5)芸術と考古学を越えて 「陶胎漆器」と「陶漆土器」
ネオ民藝の話をする前に、もうひとつだけ、松井さんが力を注ぐ仕事を取り上げておきたい。芸術と考古学のあいだを切り結ぶ「陶胎漆器」と「陶漆土器」の制作である。2015年12月にギャラリーでの展示も行ったばかりだ。
土器に漆を塗る陶漆土器の原型は、5000年前の縄文時代に始まったもので、世界でも最初期の土器と漆の混合技法だという。松井さんは縄文土器が掘り出されたあとの穴を「土器と同じ時間を生きた穴」ととらえ、表面を粘土で型取り、乾かし、掘り起こし、一晩野焼きしたものに漆を塗り重ね、作品に仕上げた。考古学の調査で掘り起こした穴は、すぐに閉じられる。その一瞬の隙に入り込み、かたちづくったのだった。
土と漆の出会いは力づよく、かつなじみがいい。茶の湯の茶碗のように正面は決まっておらず、目をつぶって手に持った感覚で自然にわかる。また、今回は弥生ごろの土と、海外でジャパンと呼ばれる漆の組み合わせで、日本のものづくりの始まりを想起させるところもある。ちなみに、シリーズの最初は「陶胎漆器」、陶器=チャイナと漆=ジャパンの組み合わせで、日中の、もっというとアジアのつながりを感じさせるものだった。視覚と触覚を研ぎ澄ませながら、時空間を自在に行き来できそうな展示であった。
松井さんは芸術の始原を探るうちに、考古学に行き当たった。
——2016年に世界考古学会議が京都で開催されるんだけど、そのためにArt & Archaeology Forumを考古学者の村野正景さんや中村大さん、画家の安芸早苗子さんたちと立ち上げたんですよ。いろんな芸術や表現に関わるひとたちと考古学研究者が出会う場として。僕を含め、これまでアーティストも発表してきてます。
考古学って面白いんです。考古学の現場のひとたちが必要としているのは考古資料なんだけれども、それがあった場所、埋もれていた場所の掘り方が面白くて。目当てのものに行き着くまで、一生懸命掘っていく過程が穴としてあらわれてくるわけです。貴重な土器ひとつを発見するための膨大な機材と人力の投入があり、それが終わった後の廃墟感……。そういう現場の感じがものすごく好きなの。
考古学の遺跡はどこに出てくるかわからない、地雷みたいなものです。都会の真ん中だろうと、出てきたら発掘するわけだから。で、遺跡の地形って大抵パズルのような複雑なかたちをしてる。意味があったわけですよ。その意味が今読み解けなかったりする「なぞなぞ感」がいいんですね。
縄文人がどこから来たかとか、答えがみつからないものが世界にはいっぱいありますよ、自分たちの足元にも。そして、それを見つけるために日々生きているひとがいるというのを知るのも面白い。
松井さんはArt & Archaeology Forum第1回目の発表で、アートと考古学が交わることによって、アーティストはその活動を見直すことができ、同時に新たな境地もひらくことができると述べた。考古学者にアーティストが教わることはたくさんある、とも。考古学を現代につなぐことで、さまざまな問題が浮き彫りにされ、するべきことも見えくるということだろうか。
——考古学の世界は、ひとつには今の世界の流れを止めることができると思うのね。早すぎるスピードを緩めてくれて、立ち止まる時間をつくり出してくれると思うんです。たとえば僕らは必要だと思ってその土地を開発するわけだけど、その土地深くにそんなことを知らずに眠っていたものがあって、そのために工期が何ヵ月も遅れるようなことになるわけですよね。少なくとも時間を止めてます。そういう意味でも考古学の遺跡って偉いなって思いますね。自分とこの家やったら困るかも(笑)。
遺跡の発掘で建物の工期が遅れ、そのことで時間の進むスピードが緩められる、という松井さんの発想はとても興味深い。それはまた、古いものを見つけることが、新しい何かを建てるよりも優先するという話でもある。
私たちを「立ち止まらせる」こと、そして時間の流れを「ゆっくりにする」こと。それは考古学が現代社会にもたらしてくれる効用であり、また松井さんの構想するネオ民藝においても大切なキーワードとなっている。