5)コロナの追い風と向かい風の頂点に立ちながら
社名変更に至る前の苦しかった時期、そして、コロナ禍。2つの苦難を経験するなかで、阿部さんは、より冷静に現実を見る目、そしてより遠くを見据える目を獲得した。
かつては「海士町のために、できることを何でもする」という気持ちで、目の前のあらゆる課題に対して、会社の利益などを度外視して動いてきた。しかし、それでは自分たちが行き詰まり、結果として海士町の力にもなれないことに気づかされた。まずは自分たちの会社がいい状態でいなければならない。そしてより長いスパンで、島に、さらには社会全体へと貢献していくことを考えよう。そうした意識の変化によって、阿部さん自身の、海士町への向き合い方も変わっていったようだった。
———「海士のために」ということを何よりも優先して考えていたころは、思えば、「海士に住み続けなければいけない」という気持ちでした。そしてそういう気持ちを持てば持つほど息苦しく感じて、逆に島を出ていく日が近くなるような気がしたんです。会社のことや自分たち自身のことをもっと考えるようになって、自分はここに住みたいから住み続けているんだと自然に思えるようになりました。
海士が好きだから、海士にいる。この場所にいたいから、ここで何か事業をする。それが結果として、海士町の役に立つ。阿部さんは、いまそういう方向に向かっているのだ。
———いまは、海士のための会社ではなく、世界のための会社になりたいと思っています。世界的に価値ある事業を生み出す会社の本社が、海士町にある。という状態になれたらいいんだろうな、と。本社が海士から移ることはないと思うし、だから出版社名も、あえて「海士の風」にしたんです。事業として、他の地域、または海外のプロジェクトをやることはあるかもしれない。でも、会社が海士にあるということは、きっとこの島の、ひととひとのあたたかい関係性や、海士ならではの空気を、事業を通じて外へ運んでいくことになるように思うのです。そしてそれが逆に海士の世界も広げていくことになるんじゃないかと。
阿部さんは現在、「風と土と」の仕事とは別に、海士町を活性化するさまざまな取り組みにも関わっている。その1つが、2020年12月に公開された、行政と民間が共同で運営する「海士町未来投資基金」である。ふるさと納税の一部を原資として、島の未来にとって有意義な事業を始めようとする若者を支援しようとする試みだ。またもう一つは、「海士町複業協同組合」で、これは複数の企業で同時に就労する「複業」という働き方を積極的に促し、働き手には新しい働き方を提案するとともに、参加する事業者間のつながりをつくることを通じて新事業の創出を目指す、といった試みである。
———前町長である山内道雄さんが「自立・挑戦・交流」ということを掲げていました。それはすごく大切で、海士町がその力を高めるために自分ができることはやり続けていきたいと思っています。もしこのまちが、新しいことをやろうとしなくなったら、ぼくらは不要だと思います。ぼくらが海士で研修をやる意味もなくなります。
AIを使って日本の未来のシナリオを予測するという、京都大学の広井良典教授らによる研究があるのですが、それによれば、今後さらに都市集中が進むのか、それとも地方分散が進むのかの分岐点は2025~27年の間にあるとされています。コロナ禍は、オンライン化の普及を促したことで地方分散がより進展するきっかけをつくったように感じる一方で、地方で感染者が差別されたり、1人目の感染者がその地域にいられなくなって出ていったり、といったケースが発生したことで、地方の閉鎖性を露わにした部分もあります。
しかしいずれにしても、地方は、新しいチャレンジができる場所になっていかないと、若いひとは来てくれません。そして新しいチャレンジができる地方になるためには、地方のなかだけで閉じていてはだめで、開かれた地域になる必要がある。
そのためにも自分たちは、海士から世界を意識して仕事をしたい。そうやって挑戦を続けることでいずれ、次の社会をつくるリーダーをこの島から送り出したいし、それが可能なんだというメッセージを発していきたいと思っています。
会社のためを考えることが、結果として地域のためになり、同時に、日本、そして世界のためになる。阿部さんは「風と土と」をそのような会社にするために懸命に動いている。人材育成の研修においても、ただ研修を提供するという立場でいるのではなく、自分たち自身も実践者であり、一緒に社会をよくしようと呼びかけているというところにも、そんな意識が表れているといえる。
彼の爽やかな表情は4年前と全く変わっていなかったが、その視線は明らかに、目の前の海士町から、海士町を含む広い世界に向かうようになっていた。そして、阿部さんの言葉からは、未来の海士町がどのような場所になっていてほしいのか、という願いがよりはっきりと語られるようになった気がした。
海士町がより開かれた地域になり、働くひとの賃金も底上げされて都市との格差が縮まってほしい。そのために、自分自身もいまの会社で、メンバーがより活動しやすくなるような経営をする。そしてそういう意味でも、地方分散が進んでほしいし、そのためにも、自分たちが、国内外の他の地域と積極的にかかわりながら、「世界に価値ある事業を生み出す会社の本社が海士町にある」と思ってもらえる存在になることを目指したい――。
コロナ禍によって、追い風と向かい風の両方があるなかで、緊張感を持って状況を見つめつつも、いま阿部さんは、大きく舵を切ろうとしているのだった。「地域をよくする」というところから、「世界をよくする動きを地域から起こす」という方向へと。
1976(昭和51)年東京都生れ。東京大学工学部卒業、同大学院修了。2003年、旅をしながら文章を書いて暮らそうと、結婚直後に妻とともに日本を発つ。 オーストラリア、東南アジア、中国、ユーラシア大陸で、約5年半の間、旅・定住を繰り返しながら月刊誌や週刊誌にルポルタージュなどを寄稿。2008年に帰国、以来京都市在住。著書に『遊牧夫婦』シリーズ(ミシマ社/角川文庫)、『旅に出よう』(岩波ジュニア新書)、『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社)、最新刊『まだ見ぬあの地へ 旅すること、書くこと、生きること』(産業編集センター)など。大谷大学/京都芸術大学非常勤講師、理系ライター集団「チーム・パスカル」メンバー。https://www.yukikondo.jp/
1982年生まれ。写真家。2009年よりフリーランスとして活動する。人物撮影を中心に、京都を拠点とし幅広い制作活動を行う。
編集と執筆。出版社勤務の後、ロンドン滞在を経て2000年から京都在住。2012年4月から2020年3月まで京都造形芸術大学専任教員。書籍や雑誌の編集・執筆を中心に、それらに関連した展示やイベント、文章表現や編集のワークショップ主宰など。著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、編著に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など多数。