3)統一感とオリジナリティ
月1回のペースで市を開催するのは、なかなか慌ただしい。オモテ市はルーティンになっている部分が少ないから、なおさらだ。各出店者ときめこまかくやりとりを進め、市の数日前から商品と出店者について、SNSを使って熱心に発信する。日替わりで、1店ずつ紹介するというスタイルだ。「終わったと思ったら次」というサイクルのなかで、労を惜しまず、市をこつこつと発信し、育ててきた。
興味深いのは、回を重ねても、全体の印象が揺るがないことだ。筆者は何度かこの市に来ているが、品揃えが少し変わっていたとしても、市全体のイメージはぶれることなく、むしろはっきりしてくる。市は多くのひとがかかわるため、短期間で実体やイメージが変わってしまうこともよくあるから、なおさら新鮮に感じた。
「おいしい」「オーガニック」という以外にも、柱にしていることはあるのだろうか。
———統一感は意識していますね。それは南山城村の「山ノ上マーケット」でも勉強させてもらいました。南山城村に移住された陶芸家の清水さんご夫妻が、地域のコミュニティづくりにボランティアでご尽力されていたんですけど、それがすごくわかる内容のマーケットだったんですよね。
わたしたちが出店したときはもう最後で、地域に外からひとがたくさん集まりすぎるくらい、集まっていました。でも統一感があって、食べ物とお茶、クラフトとかの出店者と、地域の商店やつくり手をつなぐマーケットだった。空気感もすごいあって。
昔の「クラフトフェアまつもと」もそうですね。20年ぐらい前、あがたの森公園のど真ん中でやっていた時期。クラフトが身近なかたちでマーケットになっていた。たくさんのひとが出店するときには、見た感じでも統一感が必要なんだなと思いました。
山ノ上マーケットは2014年で終了してしまったが、童仙房という集落の山の上で、廃校になった学校のグラウンドや建物、森のなかなど村の自然を生かして開催された。衣食住のさまざまなものを扱う出店者が集まる、誰もが楽しめる市でありながら、「何でもあり」にはならなかった。実行委員会の代表だった陶芸家の清水善行さんとのばらさん夫妻は、1994年から南山城村に住む。村民と外から訪れるひとをつなぐことにも熱心で、山ノ上マーケットはその活動のひとつでもあった。
また、クラフトフェアまつもとは1975年に始まった日本最大のクラフトマーケットである。器や家具をはじめとする生活の品を中心に、近年では多いときで出店数が400を超えたこともあり、大きくなりすぎたゆえの課題もあるが、裕子さんが訪れた際は、つくり手と使い手をつなぐ場として、ゆったりと対話できる空気があったという。
2つのマーケットにあった、それぞれの統一感。それを頭のどこかに置きながら、裕子さんと嗣さんは出店者や生産者と向き合ってきた。そのなかで、あらためて気づいたことがある。
———何を扱い、何を商うにしても、そのひと自身が誠実に、食に対して向き合っている姿勢がしっかりしていないと崩れると思うんですよね。だから、わたしは「ひとやな」って思っているんです。出店者のみなさんはどこかに「助け合う」っていう精神もあって。それがあることで、出していただく商品にも統一感が生まれるのかな、と。
オモテ市の始まりもそうだったが、1人では難しいことが、何人か集まれば可能になったりもする。寄り集まるなかで、自分のつくる、出すものやメニューのクオリティはもちろんのこと、どのような関係性のなかにいるのかも意識することで、市のありかたはより有機的になり、市のオリジナリティにもつながっていくのではないだろうか。
オモテ市には、出店者の多くがこの市だけのオリジナルを出してくれる。この「オリジナル商品」は、裕子さんが全体を見ながら、出品者とやりとりするのなかで生まれてきたものたちである。
———近しいお店に関しては「今回はこれでどうですか?」とか言ってくださるんですね。
あとは無茶振りもします(笑)。「今回はこのひとが出るので、これに合うお茶を出してもらえませんか?」とか、逆に「こんなお茶を出さはるし、お茶に合わせたお菓子をお願いできますか?」とか。他にも「この具材を入れてもらえませんか?」「かき氷やったらこっちを使ってもらえませんか?」などとお願いします。
ディレクター的に、おいしいものの魅力を引き出したり、掛け合わせていく感じだろうか。
お願いするときは「爆弾のように」メールや電話で連絡するが、それ自体、信頼関係がなければできないことだ。もちろん、その際の気遣いは忘れない。言葉を尽くして説明したり、相手に合わせて連絡の手段を変えるなど、きめこまやかだ。