アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

このページをシェア Twitter facebook
#121

美術の目で音を捉えて。ゼロ – フラットにうたうこと
― 梅原貴子

(2022.12.11公開)

シンガー/ソングライターの梅原貴子さんは個人での音楽活動と並行して、ユニット「forcola(フォルコラ)」の歌い手としても活躍する。彼女が生み出す音楽は、静謐ながら情感にあふれた日本語、たゆたうように耳に届く歌とメロディが特徴的で、美術の世界に身を置いていたことを強みに自身の表現を追求し続けている。
表現することに悩み模索し続けた学生時代、出会った恩師の教えをきっかけに音楽の世界へと飛び込んだ梅原さん。彼女の表現に対するさまざまな葛藤と、貫き通す強い思いに迫った。

撮影:山本 亮

Photo:山本 亮

———まずは梅原さんの音楽活動についてご紹介ください。

シンガー/ソングライターとして、自分で作詞作曲をして歌をうたったり、知人に詩を依頼されて書いたりといったソロ活動に並行して、ピアノ奏者の方と一緒にforcolaというユニットを組んでいます。
うたうことが私の柱なんですが、喜び、怒り、哀しみ、苦しみ、切なさ……、いろいろな感情を詩に託し、リズム、メロディーと共に自分の声を通して音楽表現をしています。

——— 歌をうたう時、意識していることはありますか?

私は自分のことをストーリーテラーだと思っていて。自分自身が特別な表現者っていうわけではなく、人類の長い歴史や人間の渦巻く感情とかを代弁する者でいようとしています。誰かの説明のつかない感情に名前を与えたい気持ちで詩を書き、歌にしています。
愛について、人生について、自由についてなど、誰もが生きるうえで直面する悩みや課題をテーマに詩を書きますが、自己主張が強い表現は取り入れずあくまでフラットに、常に普遍的であろうと意識しています。
歌は音楽ですが、詩を乗せるうえでは音符ではなく言葉として最終的に人の心に届けるものです。心にどれだけ訴えられるかが重要なので、その空間の中で人の心に届くように歌わないといけません。
なるべく自分をゼロに、フラットなかたちで、まるで空気に溶け込むかのように歌を届けるよう心がけています。自分を通して、世界に届くように。

Photo:山本 亮

Photo:山本 亮

——— 芸術という括りのなかで同居する音楽と美術ですが、美術大学を卒業した身として、その違いをどう捉えていますか?

私は京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)の洋画専攻だったんですが、絵画に限って言うと、作り手としての自分にとって、絵は完成して手が離れたら一旦は終了だと思えました。その制作過程そのものに凝縮された表現があり、完成後は各作品と一人一人の鑑賞者が個別に対話する芸術ではないかと。
一方で音楽は、元から終わりがない。例えば、曲を作ったあとに披露すると、音楽はその空間に溶け込み、いくらでも変化していきます。音楽は時間芸術なので、いつも空間のなかを流れていて、いつでも完成と言えるし、未完成とも言える。その時々の時間や空間、人の感情を溶け込ませながら変化・創造していける。音楽は人や世界との交流の仕方を無限に、しかも瞬間的に産み出せるように思います。

——— 学生時代から音楽表現に興味があったんですか?

自分の表現を模索するなかで、音楽を見つけたという感じです。
幼少時代から美術の世界に興味を持ち、京都の美術工芸高校で染織工芸を専攻しました。そこで伝統工芸や技法を学びましたが、より自由度の高い表現を求めて京造の洋画コースに入学したんです。
私は子どもの頃からずっと自分の居場所を探していて、自分が落ち着く場所、生きていける世界を追い求めて美大まで行きました。その一方で、自分の表現についてずっと悩んでいたのも事実です。高校でも、大学でも、周囲のみんなはやりたいことや表現したいものがあるのに、私には何もない。10代の頃はそんなことに毎日頭を悩ませていました。
そんな折、当時、芸術学科にいた上村博先生の授業と出会い、表現に対する私の考え方が変わったんです。それまでうまく言葉にできず、ひとりぼんやりと考えていたことが胸にストンと落ちる経験をしました。芸術のあり方、芸術とは一体何なのかといった壮大な思考を、私たち学生に遠い事象ではなく、より近く捉えられる言葉で講義をしてくださいました。特に印象的だったのが、「芸術作品は、人に移動する感覚を与える。旅をしているような」というフレーズです。私が表現したいことは、空間や時間の感覚の中にあるのかもしれないって気付いたんです。

———固定観念が覆され、「表現」というものを多角的に捉えられるようになったんですね。

「生物の中で、人間だけが自分の意思で地球の裏側まで行けるんです」と上村先生がおっしゃった時に、自分の小ささに気づきました。身体表現をキーワードにしたお話も多く、先生の授業をきっかけに歌がやりたいと自覚するようにもなりました。
実は歌との出会い自体は、先生の授業を受ける前にも2度ありました。1度目は浪人生の時、世界的オペラ歌手、マリア・カラスの歌にとても感動したことです。歌謡曲しか知らなかった自分にとって、歌ってこういうものなんだと知るきっかけになりました。そして2度目が、大学時代に出町柳のお店で食事をしていた時。流れてきたアメリカのシンガーソングライター、ジョニ・ミッチェルのアルバム「Blue」を聴き感銘を受けたことです。こういう音楽をやりたいと強く思ったのを今でも覚えています。

Photo:山本 亮

Photo:山本 亮

———自身の表現として歌を意識してから、どのように音楽活動を始めていったんですか?

大学3年生の春、京都大学のアカペラサークルが開催していた新入生歓迎会に飛び込んで行ったんです(笑)。当時の京造ではサークル活動があまり盛んではなかったので、歌を始めるにしてもどこで何から始めて良いのかわからず、友人にいろいろと聞き回るなかでアカペラサークルの情報に辿り着きました。サークルのみんなは子どもの頃から音楽をやっているような人たちが多く、一緒に歌を楽しむだけでなく、音楽の基礎を教えて貰うことも多かったです。
大学卒業後はアルバイトをしながら、ギターを習い始めました。それをきっかけに、歌をうたいたい、演奏したいという方々とも多く出会い、グループを組んでの音楽活動にも発展しました。今振り返ると、音楽に詳しい人がいっぱいいるなかで、さまざまな方から知識やセンスをたくさんいただけた大切な時間です。

———美術大学で過ごした経験、絵を描いていたことが音楽に活きていると感じることはありますか?

他者からいただいた評価のひとつでこんなものがあります。「あなたの詩も歌も、映画のように映像が見える」と。これはやっぱり、美術の世界で培った自分の感性が凝縮されている結果なのかなと解釈しています。人の音を聞いたときも「あの日の雨みたいだね」と反応したり、私自身も映像として捉えることが多いです。美術の目、知識、精神、そういうもので音を理解しているなと感じます。
また、学生時代には大学のビデオルームで数多くの映画をみたり、図書館主催の映画会にも度々参加していました。当時はただ好きだから見ていた多くの演劇、映画たちが、今になって活きてきました。主人公の感情に寄り添うことや気持ちを想像できることが、ストーリーテラーとして歌をうたう礎となっています。
私は大人になってから音楽を始めたので、基礎の習得に時間がかかりとても苦しんできましたが、その反面、そんな私だからこそ表現できる音楽があると自負しています。

2015 クロスステッチ・ツアー フライヤー

resize_20160225

フライヤー制作:梅原 貴子 イラストやデザインも梅原さんが自身で手掛けている

3点、フライヤー制作:梅原貴子
イラストやデザインは梅原さんが自身で手掛けている

———近年はコロナ禍においてライブ発表などで多くの制限があったかと思いますが、どのようなに活動されているのでしょうか?

2018年頃から、ギター、ベース、ドラム、ピアノ、そして私がボーカルを担当して5人のクインテット編成でライブ活動をしていたのですが、コロナの影響でその活動も滞ってしまい、発表することに意欲的だった気持ちも徐々に萎んでいってしまいました。そんな折、グループのピアニストが「楽曲を一緒に配信しないか」と声をかけてくれたんです。彼が自宅で曲を録音し、それに私が詩を書いて歌を吹き込んで。2人でデータを送り合いながら、リモートでの楽曲制作に取り組みました。それがforcolaの始まりです。フォルコラとはイタリア語で、ヴェネツィアのゴンドラ(舟)のオール(櫂)を掛ける部分のことです。櫂を支えるフォルコラのように、聴く人の感情の支えとなる一点ものの音楽を目指しています。
宅録中心の楽曲制作は、対面ではないやりとりの大変さはありましたが順調に進めることができ、一曲が仕上がったときに配信形式で発表することができました。
コロナによってたくさんの制限が生じてしまいましたが、意識を変える良い転機にもなりました。あまり費用をかけずに制作出来たり、面倒かと思っていたやりとりや手続きも意外と簡単だったり。これまでの固定観念が払拭され、意識改革と同時に新たな制作スタイルを定着させることができたコロナ禍でした。

Photo:山本 亮

Photo:山本 亮

——— 現代ではテクノロジーの進化や社会の風潮に伴い、表現者の発信はより気軽なものになり、ハードルは下がったといえます。梅原さんはその様子をポジティブに捉えている印象ですが、いかがですか?

この10年の変化って非常に大きくて、国民のほとんどがスマートフォンを持つようになり、誰もがその日にYouTubeにアップすることができるようになりました。一昔前なんて、音源をリリースすること自体が大変なことだったのに。こんな社会になったのは、やっぱりテクノロジーのおかげだし、世の中の意識も変わったからですよね。
昔は苦労すること、大変な思いをすることを良しと捉える風潮が強かったですが、もっと気軽になって、もっと呼吸するように、緩やかな世の中になったと思っています。音楽を発表するのも一曲からで構わない。個々の作品発表スタイルも、思うようにやってみれば良いということが、よりスタンダードになった。そういう意味で心の変化は大きかったですね。
サブスクやインターネットで音楽を聴く人が多く、CDを買う人は減りました。CDプレーヤーを持ってなくてもレコードプレーヤーを持ってる人がいたりもします。音楽との付き合い方が多様化し、本当に自由になった。
だからこそ、「新しい表現方法をただ探る」。そういう時代に突入したんじゃないかと思ってるんです。

———そういった時代における表現方法の具体的なイメージはありますか? 梅原さんの今後の展望も踏まえ、ぜひお聞かせください。

音を奏でる者として心身も技術も成熟していきたい、国境を越えて世界に歌を届けたいという音楽の夢があるのはもちろんのこと、それから、音楽を表現の柱としつつも、自分の中の美術と音楽という2つの要素を活かして作品を発表できないか考えています。 例えば、単純ですが私自身の音楽と映像や絵のライブイベントなど。コミュニケーションが大きく様変わりした現在ですが、よりリアルな感覚や空間の重要性も再認識され、求められています。音楽と美術の両方に携わってきた私ならではの感覚で、空間を創造し、新しい時代の表現を紡いでいきたいですね。

取材・文 鈴木 廉
2022.10.18 SPROUNDにてインタビュー

Photo:山本 亮

Photo:山本 亮

梅原貴子(うめはら・たかこ)

京都市出身 、東京都在住。
たおやかさとせつなさ、芯の強さを感じさせる歌声でオリジナル楽曲を中心に歌うシンガー/ソングライター。詩人や画家を志し芸術大学で絵を学んでいた頃に音楽に惹かれ、自分の表現方法を音楽に見出し、歌の道へ進む。大きな影響を受けたアメリカやヨーロッパの伝統音楽・伝承歌をどこか思わせる旋律が特徴的なオリジナル曲を多数制作。静謐ながら情感にあふれた日本語詞の世界と落ち着いたおだやかな歌唱で、感情の深淵に聴衆を誘う。
弾き語りやデュオ、バンド編成でライブ活動を展開し、教育機関からの演奏依頼にも応える。 ユニットforcolaで楽曲を配信発表中。

Takako UMEHARA
https://takakoumehara.wixsite.com/takakoumehara
forcola
https://forcolamusic.wixsite.com/site


鈴木 廉(すずき・れん)

美術大学でアートマネージメントを専攻し、学芸員資格を取得。2021年よりフリーランスのコミュニティマネージャーとして活動中。