昭和の高度成長期には工場が建ち並び、光化学スモッグやトラックの排ガスの酷さから日本有数の”公害の街”とよばれた兵庫県尼崎市。
市制70周年を迎えた1986年に「近松のまち・あまがさき」というコンセプトで工業都市から文化都市へと舵を切り、工場群が海外移転した跡地に新興住宅街や文化施設が建ち並ぶ様になって、今では京阪神有数のベッドタウンに変貌しています。
この新しい町づくりに一役買っている「近松」とは、江戸時代の浄瑠璃及び歌舞伎の作者だった近松門左衛門その人です。
近松門左衛門とこの地の縁は、近松が建立発起人として名を連ねた広済寺が市内・久々知の地に開山した1714年まで遡ります。近松はここをたいへん気に入り、本堂裏に「近松部屋」とよばれる仕事部屋をつくり、国性爺合戦以降の最晩年作品はここで執筆されたということです。さらに墓所(国指定史跡)も同寺にあり、演劇関係者の間では近松と尼崎の関連は古くから知られていました。
近年はJR尼崎駅など、市内主要駅に近松に因んだモニュメントが建ち、文化施設が2カ所も整備されて人形浄瑠璃や演劇の定期公演が行われています。また、近松の伝統を現代に受け継ごうとする市民レベルの活動が自発的に生まれ、市内の物産に近松の名前が多くつけられるなど、近松の名は市民レベルまで浸透しています。
その”主役”が眠る広済寺は、車の往来が激しい県道41号線、通称”近松線”から少し路地を入った静かな住宅地にあります。隣接する公園は近松公園と名付けられて、園内には近松記念館と近松門左衛門像があります。
他には取り立てて何も無い住宅街ですが、近松門左衛門の命日の1ヶ月前にあたる10月22日前後の休日には大近松祭が開催されて辺りは一変します。
広済寺本堂で盛大な法要が行われた後は、記念館で例年、人間国宝の吉田文雀さんなどによる人形浄瑠璃や地元中高生による人形浄瑠璃、落語などの芸能が奉納されてホールに入りきれないくらいの観客でごったがえす盛況さです。
今年の大近松祭は10月22日に開催されます。近松門左衛門を偲んで一度足をのばしてみられては如何でしょうか?
参考
大近松祭 294年祭
http://guide.jr-odekake.net/event/48252
広済寺
http://www.kosaiji.org/
(有田若彦)