4)最先端の情報を生み出し、「多極集中」へ
2018年10月に社名を変更してから、すでに2年が経過した。阿部さんは、投資をするという意識を大切にして、少しずつ「経営者」になってきた。現在、出版の準備が進んでいる書籍も4冊あり、早く1冊目を世に出したいという気持ちが募るという。しかし、そうして新しい道を歩み進めていた一方で、2020年は全く予期せぬ1年となってしまった。
コロナ禍は、阿部さんたちにいかなる状況をもたらしたのか。島という環境下におけるコロナ禍の影響はどのようなものなのだろうか。
———島という閉じられた環境では、ウィルスが一旦入ってきたらすぐに広がってしまうのではないかという危機感をそれぞれが持っています。幸いまだ、島での感染者は1人も出ていないのですが(10月13日現在。当記事制作中の12月19日の時点でも感染者の報告はない)、高齢者が多く医療が脆弱なこともあり、みな、自分が持ち込んだら、自分が知っているあのおじいちゃん、おばあちゃんの命を奪ってしまうことになるかもしれない、という気持ちがあります。そういう点で、島におけるコロナ禍の影響は、本土とはだいぶ異なるでしょう。早くも3月の時点で、本土との行き来はなくそうという流れが自主的に起こり、役場も早々に、職員の出勤自粛やイベントの中止を進めました。
いわゆる「第1波」が収まりつつあった6月には、本土への移動自粛要請が解除された。その後は、島に観光客も訪れるようになったものの、島の住民や関係者は、そのまま自粛を続けるひとが多かったという。
そうした状況から、「風と土と」も、年間20本ほど行っている研修を中止せざるを得なくなった。その影響は、会社にとって決して小さなものではない。しかし阿部さんは、むしろこの機会をポジティブにとらえているようだった。
———研修が中止となったことで、短期的な売上への打撃はかなり大きいのですが、長期的に見れば、自分たちにとってプラスになるような気がしています。社名を変更してからも、日々業務に追われ、なかなかまとまった時間をとることができずにいたのですが、今回かなり時間ができて、根本から見直しをはかることができたからです。自分たちは何のための会社なのか、何のためにこの事業をやるのか。みなそれぞれ、どういう思いでこの会社で働いているのか……。そうしたことを、じっくりと考えることができました。お金を払って時間を買ったという気持ちです。
また、オンラインでのやり取りが当たり前になったのもぼくたちにとってはポジティブな変化でした。これまで、2時間の会議のために東京に行くことを求められたりもしましたが、オンラインでの参加が当然になって、すごく楽になりました。
そして同時に、ひとの流れが地方へと向いたようにも感じています。現在、トヨタから1人、うちの会社に出向で来ている方がいるのですが、これからはさらにこうしたことがやりやすくなりそうな気がしています。ぼくたちは、出版などの事業を通じて、海士町から最先端の情報を生み出して、ひとを呼び込む流れをつくりたいと思ってきましたが、今回のパンデミックは、期せずしてその流れを後押ししてくれそうです。
前号で取り上げた岡山県の西粟倉村も、「ようび」などの新しい企業による活発な活動に加え、村から新たな技術を生み出そうという研究所が2020年の夏に立ち上がったことで、今後ますますひとが集まる流れができそうな状況だった。阿部さんは、自らも交流がある西粟倉村についても挙げながら、西粟倉は西粟倉で極を立て、海士町は海士町の1つの極を立て、そのそれぞれにひとが集まる流れを作ることで、一極集中でも多極分散でもない、「多極集中」という時代になっていくかもしれないと言った。コロナ禍は、確かにそのような流れを後押しする可能性があるだろう。
加えて、阿部さんは、ひととひとの関係性にもポジティブな変化を見出していた。なかなか会えないからこそ会う機会を大事にしたいという気持ちが人々の間で増している。そうした方向性は、彼らが訴えていきたいことに近いため、コロナ禍は、長い目でみれば、彼らの事業にとって追い風になりそうだというのだ。
経営面での打撃は、かつてないほど大きそうで、短期的には借り入れなどで乗り切るしかないというものの、阿部さんの表情は決して暗くないし、彼が話す姿からは、抱えている困難を上回る大きな希望を抱いているらしいことが想像できた。そのようにポジティブにいられるのはなぜなのか。尋ねると、阿部さんは言った。
———シンプルに言うと「会社をやめない」と決めたからだと思います。もし「巡の環」の時代にいまの状況に陥ったら、やめようと思っていたかもしれません。でもいまは、むしろチャンスになるっていう感覚を持てています。いまは投資の期間なんだから、と。とはいえ、現実を目の当たりにしてビビるときもやはりあります。これが1年で済まなくて、3年も4年もかかったら、果たして耐え切れるのだろうか、と……。