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アネモメトリ -風の手帖-

風信帖 各地の出来事から出版レビュー

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#133

あうんshanti
― インド 西ベンガル州 シャンティニケタン

伝統あけましてオリンピックイヤーとなりました。
平和の祭典は世界中でいつでも行われているわけですが、多宗教の国ではその数も規模も桁違いです。たとえばインドのカレンダーには様々な宗教の祭や記念日が時には何種類もの現地語で書かれています。それを異教徒どうしが眺めて暮らす様子は、まさに平和な光景です。
インドの西ベンガル州にある平和郷という名の町シャンティニケタンは、1901アジア人初のノーベル文学賞受賞者であるタゴールが、理想の学び舎を求めて私立学校(現在のビシュババラティ国立大学)を創立した場所です。この地で吟遊詩人バウルの歌から影響を受けたタゴールは、受賞作やインド国歌など多くの詩を書き歌を作曲しました。瀟洒な別荘と先住民族サンタルの集落が点在するこの町では、毎日決まった時間にそのタゴール・ソングが鳴り響きます。
1902タゴールはコルカタで岡倉天心と出会い、すぐに意気投合して彼をこの地へ招きました。以後、天心門下の日本画家も度々この地を訪れ、いまもその作品が学内に展示されています。天心が『東洋の理想』を執筆したのはまさにこの滞在中でした。ふたりの共通点は、欧州を目の当たりにした経験からアジアにおいても「異なる能力の共同・協働」の可能性を見出し、誰もが芸術や学問を通じて実生活を、ひいては郷土を豊かにできると信じて行動したことかもしれません。
こうした経緯から、ビシュババラティ国立大学ではインドで初めて日本語講座が開設され、現在も日本語学科があります。しかし現地教員の低質に加え常に日本人教師が不足しているため、教師と資金が本国からふんだんに送り込まれる中国語学科とは、校舎の規模も学習内容も比較にならない状況です。
日本はインドの発展にかなりの資金援助と協力をしてきたはずですが、令和2年の現在は100年前の芸術家が結んだ関係を継続できているのでしょうか。そしていまのアジアは、彼らが夢見た平和郷になっているのでしょうか。これから先の100年後、阿吽(अहूँ/万物の初めと終わり)シャンティ(शान्तिः/平和・平穏)な世になることを祈るとともに、ひとまず本年が皆様にとってシャンティな年でありますように。

(住田祥子)

シャンティ・ニケタン:শান্তিনিকেতনে(ベンガル語)
シャンティशान्तिः(サンスクリット)/শান্তি(ベンガル語)には「平和、平穏、静寂」、ニケタンনিকেতনে(ベンガル語)には「場所、郷、住居、園」などの意味がある。インド東部のコルカタ(旧カルカッタ)から列車シャンティニケタン・エクスプレスで約2時間のボルプールが最寄駅である。あえて舗装しない赤土の道路や、建築物の制限などで景観を保護している。タクシーやサイクルリキシャの数も少なく、自転車やバイクを利用する住民が多い。家畜は基本放し飼いで町の至る所に牛、豚、山羊、大型のオナガザルなどがいる。観光地としても有名で富裕層の別荘も多いことから、田舎町の割には物価が高い。

ラビンドラナート・タゴール:রবীন্দ্রনাথ ঠাকুর(ベンガル語 ロビンドロナート・タクゥル)
詩人・作曲家・思想家であり、1913年、詩集『ギーターンジャリ』でアジア人初のノーベル文学賞を受賞している。『ギーターンジャリ』はじめ多くの詩歌は、修行者芸能集団バウルの歌から影響を受けた。インド国歌とバングラディッシュ国歌の作詞作曲者でもある。祖父の代からの大富豪で父は著名な宗教家。シャンティニケタンの広大な所有地に父が宗教道場を持っていたことから、タゴールは自然豊かなこの地を「学びの理想郷」に選んだ。1902年に渡印した岡倉天心との親交は天心の死後も続き、五浦(茨城県北茨城市大津町五浦)へ墓参して詩や書を残している。天心の門下生(横山大観・下村観山・菱田春草など)もシャンティニケタンを訪れている。

岡倉天心
本名、岡倉覚三。明治時代の美術指導者、思想家、美術評論家。

ビシュババラティ国立大学:বিশ্বভারতী বিশ্ববিদ্যালয়(ベンガル語)
1901年に私学の野外学校としてタゴールが開設した。1921年に大学となり、1951年に国立大学となった。1954年に選択科目ではあるがインドで初めて日本語講座が開設され現在も日本語学科がある。1962年から数年間は、芸術学科に客員教授として日本画家の秋野不矩が赴任していた。これまで日本政府の奨学金で多数のインド人学生が来日・留学している。創立当初から大樹の下で授業が行われることでも知られ、現在も付属小学校の子供たちの授業などはマンゴーの大樹の下で行われている。

サンタル族
インドでは主にビハール州南部から西ベンガル州・オリッサ州にかけて居住する原住民の部族。固有言語はサンターリー語Santali。アニミズム的信仰でも知られ、住居は茅葺に似た屋根を持つ建物で(現在はトタンなどに変わりつつある)庭のなかも家の周辺も掃除が行き届き、100年以上前の日本の農家を思わせる佇まいである。インド国内ではいまなお下層階級とされ使用人や日雇い労働が主な収入源だが、シャンティニケタンでは観光客向けの芸として部族独自のダンスや歌を披露する集団もいる。

バウル:বাউল(ベンガル語)vahul(サンスクリット・綴り不明・狂や風の意)
インドのベンガル州からバングラデシュにかけて放浪する修行者芸能集団。吟遊詩人のような集団や大道芸人もどきまで様々な集団や個人がいる。独自の宗教観から、定住せず托鉢や芸で得た収入で生活している者が多い。2005年「バウル・ガン/バウルの歌(বাউল গান)」としてユネスコの無形文化遺産に認定された。

参考
Web 茨城県天心記念五浦美術館 天心の生涯
http://www.tenshin.museum.ibk.ed.jp/05_tenshin/01_tenshin1.html

大岡信 (1985年)『岡倉天心』 朝日新聞社

大原富枝 (1986年)『ベンガルの憂愁 岡倉天心とインド女流詩人』 福武書店

丹羽京子(2016年)『タゴール』 清水書院

Web ラーマクリシュナ・ミッション  ベンガル語:রামকৃষ্ণ মিশন
https://www.sriramakrishna.org/

家畜はキャンパス内も自由に出入りする(牛は夜もいる)

家畜はキャンパス内も自由に出入りする(牛は夜もいる)

サンタル族の女性と家

サンタル族の女性と家

日本語学科にて日本の大学生と現地学生の交流会

日本語学科にて日本の大学生と現地学生の交流会

校舎の柵でくつろぐオナガザルの群れ(立ち上がると人の背丈ほど大きい)

校舎の柵でくつろぐオナガザルの群れ(立ち上がると人の背丈ほど大きい)

村のヒンディ寺院。右がタゴール像

村のヒンディ寺院。右がタゴール像