アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#39
2016.03

「伝える言葉」をさぐる 「ただようまなびや」の取り組み

後編 想像力を引き出すために
2)規範で成立してきた社会のこれから

震災以前の日本社会の状況について、古川は次のように語る。

「震災前まで、規範みたいなものを守ってひとは暮らしていたと思うんです。そういうルールに従って、良いかたちで社会は進行する、ひとも楽にやれる、みたいな。その規範・システムっていうのが、震災が起きたときには何にも役に立たない。規範を守っていると酷い目にしか遭わないってなったとき、規範の基礎をつくっているのって学校教育だと思ったんです。こういうふうに学べ、こういうことを覚えろ、それ以外のことはバッテン、バッテンって感じで。規範が役に立たなくなったのなら、規範外のことを教える学校をつくらないとしようがない。そういうことを教えられる人間って表現者だと思うんですよ。枠に収まりきらずに、はみ出るひとたちは自分で表現して、誰かに伝えている、と。そうしたひとたちを集められれば、非常時にも通用する教育って成立するんじゃないかと思ったんです」。

「ただようまなびや」設立に到ったいきさつを話す古川だが、彼が示す規範とは、社会など我々の周囲でつくられるものだ。だが一方で、我々自身もいつの間にかこの規範を拒むことなく、慣れて委ねてしまい、本来人間が持つ対話能力を後退させた可能性も否定できない。

「ペットを持っているひとたちは、動物と完全にコミュニケートできるし、林業に従事するひとたちは、山や木と交信できると思うんです。言葉にしなくても通じるもののほうが多いのに、言葉にしないと通じないという図式がおかしい。わかるか、わからないかだけだとおかしなことになる。言語って、勝ち負けのものじゃないと思う」。

表面的にコミュニケーションが円滑に取れていると思えても、実際は上辺だけという状況は、我々の日常で決して珍しいものではない。だが対話する相手が言葉を発しなくても、心の奥底に沈むものがあるという認識を持ち、その認識が広く浸透すれば社会も変わる、と古川は考える。

「傷つくことっていうのは、誰にもほめられないことだけど、価値があることだと僕は思うんですよ。そういう言語にはできないものを持つのもありなんだ、というのが通用するようになれば、本当に他者を許容できる社会になると思います。日本は今まで、行間を読むとか、空気を読むっていうことでやってきたわけですけど、それは相手の求めてる正解を察してあげているだけなんです」。