6)耳を澄ませて、目をひらく 「語り」と「書」のセッション
間もなく朗読が始まる。こうした場の経験があるとは聞くが、通りがよく、凄みを感じさせる古川の声だ。その声に引き寄せられると、平安時代の世の像がありありと浮かびあがり、聞く者に21世紀の現代にいることを忘れさせる。
朗読者の傍でフロアに膝をつけた華雪は、おもむろに筆を取り、研ぎ澄ました神経と感覚を頼りに古川の声を傾聴し、自身の内部から噴出するものを文字に置き換えていく。集中する書家の全身にみなぎる“震え”が、この部屋にさらなる緊張感を運んでくる。
静寂のなかで聞こえてくる語りと筆が走る音。
いにしえの日々に紫式部が綴った物語が、今を生きる作家と書家の身体を通過していく、まさにそんな光景であった。もちろんこのプロセスには、参加した受講生たちの存在が欠かせない。息をのんで見つめる彼らの視線は、無意識のうちに古川と華雪の心身を揺り動かし表現を引き出す、そうした現場に立ち会った気がした。
朗読が終わり、わずかな間隔を挟んで、筆は力強く紙の上を移動したあと、ひとつの文字で静止した。数時間前、古川が宙に書いた「あ」という文字が書を締めくくった。
書はフィジカルなものをもつと話した通り、陸上選手がトラックを走り終えたかのような、疲労感と爽快感が表情から読みとれる華雪は、開口一番、「声を聞きながら書くのは初めて」と告げた。
「今日のテキストは読んでいたのですが、やっぱり読むのと、耳だけで拾うのとでは全然違う。最初は読まれたままを書こうとしたんですが、届いた声に反応して楽器のようにその一字一句を発するように書くのは違う気がして、古川さんの声を拾うのを止めました。古川さんの物語がわたしの外側にあって、それをのみ込んで書くわけですけれど、とにかくわたし自身の体に触れてきたもの、声を、声といっても、それは古川さんの声なのか、誰の声なのか、どこからやってきているのか……自分のなかでもまとまらない、そういう怒涛の流れのようなものを瞬時にどういう線で書くか、ということをやっていました」。