6)万年青のオモテ市、お宅まで?
コロナのことをさておいても、ここ最近のオモテ市はひとが集まりすぎて、飽和状態にある。「他でやったら?」と言われることもあるそうだが、裕子さんはあくまで万年青で開くことに意味があると思っている。
そして今、毎月の市を続ける以外の展開を考えているという。オモテ市を「届ける」試みだ。
———オモテ市のデリバリーを考えていて。市のメンバーで共同して、近郊のデリバリーをやろうかと相談しているところです。
コロナもそうですけど、コロナとは関係なく家から出られなかったりとか、市に来られない方もいるそうなんです。前から「振り売り」っていいなと思っていましたが、ちょうどそのタイミングがきたかなって。宅配となると宅配業者に委託しないといけないから、自分たちでまわれる近所のデリバリーですね。
市に来てもらうのではなく、市が出ていく。なんと柔軟な、今の状況に合った発想だろう。
市を開いて定点で待つことも続けながら、こちらから出向いていけば、お客の幅が広がるし、ものを出す側が数量を増やすこともできる。裕子さんいわく「万年青のオモテ市、お宅まで」。
そのコピーで思い浮かぶのは、UberEATSではなく、大八車で野菜や花を売る大原女や、ラッパを吹き鳴らしながらの中華の出前など、どこか懐かしい行商のスタイルだ。特に親しいわけでなくとも、顔見知りのひとが食べものを届けてくれる安心感。一周回って、市の次なるありかたのようにも思える。
———そんなことができたらいいね、って考えている段階ですけど。市のメンバーで連携して、いろいろできたらいいなって。そのうえで、どういう形態がいいのか考えていかないと。
わたしはあらゆる可能性を探って、全体的に固めないと踏み出せないんですが、でもそうじゃないっていうところをみんなに教えてもらっています。オモテ市を始めたときみたいに、「とりあえずやってみたら~?」って。
オモテ市の積み重ねは大きな力だ。多くのひとたちとかかわるなかで、自分たちの思うところを、社会の変化にも対応しながら、少しずつ実現してきた。その地道な取り組みは、地域をさらに息づかせようとしている。一朝一夕では生まれない、小さな市から広がる豊かさを感じる。
———市のメンバーもそうですし、お客さまも支えてくれる。全然お友達とかじゃないのに差し入れをくださったりとか、「小規模でも開催してくれることがうれしい」って言ってくださったりとか。オモテ市が何かの支えになっているんやったらいいなと思っています。
裕子さんのいうとおり、場を開き、続けていくことは、けっきょくは「ひと」なのだ。
次回は市を特集する最終回。市やマルシェを数多く手がけてきた企画者へのインタビューを通して、市の現在とこれからを考えてみたい。
編集と執筆。出版社勤務の後、ロンドン滞在を経て2000年から京都在住。2012年4月から2020年3月まで京都造形芸術大学専任教員。書籍や雑誌の編集・執筆を中心に、それらに関連した展示やイベント、文章表現や編集のワークショップ主宰など。編著に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』など、著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など多数。
1984年生まれ、京都市在住。写真家、1児の母。暮らしの中で起こるできごとをもとに、現代の民話が編まれたらどうなるのかをテーマに写真と文章を組み合わせた展示や朗読、スライドショーなどを発表。2009年 littlemoreBCCKS写真集公募展にて大賞・審査員賞受賞(川内倫子氏選)2011年写真集「ヨウルのラップ」(リトルモア)を出版。
京都西陣界隈呉服業店に生まれる。学生時代はアメリカに興味を抱きニューヨーク、ワシントン、フロリダ、カナダを巡る。大学卒業後沖縄本島にてサービス業スーパーサンエー飲食業店に勤務。3年後本土に帰省その後カメラマンとしてウェディングスナップの世界へ、後に大阪studioKP蔵本三千男氏に師事、商品撮影を5年間体得。2008年フリーランスとなり上京。6年間の東京写真活動を終えて2014年度京都へ帰郷。2020年現在は料理写真フードフォト、取材撮影、物撮り、スタジオ商品撮影、ネットショップ商品撮影などを中心に活動中。
1989年岐阜生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒業。雑誌やウェブの記事を編集・執筆するほか、コーディネーターやアートフェスティバルのPRとしても活動する。