3)より能動的なアーカイブ
「多治見市モザイクタイルミュージアム」
多治見市モザイクタイルミュージアムは笠原の中心地、旧町役場のあった敷地にできる。2016年の6月完成に向けて、取材時は建設中で、ようやく建物の外形ができつつある、という状況だ。
このミュージアムの構想は、実は15年以上も前から温められていた。モザイク浪漫館への収蔵品も増えスペース的にも手狭になってきたころ、「資料が集まってきたので博物館をつくりたい」という声があがり、関係者の間で博物館建設構想が立ち上がった。バブル経済の崩壊やタイル産業の経済的な事情もあり、なかなか実現されることがなかったが、2006年に多治見市に笠原町が編入されることになり、旧笠原町庁舎の跡地が敷地となって、計画が具体的に動き出したのだった。
2009年12月には一般財団法人「たじみ・笠原タイル館」が、笠原の地場産業であるモザイクタイルの産業文化を発信することを目的に設立された。美術館として目指す目的は「笠原を中心とした美濃のタイル産業の振興とタイル文化の素晴らしさを広く世界に伝える情報発信源の役割を担うもの」にすることだという。
設計者として白羽の矢が立ったのは、建築史家として古今東西の膨大な建築物に精通しながらも、建築家として自然素材を巧みに取り入れ、茶室、住宅、美術館などを設計する藤森照信氏だ。古代から現代まで深い造詣と好奇心を持って設計される、独特でありながらも何処か懐かしさを感じさせる藤森建築は、世界的に評価されている。
藤森氏は「町のあちこちにある土採場(つちとりば)のイメージ」と設計意図を語っているとおり、多治見のまちの原風景とも言える、タイルの原料である粘土を産出する採土場をモチーフにした。
そんな藤森氏を多治見市モザイクタイルミュージアムの設計者に強く推したのが、他でもなく各務さんだった。ミュージアムのデザインについては、各務さんも同じ考えを持っていた。
——最初から外壁一面にタイルを使った建物にしたいっていう気はなかった。タイル貼りの建物はまちなかにいっぱいある。でもそれでタイル売れたか?みんな勘違いしとる。それはタイルの美的価値の宣伝にはなってない。
「作品や資料の展示だけではなく、産地という立地を生かし、様々な分野の方々がタイルを介して交流できるような、ユニークな施設」が目指されている多治見市モザイクタイルミュージアム。展示空間は標準的な横長の長方形プランで、徐々に狭まっていく4階建ての建物。4階は藤森氏自身がセレクションしたタイルの常設展示が行われる予定だ。コレクションの中心となるのは、モザイク浪漫館に収集してきたタイルやその他関連資料を含む、1万点を超える作品や資料だ。
——3階にはタイルの歴史を見せる部分と、企画展示室がつくられます。研究成果発表や作家さんの展示も想定しています。2階は、業界の新作発表や商品紹介、特集展示などの産業振興のフロアにして、作家と業界関係者がコラボレーションして新しいテスト作品を販売するなど、お客さんの反応が見られるような場になれば、と思っています。
そう説明するのは、多治見市モザイクタイルミュージアムの開館準備を担う、学芸員の村山閑(のどか)さん。多治見市役所産業観光課のタイル館担当だ。
——展示のテーマには「タイルは土からできている」というメッセージも込めていきたいと考えています。最近のタイルは土に見えない。それが近年のタイルに焼きものらしさがなくなってしまった理由じゃないか。藤森先生が「土に回帰するミュージアム」にしていきたいとおっしゃられていたのは印象的でした。
村山さんは藤森氏の設計意図をこう汲み取る。
次章では、そんな多治見市モザイクタイルミュージアムが建設される多治見や笠原のまちに目を向けてみたい。