6)未来をまなざすデザイン
展示作品のいくつかを紹介しながら、城谷さんの仕事をたどってきた。
各プロジェクトの作品はどれも徹底してつくる意味を考え、職人やかかわる人たちとともにつくりだされていた。そして、大事なのは、城谷さんはものをつくって終わりと思っていなかった、ということだろう。プロジェクトとは何かをつくりだすだけでなく、そこで得た知性や感性をもちいて、つくり手たちがさらに展開していくための活動だったのだから。
それはまさしくソーシャルデザインと呼ばれるものだろう。城谷さんの発言を引いておきたい。
———ソーシャルデザインは、やはり経済が中心になるものですよね。ソーシャルデザイナーが入ることによって、いくら儲かったかという基準だと思う。もちろんある程度お金を稼がないと持続できないというのはあるんですけど、「この人がプロデューサーで入ったらヒット商品が生まれた!」みたいなことに最終的につながっていくのは残念な気がします。
僕がやってきたのは、職人たちが自立してできるようになる手助けをするということでした。僕のたずさわったことが何年後かに、僕とは関係ないところで、彼らの力で成功することはあると思うし、あってほしいと思っています。ただ、僕がかかわってすぐに成功したり、観光客が10倍来るようになるものではない。もっと時間がかかるんじゃないかとも思います。
でも明らかに、デザインが社会のなかで必要なものだと認識されつつある感じはします。僕の場合、デザインのスキルをどう社会で活かせるのか、人の役に立てるのか、というところがずっとあるんです。
城谷さんはまた、プロジェクトを通じて工芸やものづくりにたずさわる人々に誇りを抱かせ、彼ら自身で新しい道を切りひらくための補助線も引いた。それはものづくりの土を耕し、種をまくような地道なことでもあった。芽を出し、木が育つのはこれからだ。土がやせ細らないよう、時に養分を補給しながら、したたかに、次代につないでいけるように。
———みんなのためにプロジェクトはある。これに参加したら自分が食べられるのじゃなくて、あなたたちの後輩が食べられるようになる。
BAICAのメンバーに城谷さんはこう告げたという。ともに目先の成果にとらわれないよう、未来をまなざしてプロジェクトに臨んでいたのだ。
次号からは、城谷さんが小浜で蒔いた種がどのように芽吹いたのかを見ていきたい。若い世代がまちを輝かせ、自分たちも輝いている話である。
編集と執筆。出版社勤務の後、ロンドン滞在を経て2000年から京都在住。書籍や雑誌の編集・執筆を中心に、それらに関連した展示やイベント、文章表現や編集のワークショップ主宰など。編著に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』など、著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など多数。2012年から2020年まで京都造形芸術大学専任教員。
写真家。1989年生まれ。大阪市在住。 写真館に勤務後、独立。ドキュメントを中心にデザイン、美術、雑誌等の撮影を行う。