7)暮らし方、生き方を考える術として
ツーボトル「保存と活用」
自己表出として作品をつくるのではなく、運動や動きを創り出す。
松井さんの取り組みは、アートを通して、暮らし方や生き方を考えるものだと思う。いわゆるファインアートからは離れた芸術活動である。
2010年に行われた展示「保存と活用」は、《月の骨》から始まった15年を集成するものといえる。主催者は「ツーボトル」、松井さんとこのとき20代だった小山真有さんによるユニットだ。ふたりは信楽や直島などで活動をともにしていたが、その実態を紹介するという趣旨である。展覧会場の入り口にはたこつぼに牛、それに盆栽。そこからすでにシュールだったが、内容もまた、いわゆる美術作品の展示からは大きく外れたものだった。
農村などに設置する無人販売所「無人さん」の記録展示を始め、たこつぼ、盆栽、火鉢の4つのパートで会場が構成されていた。それぞれの活動を編集・記録した写真やパネルが展示の主体だが、いずれも途絶えつつある技術や文化をいかに伝え残すか、ということをふたりの想像力で試みるものだった。
まずは、たこつぼのパート。讃岐に一軒しかない製造所がなくなれば、弥生時代から続いてきた技術は絶える。そのために、たこつぼをつくり、昔ながらのたこ漁を取材してじっさいにたこを獲り、たこの音楽CD付きのたこつぼを「販売」する。さらに他の使い途も考え、ご飯を炊いたりお茶を点てたりするための、「たこつぼ炊飯キット」や「たこつぼ名水茶」を展示販売していた。
また、盆栽のパートでは、香川県国分寺在住で当時89歳の愛好家が種から育てた樹齢48歳・50鉢の盆栽の「里親」を探し、里親となった持ち主と盆栽の1年を記録する。火鉢のパートでは、かつて日本において、8割以上の生産高を占めていた信楽の火鉢のモダンなデザインや梱包用の縄をなう高い技術が伝えられていた。
随所にユーモアを感じさせる展示だが、松井さんはいつものとおり真剣だ。ここにあるのは、広い意味でのアートを介した「残し方、伝え方」のひとつの、しかもまだ発展途上の答えである。継承されてきた技術を文化的背景を踏まえて捉え直し、今の時代に置き換えて使い方を提示すること。さらに、経済も含めた大きな循環を視野に入れ、新たな仕組みを打ち出し、実際に始めること。それが松井さん及びツーボトルのいう「保存と活用」なのだと思う。
ささやかな値をつけ、無人販売所でたこつぼなどを売ることも、もちろん利益が目的なのではない。物々交換的な原始的なものの循環を差しだすことで、大きな経済のありようといびつな構造が見えてくる。失われつつあるものが何か、まざまざと感じられるようでもあった。
展示にあたっての、ツーボトルの言葉を付しておきたい。
「今回扱った、盆栽、たこつぼ、火鉢、無人販売所、これらのものはそれぞれ何の関係も脈絡もなく、偶然出会ったものばかりです。それらと付き合うには、たいていどれもひと手間が必要で、この先の未来とは消え入りそうな細い線でしか、繋がっていないものばかりです。決して、不便なものが好きなわけではありませんが、どれも物として心を突き動かすものがあります。それらを展覧会で扱ってみるのは、遠い記憶や失いつつある感覚の全体性を、取り戻そうとしているのかもしれません。そうやって語らぬものたちと親密につながることができるのも、美術の大切な仕事なのかもしれないと思うのです」。