんな表現が大好きです。作品には必ずその子なりの表現があり、話さなくとも見ているだけでその子がどういう子なのかが伝わってきます。ふだんからこどもたちと作品を通した関わりをもっていると、急に泣いたり怒ったりしてしまったときの彼らの感情の起伏の原因がわかることもあります。大人になるにつれ表現の機会も、下手だからという理由で積極的に描こうとするひとも減ってしまいますが、表現するということは人間として当たり前の行為なんです。上手い下手を意識せず、自由に自分を出せる場として、こども時代に表現に関わっておくというのはとても大切だと感じています。そもそも美術の先生なりたいと思ったのも、アートによってそのひとらしさを引き出したいと思ったからです。
——実際は美術の先生ではなく、イルフ童画館で働かれるようになったきっかけは何でしょうか?
はじめはおもに教職のほうを探していたんです。美術の教師は県でひとりの募集といった具合で倍率も高くどこも落ちてしまったのですが、学芸員資格ももっているのだからと視野を広げて探しはじめたときに、イルフ童画館の学芸員募集の紙を見つけました。最近の美術館は教育に力を入れているところが増えていますし、学芸員もひとと関われる仕事なんじゃないかと思い、美術の教師にはなれなくともわたしの目指していたアートによってそのひとらしさを引き出すという仕事はできるんじゃないかと思ったんです。
——もともと武井武雄*1さんをご存知で応募されたのだと思っていましたが、違ったんですね。
武井武雄のことは、イルフ童画館に応募するにあたり調べて初めて知りました。知れば知るほど「なんだこのひとは! ものすごいひとではないか!」と驚きの連続で。こども芸術学科というこどもに関することならなんでも知っていそうな学科にいながら、彼のことを一度も聞いたことがなかったからです。彼の弟子である、いわさきちひろ*2さんなんかはとても有名なのに彼の存在は埋もれてしまっている。「これはみんなに知らしめなければならない」という使命が芽生えました。自分が武井を知らなかったことが伝えたい想いをより一層強くしています。
*1……長野県岡谷市出身の童画家、版画家、童話作家(1894 – 1983年)。
*2……福井県出身の画家・絵本作家(1918 – 1974年)。
——イルフ童画館はどういった施設なのでしょうか?
3階建ての建物のうち3階は、岡谷市出身の美術家である武井武雄の作品約2,000点を毎回テーマごとに常設しています。2階はまったく別の企画展のスペースになっていて、イルフ童画館は武井の展示だけでなく年に5回企画展をするという変わった美術館なんです。『かいじゅうたちのいるところ』で有名な絵本作家モーリス・センダック*の原画も実は日本一所蔵しており、そちらも常設しています。
また毎週日曜日はイベントを入れています。以前は読み聞かせをやっていたのですが、内容は違えど何年も続けているとマンネリ化しますし美術館の集客問題もありましたので、ワークショップをやりたいと提案してみたんです。武井や企画展に合わせた毎回内容の異なるオリジナルのワークショップを。作家によって作品の楽しみ方は違いますし、視点の切り口はたくさんあったほうが面白いんじゃないかと。こういったところがこども芸術学科で学んだことが大いに活かされてますね。
*……アメリカの絵本作家(1928-2012年)。80冊を超える作品を発表した現代絵本界を代表する存在。『かいじゅうたちのいるところ』は1963年に出版され、世界中で約2,000万部売れている。
——イルフ童画館での学芸員としての仕事はどういったものですか?
作品の管理や修復作業、そして調査や研究がまず挙げられます。タイトルが不明の作品であっても作者のノートを細かく調査することで判明したなど、研究結果は作品の評価に大きく関わります。ふだんは企画展の準備が主体となることが多いですが、作品と向き合うことはとても重要な仕事のひとつです。ほかにも宣伝活動など、現在は主にfacebookとツイッターの書き込みを担当しています。また最近は小中学校から対話型鑑賞をやってくれないかとのお声をよくかけていただきます。対話型鑑賞というのは名前のとおりコミュニケーションを中心に作品を鑑賞する方法のことですが、参加する生徒さんや司会進行役のファシリテーターと呼ばれるひとによって内容が変わってくるので形式は多種多様あります。学校の授業時間内で美術館まで来て鑑賞して帰るというのはなかなか難しいので、わたしたちが出向いて作品を鑑賞してもらう。実はこういった教育普及活動は美術館のほうから学校に企画を提案させてもらったんです。実際に指導案をつくって学校の先生方の会議に入れてもらううちに次第に浸透していき、今はあちこちからご依頼のお声をいただけるようになりました。
——教育普及活動では、どのような成果を目指しているのでしょうか?
ひとつの作品を大勢で一緒に鑑賞することで視点の相違点に気づき、今までと違った見方を持てるようになるんじゃないかと考えています。宗教でも、仏教、キリスト教、また異なる宗派であっても真理はほとんど一緒だったりします。ただどこをどう切り取るか、つまり教えの違いという、真理へのアプローチが異なるだけ。アートを通してそのような切り口の違いを見つけてもらい、ひとの数だけさまざまな見方があっていいんだということを伝えたいですね。
——ひとつの答えを求めるのではないことを手がけるのはとても難しいように感じますが、気をつけていることや考えていることはありますか?
イルフ童画館に就職してから、美術館がいかに世間から切り離されているかを感じました。なので、まず美術館の存在意義をわかってもらいたいと思ったんです。窓口を広くするためにもワークショップはいい手段だと思っています。鑑賞まではいかないけど創ってみたい、作家さんの話は聞いてみたいという方が意外と多く、鑑賞の前段階としてハードルを低くしたワークショップというかたちから入ってもらって「表現するのって思ってたより楽しい!」という想いを引き出す。初めは苦手だからと乗り気じゃなくともだんだんと自分の作品に愛着をもつようになる方がほとんどです。次第にほかのひとはどうやっているのかな、といった具合に参加者の方自ら作品にまつわることを知りたくなってくる。そうなると成功ですね。作品に親しみを抱くと、ふだんの自分の生き方にも重ねやすくなり、生き方の幅が広がるんじゃないかと思うんです。
結局はひと対ひとの関わりなので、相手によって柔軟に対応を変えいかにそのひとと作品を結びつけるか。アートを介してわたし、もしくはワークショップの参加者同士、そして鑑賞し終わったあとに出会うひととがつながるかどうか。初めはわたし自身、芸術なんてもっと堅苦しい世界だと思っていたので、今これほどワークショップによってひととつながっていっているという実感が本当に楽しいです。
——イルフ童画館での印象深かった出会いはありますか?
企画展の話し合いで作家さんとお話できるのもとても貴重な体験なので毎回感慨深いものはあります。また来館者の方が作品と出会い、そのひとの中で何かが変わる瞬間というのは感動します。絵の前で泣き出すひとやその場をずっと離れないひと。そのひととの直接的な会話はありませんが、このひとは今、何かが変わっているんだと伝わってくる瞬間を目にできるのはとても嬉しいです。
——学芸員という芸術を扱うお仕事をされていますが、齋藤さんは世の中にとって芸術はどういった存在であったらとお考えですか?
わたしのベースには仏教があり、また仏教とアートはとても似通った存在です。衣食住ではないので必ずしも必要ではありませんが、宗教も芸術もあればより豊かに、そして人間らしくなるものだと思います。生きるのが辛くなったときに教えがあると救いになるのと同様、なんとなく美術館に来て「この絵なんだかいいな。ちょっと癒された」と、芸術もひとの気持ちに変化を与えます。芸術には必ず鑑賞者という「ひと」がつきまといます。ひとが表現しているものなので、ひとがいないと成り立ちません。芸術を切り捨てるのは簡単ですが、あればより世の中を豊かにできると思っています。
インタビュー・文 中野千秋
2014年10月13日 スカイプにて取材
齋藤正惠(さいとう・まさえ)
1985年岩手県生まれ。曹洞宗のお寺で育ち、苫小牧駒沢大学にて仏教文化論を学んだ際、僧侶になる資格を取得。2008年、京都造形芸術大学こども芸術学科に1期生として入学。2011年に長野県岡谷市のイルフ童画館に学芸員として勤務し始め、ワークショップ、そして芸術による教育普及活動を精力的に行い作品とひととのつながりを次々と生み出す。
中野千秋(なかの・ちあき)
1993年長崎県生まれ。京都造形芸術大学クリエイティブ・ライティングコース所属。インタビュー&フリーペーパー制作を主とした「Interview! プロジェクト」にて1年間活動。そのほか、職業人インタビュー『はたらく!!』の制作や京都造形芸術大学の『卒展新聞』などに寄稿。