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アネモメトリ -風の手帖-

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パリの風景*3 バスティーユ牢獄遺構(Bastille)

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京都の街の風景が暦とともに小さな変化を見せるように、パリの風景も暦を映しだします。新旧、大小の博物館やギャラリーがたくさん京都にあるように、パリにもさまざまな博物館があります。季節ごとのパリの風景や、ちょっとマイナーな博物館などをご紹介します。

1789年7月14日、パリの民衆たちは国王政府への不満を爆発させ、バスティーユ牢獄を襲撃しました。フランス革命のはじまりです。バスティーユ(bastille:要塞)は、14世紀の後半に要塞として建てられましたが、17世紀以降は政治犯を収容する施設として用いられていました。しかし、バスティーユ襲撃の際にはほとんど囚人がおらず、民衆の目論見であった政治犯の解放は果たされませんでした。襲撃後、牢獄は解体され、その場所には現在、1830年の七月革命の犠牲者を追悼する記念柱が建てられています。写真の遺構は塔の基盤の一部で、1899年に発見されました(写真左下は、そのことを示す碑文です)。セーヌ川沿いの小公園 Square Henri Galli に移され、保存されています。

バスティーユ牢獄と言えば、マルキ・ド・サドが収容されていたことがよく知られています。サドはバスティーユ襲撃の数日前までそこに居たとされていますが、事件の日にはすでにラントラン=サン=モーリス修道院に移送されていたそうです。話が少し飛びますが、2014年から2015年にかけて、オルセー美術館ではサドをテーマとした展覧会「 Sade. Attaquer le soleil 」が開催されました。美術館のウェブサイトで展覧会の記録や学芸員インタビューなどを閲覧することができます。
-Sade. Attaquer le soleil (オルセー美術館ウェブサイト内)
http://www.musee-orsay.fr/fr/evenements/expositions/archives/presentation-generale/browse/1/article/sade-41230.html?tx_ttnews%5BbackPid%5D=252&cHash=9daa076289