2)多くの協力を得た「ツギテプロジェクト」で、新生する
それは2016年1月23日早朝のことだった。ようびの工房が全焼した。幸い人的被害はなかったものの、2009年より活動の場であった空間と、当時つくっていた家具、材料のすべてが失われたのだ。被害総額は8,000万円以上にものぼった。その朝、奈緒子さんはじめ、スタッフみなが茫然とし大きな不安に襲われたが、代表の大島さんは、みなで集まった時にすぐこう言った。「みんな怪我がなくてよかった。じゃあもう1回頑張ろう!」。
———彼はすでに、気持ちを決めていたのです。大島の決断の早さは彼の持ち味であるとはいえ、さすがにこの時は驚きました。でも、その一言は本当に大きな救いでした。大島がそのようにばっと決断することを、わたしは「旗を立てる」って言っているんですけど、この時、彼がバンッと旗を立ててくれたから、なんとか立て直すことができたんじゃないかなって、いま振り返ると思います。
それからの道のりは大変だった。社屋の再興もしなければならないが、仕事を続けなければ会社が潰れてしまう。その状況を大島さんがリードして、なんとか一歩ずつ前に進んでいった一方で、奈緒子さんは、片づけ担当と復興担当として働きつつ、当時イヤイヤ期に入っていた娘さんの世話をすることで手いっぱいだった。スタッフも含め、誰もが余裕のない日々だった。
そうした中、火事から1年が経った2017年1月、状況を大きく変化させる計画が、支援者たちの後押しもあって始まった。それが、全焼した工房に代わる新たな社屋を一からをつくろうという「ツギテプロジェクト」である。
もとの工房は、借りた建物を工夫して使っていたので、奈緒子さんと大島さんには、いつかは自分たちで工房をつくりたいという思いがあった。火事によって、その思いの実現をにわかに迫られるかたちになると、彼らは、5,500本の杉の木を使った全く新しい姿の建物をつくることを決めた。そしてその膨大な作業を多くのひとと協働で行えたら、と考えてひとを集うと、結果として、プロジェクト期間中、全国各地からのべ600人以上のボランティアが集まることになったのだ。
建築を生業とするのではない一般のひとたちが、それぞれの思いを持って参加して、懸命に作業に当たってくれた。何度も来てくれるリピーターも少なくなかった。そうした多くのひとの尽力によって、26,000を超える継手をひとの手で削ってつくることを含んだ膨大な作業が進んでいった。
社屋が完成したのはプロジェクト開始から約1年半近くが経った2018年5月だった。そしてそのプロジェクト期間中に、ようびは大きな変化を遂げたという。
———ツギテプロジェクトは、いってみれば、お金が出ていくだけのプロジェクトです。だからその時期も当然、わたしたちはそれ以外のさまざまな仕事をしなければなりませんでした。仮設の工房での家具の生産は続けていましたし、建築の仕事も、受けられるものは受けていました。それまでは正直、大島が頑張ってくれればなんとか回る、というところがあったのですが、1人ひとりがそれまで以上にがんばってくれた。そうしてみなすごく鍛えられて、この時期にそれぞれが大きく力を伸ばしました。限られた時間できちんと仕事をし、忙しくてもちゃんと来てくれたひとに対して誠実に向き合う。
ツギテプロジェクトは本当に多くのひとがかかわってくださったので、その方たちへ感謝の念を持つことなどを通じて、自然とみなそうなっていったんですね。結果、その後はできる仕事の規模感がガラリと変わりました。これまでは、ようびといえば大島、というイメージをもたれがちだったのが、ようびというチームとして認めていただけるようになったように感じます。大島やわたしを指名してくださるのと同様に、他のメンバーを指名してくださる方が増えたのです。