子供の頃の私にとって、東京は焼けた鉄の匂いがする町でした。
キーンという何かを削る金属音で目を覚まし、窓を開けるとカンカンと打ちつける甲高い音と、鼻腔に飛び込んでくる独特の焼け焦げた匂い。祖母の家に泊まりに行くたびに繰り返されたこの音と匂いが、夏休みの楽しかった思い出と共に今でも記憶に残っています。
日本の高度経済成長期を支えた産業のまち東京都大田区。様々なニーズに対応する技術をもった職人が多く、日本のものづくりの根幹を担ってきた地域です。しかし、かつて9000を超えた工場の数は1983年をピークに減り始め、現在では半分以下の約3500軒まで落ち込んでいます。廃業した工場跡にはマンションが立ち並び、当時の面影がどんどん失われる中、消えゆく町工場の記憶を残そうと試みるプロジェクトがあります。
「オオタノカケラ」と名付けられたそのプロジェクトは、フロッタージュという描画技法を用い、町工場で使われていた道具や建物の壁、床などの上に紙を置き、鉛筆でこすり、かたちを写し取っていきます。
主宰者である美術作家、酒百宏一さんは、それを「人と場所を定着させる」作業だと言います。参加者たちは、町工場全体から放たれる圧倒的な存在感や、職人たちから使われるのを待つかのように、ピンと張り詰めた緊張感を漂わせる機械や道具に真摯に向き合い、黙々と紙にこすりつけていきます。その時間の中で、間違いなくそこに存在していた場所のルーツやアイデンティティを徐々に感じ取っていくのです。
大田区だけでなく、日本のものづくりは大量生産、大量消費の波にのみこまれ、厳しい状況におかれています。そんな中、「人の記憶に残す」ということに焦点をあて活動することは、直接的な問題解決にはつながらないかもしれません。でもいつの日か、音や匂いとともに、人知れず消えていった日本の近代工業を支えた人々の営みのカケラをふと思い出す。それは素晴らしいアーカイブのかたちだと、私は思います。
オオタノカケラ
http://www.sakao-lifeworks.com/otanokakera/
(月田尚子)