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アネモメトリ -風の手帖-

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#166

お菓子の神様のものがたり
― 奈良県奈良市

近鉄橿原線「尼ヶ辻」駅から歩くこと5分、駅前の道路からわき道に入ると、こんもりとした大きな森を懐に抱いた深い緑色の水面が目の前いっぱいに広がり、突如として別世界に迷い込んだような錯覚を覚えます。
別世界の正体は、宮内庁により第11代垂仁天皇の陵として治定されている全長227メートルの巨大な前方後円墳。その周濠の静かな水面からそっと顔をのぞかせている小さな浮島にまつわる物語が、古事記や日本書紀に記されています。
遠い昔、田道間守(たじまもり)という一人の男がいました。田道間守は垂仁天皇から常世(とこよ)の国という海の向こうの遠い国にある「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」を探してくるように命じられました。当時、「非時香菓」は、食べると歳をとらずに長生きができるありがたい果実であると考えられていました。
田道間守は、万里の波を越え、多くの川を渡り、常世の国にたどり着き、ようやくの思いで「非時香菓」を見つけることができました。しかし、田道間守が「非時香菓」を携えて日本に戻ってきた時、すでに出発から10年の歳月が流れており、その1年ほど前に垂仁天皇は亡くなっていました。田道間守は天皇の陵に向かい、悲しみのあまり亡くなったと伝えられています。
田道間守が持ち帰った「非時香菓」は現在の「橘(たちばな)」であると言われており、当時、果物は「菓子(かし)」と呼ばれていました。そのため、田道間守はお菓子の神様(菓祖)として、その生誕地とされている兵庫県豊岡市にある中嶋神社をはじめ、全国各地の神社で祀られています。
そんな田道間守のために、垂仁天皇の陵に寄り添うようにつくられたと伝えられているのが、「伝田道間守墓」として残されている小さな浮島です。
可愛らしい浮島を眺めていると、なんだか橘の実やカップケーキが水面に浮かんでいるようにも見えてきます。春ののどかな一日に、昔々のお菓子の神様の面影に出会える奈良のまち歩きを楽しんでみてはいかがでしょうか?

(中井健二)

参考
奈良県観光公式サイト なら旅ネット 垂仁陵古墳(宝来山古墳)
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/03history/06kofun/01north_area/suininryokofun/

豊岡商工会議所 とよおかスイーツギャラリー
http://toyooka-cci.jp/

垂仁天皇陵に寄り添う小さな浮島

垂仁天皇陵に寄り添う小さな浮島

菓祖神田道間守命御墓の碑

菓祖神田道間守命御墓の碑