(2014.10.05公開)
「わたしが本当にやりたいことを実現するためには、ブランドを立ち上げるしかない」。専門の学校で靴づくりを学び、バレエ用品メーカーで企画から商品化まで担い、自身のブランドを立ち上げ、日本だけでなくニューヨーク、ロンドンを舞台に製品を発表している山田彩加さん。世界に向けて発信したいという彼女の意志が、靴をはじめとする多くの製品を生み出す。彼女は何を思って、その道を突き進むのだろうか。
——はじめに、山田さんが靴づくりの道に進まれたきっかけを教えてください。
わたしが靴づくりに興味をもったのは19歳のときです。当時、沖縄の竹富島というところに滞在していました。ちょうどアルバイトしていた洋服屋さんを辞め、自分にできることは何だろうと帰る日程も決めずに模索していたときです。宿泊先の民宿で働いていたある女性から、「妹がロンドンに靴づくりの修行に行っている」という話を聞いて「靴ってつくれるの?」と興味が湧き、調べ始めたことがきっかけです。
——確かに靴をつくっているところは想像がつきにくいですよね。その後、浅草のエスペランサ靴学院に行かれたそうですが、そこでは主にどういうことを学ばれましたか?
主に靴のつくりかたや技術について、実践を交えて学びました。まずは先生が実際に製作する姿を見てメモを取る。それからメモをもとに自分でやってみる、という繰り返しでした。こと細かに見ていないとつくることができないので、何も逃さないように、忘れないようにひたすらメモを取ったのを覚えています。自宅に帰ったあとは、忘れないうちにその日学んだことをノートにまとめるのです。この繰り返しで、少しでも多くの知識を自分の力に変えてました。エスペランサ靴学院では、技術や方法はもちろんですが「何がどうして、こうなっているのか?」と物事を観察する学びの姿勢が身につきました。今でもやはりものづくりの根底にありますし、とても役に立ってます。
——エスペランサ靴学院を卒業後は、チャコット株式会社(バレエ用品メーカー)に就職されていますが、靴づくりのなかでもダンスシューズを選んだのはなぜですか? もともとダンスに興味があった、もしくは習っていた経験があったのでしょうか。
確かに、小さいころバレエを習っていた経験も関係していると思いますが、もともとアパレル業界に興味がありました。一般的なアパレル業界でしたら、デザイナー、パタンナー、それとも生産管理者なのか。商品ターゲットが男性か? 女性か? といった具合にさまざまなジャンルやターゲットを最初から選ばなくてはならず、どうしても決められなかったんです。その点、ダンスシューズなら年齢も性別も関係なく仕事ができるのではないかと思い、選びました。あらためて考えるとけっこう欲張りなんですね(笑)。
——具体的にはどのような商品を開発し、また何を心がけていらっしゃいましたか。
トウシューズやバレエシューズ、ジャズシューズにスニーカー。また、足に関わるケアグッズや、ダンステクノロジーシリーズという筑波大学との産学協同研究など、沢山のプロダクトをデザインさせてもらいました。それらの商品は、案出しから商品化まで最低でも1年はかかります。また、わたしが関わっていた商品は一度生産されると定番商品として長期に渡って生産される予定のものがほとんでしたので、流行に身を任せたようなものではなく、デザイン性、機能性、生産背景のすべてがその後も10年は続くようシンプルに設計することを心がけていました。
——充実した日々だったのではないかと思いますが、そのようにすでにプロとして活動されていたおりに、京都造形芸術大学の通信教育部芸術学科に入学されたのはなぜですか?
入社3年目のあるとき、世界的にも有名なダンサーの方に会う機会があり、「君の目標や夢はなに?」と聞かれたんです。わたしはとっさに「特にありません」と答えてしまいました。その一言のおかげで、自分は夢に向かって本当の努力をしていないんだなとはっきり自覚できました。
京都造形芸術大学に入学したのは、靴という商品を開発するにあたり、まずは様々な角度から物事をみる姿勢を身につけようと思ったからです。自分にできることを増やすことで、本当の夢やできること、挑戦してみたいことが見つかるんじゃないかと。目の前にあるものが何であってもまずは向き合ってみて、もしそれが自分にとってちょっと違うなと感じるものだったらそっと横に置いておけばいいんです。そういった次へのチャレンジを繰り返すことで、わたし自身も本当にやるべきことを見つけていきました。
——それで新たにスタート地点に立たれたということですね。京都造形芸術大学では主にどのようなことを学ばれていましたか? また現在のお仕事にどのような影響を与えたと思いますか?
芸術学コースにて、本当に様々な分野のことを学ばせていただきましたね。哲学に建築学、いちばん初めは美学概論に着手したのですが思った以上に大変で……。ものづくりの方法やプロセスはもちろん、何かに“気づく”という、常に好奇心をもつことの大切さを学んだように思います。そして、物事を注意深く観察することで、どんな場面も全てが学びになるというこの気づきが、今のわたしに大きな影響を与えていると思います。あらゆる場面で学び取ったことが、自らの表現方法、わたしのことで言うと靴やプロダクトデザインによって、その商品を手にするひとに伝わります。デザインをするということは、同時に誰かに向かって伝える行為なんだとわかりました。そのおかげで、それまで以上に商品を生産することに責任を感じるようになりました。
——山田さんのお仕事に不可欠な、デザインするということの多角的な意味を見つけられたんですね。山田さんは、通信教育部の4年生のときに渡米されたそうですが、そもそもなぜ、ニューヨークを選ばれたのでしょうか。
ニューヨークは非常に面白いまちなんです。アメリカ人もスペイン人も韓国人もジューイッシュ(ユダヤ教徒)も日本人も、さまざまな人種が一緒に生活しています。そのため、自分の活動、商品を世界中に広めたいなら、まずニューヨークで活動することが不可欠なんじゃないかと思って選びました。
——仕事をする上で、またふだん生活する上でニューヨークと日本はどのように違いますか?
ニューヨークでは誰もが自由で、何にでもチャレンジできます。そこから生まれるものの熱量は凄まじいものだと日々感じています。しかし現実は、自由だからこそできないことのほうが予想以上に多いと知りました。でも、もしかしたらそれこそが本当のスタートなのかもしれません。「自由」という制約のなかで、どれだけ世界に発信できるものを生み出せるのか。また、ビジネスにおいても環境は日本と大きく異なります。特にアメリカでは、プレゼン能力がすべてと言っていいほど大きな影響力をもっています。もの、製品がいいのは当たりまえ。そこから発信する力をいかにもっているかが重要なんです。
——山田さんは実際にそういった場や環境をくぐり抜けて今のお仕事を始められたんですね。なぜご自分のブランドを立ち上げようと思ったのでしょうか?
チャコットを退職したあと、まずはニューヨークに行き、そしてロンドンに渡りそれぞれ3ヵ月間そこで暮らしました。ビザや海外で生活する上での知識もなく、英語もあまりできない状態の模索しながらの日々でした。ですがそういった限られた生活のおかげで、今の自分にできること、自分にとってどうしても譲れないもの、そしてわたしが世界に向けて言いたいこととこれから見てみたい、創り上げていきたい景色が何なのか。靴づくりは続けたい。旅行も続けたい。世界中のどこに居ても仕事ができる人間でありたいと考えたときに、自分でブランドを立ち上げるしかない! と思い至ったんです。
——ご自分でブランドを立ち上げようと思ったときに、どのように「PUCK」や「AYAKAbi」といった作品が生まれたのでしょうか?
まず旅行中にこんな商品があったらいいなとわたし自身が感じていたことがあり、それがきっかけで立ち上げたのが「PUCK」です。もともと知っていた工場に協力を依頼して現在に至ります。そしてロンドン滞在中に思いついた「Dear:Gentle Woman & Man」というコンセプトをもとに、国境も性別も年齢も関係ないボーダーレスな靴をつくろうと思い誕生したのが「AYAKAbi」です。「AYAKAbi(アヤッカブ)」とはわたしの名前でもあり、またトルコ語で「Ayakkabi」=「靴」という意味をもつことから名付けました。滞在していたロンドンには、紳士靴の工場が集まるノーザンプトンといういわゆる靴の聖地があるので、「AYAKAbi」をかたちにするために、断られるのは承知で直接工場にデザインをもって回りました。もちろん急な相談でしたので、どこからも断られてしまいました。ですが帰国3日前になって、奇跡的に1社からOKの返事をいただいたんです。それが現在「AYAKAbi」の商品を製造している工場です。
——現在、靴づくりするうえで、どのようなことに心をかけていますか。
私の靴づくりにおけるコンセプトは“国境、性別、年齢の全てに関係なく誰もが心地よく履けるもの”です。長く続けていきたいと思っているので、派手なものよりもベーシックなものを極めるよう心がけています。基本さえきちんとしていれば、あとでいくらでもクレイジーになれますから。
——確かにひとに認められる上で重要なことのように感じます。生み出す商品や作品が、見るひと、身につけるひとにとってどういうものであって欲しいと考えていらっしゃいますか。
そのひとの人生において、特別なときにだけ必要な、大変重要な役割を担うものというより、日々のなかで不可欠な、そのひとの日常に溶け込んでいけるようなものになったらいいなと思っています。料理好きなひとにとってのル・クルーゼ、といった感じです。さらに靴に関しては、それさえあればどこにいても堂々としていられるような、存在感のあるものを目指しています。
——最後に、山田さんの今後の活動予定や、さらに目指すフィールドなどを教えてください。
今年(2014年)9月にニューヨークで開催される『Capsule』というトレードショーに出展させていただきました。また、「AYAKAbi」としては、靴に限らずジュエリー制作も始めています。来年からは少しづつ洋服のデザインもできたらいいなと思っています。そして、現在スニーカーのデザイン案もあるので、これは個人ではなかなか難しいプロジェクトなので企業にプレゼンするつもりです。「PUCK」としては、引き続き旅行が楽しくなるようなグッズを提案し続けたいと思います。日本に限らず、世界中の空港に置けるように。
この今の時代のスピードですと、10年後にはもっと便利で複雑な世の中になっているんじゃないかって気がするんです。なので、その渦中に居ても自分を見失わず、どんなピンチもチャンスに変えられるひとでありたいですね。
インタビュー・文 中野千秋
2014年8月11日 メールにて取材
山田彩加(やまだ・あやか)
1982年東京都生まれ。ニューヨーク在住。東京浅草のエスペランサ靴学院にて靴づくりを学んだあと、チャコット株式会社にて8年間ダンスシューズの研究・開発に携わる。就職5年目に京都造形芸術大学通信教育部の芸術学コースに入学。通信教育部の4年生になる年、自らの意志で退職。その後ニューヨーク、ロンドンにて約半年間を過ごし、帰国後「AYAKAbi」と「PUCK」を立ち上げる。現在、NYと日本、ロンドンを拠点に活動中。
http://www.ayakabi.co.uk/
中野千秋(なかの・ちあき)
1993年生まれ。長崎県出身。京都造形芸術大学クリエイティブ・ライティングコース3年。1年生のとき、インタビュー&フリーペーパー制作を主とした『Interview! プロジェクト』に所属。そのほか、職業人インタビュー『はたらく!!』や京都造形芸術大学の『卒展新聞』などで記事を作成。